タイラー・ザ・クリエイターやロバート・グラスパーらが賛辞を贈るトリオ、ムーンチャイルド。全員がマルチ・プレイヤーである3人組が、ニュー・アルバム『Little Ghost』を発表した。新世代ジャズやネオ・ソウルを通過した洒脱でメロウなサウンドの魅力は本作でも不変。プロダクションの面ではより研ぎ澄まされ、音数を抑制しつつも、極上の安らかな空間を作り出している。

なぜムーンチャイルドの音楽はかくも心地良く、聴き手をとことんチルさせるのか? 今回は音楽評論家にしてプロデューサー/エンジニアとしても活躍する高橋健太郎が『Little Ghost』を解説。アンサンブルや音作りの特徴から、〈リスナーの快楽にのみ奉仕する〉という彼らの哲学を探り当てた。 *Mikiki編集部

MOONCHILD 『Little Ghost』 Tru Thoughts/BEAT(2019)

 

名パティシエが創る極上スイーツのような音楽

女性ヴォーカリストと2人のキーボーディスト。ムーンチャイルドというグループは一見、そういう編成に見える。だが、3人はもともとは管楽器奏者で、ホーン・セクションとして活動していた。そのことを知ったときに、僕はムーンチャイルドの音楽の類稀な美しさの秘密が透視できたように思った。

2015年の『Rewind』、2017年の『Voyager』、そして2019年の『Little Ghost』とムーンチャイルドは3枚の完璧なアルバムを発表してきている。3枚とも本当に完璧。『Rewind』と『Voyager』を僕はその年の年間ベストテンに選んだ。

2017年作『Voyager』収録曲“The List”

ジャジーなコードに彩られたミディアム~スローの曲で埋め尽くされているという点では、3枚のアルバムには大きな違いはない。どれも名パティシエが創る極上のスイーツの詰め合わせのようだ。『Little Ghost』ではアコースティック・ギターが多く使われているなど、新しい趣向もなくはないのだが、彼ららしい繊細な練り込み方なので、耳に甘く優しい音楽の軸はまったく揺るがない。

 

演奏のニュアンス、プレイヤーの個性を徹底して排除

ジャンル的にはムーンチャイルドの音楽は現代R&Bの一角に位置するものだろう。加えて、同時代のジャズの影響も強い。コードの使い方には端的にロバート・グラスパーの影響が見て取れる。微妙なズレを使ったグルーヴの組み方なども、グラスパー以後を感じさせる。だが、同時にムーンチャイルドの音楽は非ジャズ的なアティテュードを携えたものかもしれない。それは極めて抑制的な、リスナー目線の音楽観から生まれているように思えるからだ。

『Little Ghost』の冒頭の“Wise Woman”には中間部に40秒ほどのホーン・セクションの演奏パートがある。そこではジャズを学んだ管楽器奏者である3人のミュージシャン・シップがふっと浮き上がる。だが、ムーンチャイルドのすべての曲でホーンが聴こえるわけではない。

そして、トラックメイキングにおいては、彼らがリズム・プレイヤーではないことが、その美しさの鍵を握っているように思う。音数が少ないだけでなく、不要な演奏のニュアンス、あるいはプレイヤーのキャラクターのようなものを彼らは徹底して排除している。その意味では、ムーンチャイルドの音楽の在り方はエレクトロニカにも近い。

2019年作『Little Ghost』収録曲 “Wise Woman”

 

〈ひとり〉ではなく〈アンサンブル〉

2012年のデビュー作『Be Free』まで遡ってみると、その頃のムーンチャイルドはもっとバンド然とした熱を帯びた演奏でR&Bに取り組んでいたのが解る。それが『Rewind』からはより俯瞰的な視点で、録音作品としての完成度を追求するようになったのだろう。一方で、2017年に発表されたヴォーカルのアンバー・ナヴランのソロ『Speak Up EP』と聴き比べると、ムーンチャイルドの音楽がグループの共同作業の産物であることもよく解る。ナヴランのソロには良くも悪くも尖った個性の発露がある。

アンバー・ナヴランの2017年のEP『Speak Up EP』収録曲“He’s Been Gone”

対して、ムーンチャイルドでは彼女の歌声を含め、すべてが精密に配置されて、曲のストーリーを構成している。先にエレクトロニカ的と書いてしまったが、ベッドルームで生み出される〈ひとり〉の音楽ではなく、3人の感覚が絶妙にバランスした〈アンサンブル〉の音楽なのだ。

 

徹底して削ぎ落とし残されたものを磨き上げる

これは僕の想像だが、3人はもともとソロ演奏を追求するよりも、ホーン・セクションとして編曲されたものを演奏することを好む管楽器奏者だったのだろう。音楽的にはディアンジェロやエリカ・バドゥ以後のR&Bに惹かれていた。が、R&Bのライヴ・ステージでは管楽器奏者は演奏していない時間が長い。その間、彼らはリスナーになる。ムーンチャイルドのサウンド・デザインの根底には、その時間のなかで考えたことがあるのではないだろうか。

リスナーとして向き合った時に、不要と感じられたものを徹底して、削ぎ落とす。残されたものを徹底して、磨き上げる。そうやって音響的快楽を極限まで追求したのが『Rewind』以後のムーンチャイルドの音楽だと考えると、僕が彼らの音楽に降伏し続けている理由も頷けてくる。

2019年作『Little Ghost』収録曲 “Too Much To Ask”

 

リスナーの快楽にすべてを捧げる

僕にとって、90年代以後のR&B、あるいはネオ・ソウルの大きな魅力は〈音が良いこと〉だった。エリカ・バドゥのデビュー作が象徴的だったが、ともかく圧倒的な音響的快楽にねじ伏せられた。だが、2010年代のR&Bにおいては、音の良さで死ぬ、みたいな経験は減っている。ロバート・グラスパーの〈Black Radio〉シリーズに僕があまり乗れなかったのも、複雑化したプレイヤーの音楽になったぶん、R&Bの音響的快楽が逃げてしまったように感じられたからだった。

ところが、グラスパー以後の複雑化した音楽的テクスチャーを掬い上げながら、ムーンチャイルドはいまだからこそ実現できるソフト&スウィートな音響的快楽を打ち立てている。『Little Ghost』はその三本目の金字塔だ。R&Bのヒット要件である〈フィーチャリング〉を一切行わないのも、ミックス、プロデュースを含め、すべてを自分達だけで完結させているのも、快楽追求の純度を高めるためだろう。

誰かが絡めば、その熱や欲が混入する。彼らにはそれは不要なのだ。リスナーの快楽のためにすべてを捧げるのがムーンチャイルドだから。ヤバイよ。抜けられないよ。ここまでやられたら。そう思う。でも、幸いなことに、これは音楽だ。一日中、聴き続けても、死ぬことはないようだ。

2019年作『Little Ghost』収録曲 “What You’re Doing”