風光明媚なあの日々の光景によせて

 心が、身体が揺れる、和む、うっとりする……などなど、さまざまなニュアンスをひっくるめて気持ちの好いもの──という漠然とした、しかし、触れれば誰しもがわかるある種のフィーリングを持った音楽をジャンルレスに繋いできたクラブ・パーティー〈Free Soul Underground〉ならびにコンピレーション〈フリー・ソウル〉シリーズ。90年代半ば以降の音楽シーンにおいてひとつのムーヴメントとなり、始まりから今年で20周年を迎えたそのラインナップのなかに、今回キリンジの名前が加わった。『フリー・ソウル・キリンジ』──選曲はもちろん、シリーズ監修者であるサバービア・ファクトリーの橋本徹。〈兄弟時代〉の楽曲から選られた収録曲は31曲(2枚組)に及ぶ。

キリンジ 『フリー・ソウル・キリンジ』 コロムビア(2014)

 〈流麗なメロディー・センスと美しいハーモニー・ワーク、型通りには行かない、時として文学的でさえある言葉選びと、器楽的な少しぎくしゃくとした節まわしが生むカタルシス。同時にそこには、豊かな音楽的背景と強い探究心が感じられた〉──(ライナーノーツより抜粋)。筆者が初めてbounce誌(というか音楽誌)のCDレヴューを書いたのは、キリンジがインディーでリリースしたシングル“冬のオルカ”(97年)で、それをきっかけにキリンジの音楽へと心酔していく過程で感じた印象は、ライナーノーツを書かれた橋本氏とまったくの同感でした(とはいえbounce誌に載ったレヴューは、いま思えば愛しさ有り余って文章的には稚拙なもので、キリンジの魅力を的確に文章化することはできていませんでしたが)。そして、リスナーとしてフリー・ソウルから発信される音楽をキャッチし、そのニュアンスを体感していたクチとして、気持ちの好い音楽である以前に音楽としての滋養に富んだキリンジとフリー・ソウルに通じるものを感じとり、それを形にしたもの、すなわちキリンジの楽曲で編んだフリー・ソウル盤の構想みたいなものを、ある時期から勝手に膨らませていたのでした(2006年に『free soul -free soul of NONA REEVES-』が出たとき、次は!……と思っていたんですが)。

 個人的な話はさておき、『フリー・ソウル・キリンジ』。“今日も誰かの誕生日”に始まり、“野良の虹”“君の胸に抱かれたい”“恋の祭典”“雨を見くびるな”……Disc-1は、“エイリアンズ”“スウィートソウル”で締めくくり、Disc-2は“グッデイ・グッバイ”“きもだめし”“ブラインドタッチの織姫”“朝焼けは雨のきざし”“雨は毛布のように”……そして最後は“サイレンの歌”。軽やかにグルーヴするパーティー向けの曲や、ジャケットのアートワークよろしくアーバン気分でドライヴのお供にしたい曲だけではなく、堀込泰行のソロ=馬の骨で発表した“燃え殻”のように穏やかな楽曲や、彼らの代表曲とも言われるメランコリックなバラード“エイリアンズ”、同じく橋本氏の編む〈カフェ・アプレミディ〉のコンピに入っていそうなボッサ・ソウル“まぶしがりや”なども選ばれているあたり、ここではフリー・ソウルの観点も幾分広く設けられているようで、ちょっとした安らぎや感傷的な気分といった日々の営みをほんの少し豊かにしてくれるマジックを持ったメロディーとグルーヴがスムースに流れていく。いつもは〈free soul〉のロゴを大々的にあしらっているシリーズのジャケットだが、今回は〈フリー・ソウル・キリンジ〉と縦書きになっているところからも、同コンピ・シリーズ史上、監修者としても特別なものになっていることだろう。

 デビューから15年あまりの間に、〈意味のある新譜〉〈新譜らしい新譜〉を重ねながらキャリアをアップデートしていったキリンジだけに、オリジナル・アルバムをじっくりと吟味するのが嗜み方として正しいところではあるけれど、そこはフリー。こうして斜めの角度から斬ってみるのも、キリンジの音楽が持つ人懐っこさを改めて垣間見ることができておもしろいし、これは長く付き合える愛聴盤になりそうだ。