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LP→CD
現在の文脈で

 「あらためて出たものに対して、僕は興味がある――そんな言い方をしたらヘンかもしれないんだけれど。昔のものがもう一度出た、事実としてはそうですよね。そのうえで、いまのものとして出て、聴いたときにどうなのか、とか、本もそうですけど、いまどれほど有効なのか。生きている人間なので、いまのものとしてどう聴こえるんだろう、ということに興味があるわけです。それを自分なりにCDで聴いてみたとき、たとえばこのCDは昔のライナーノーツをそのまま載せているのですが、ものすごく気張った訳のわからない文章なわけですよね。だけど当時まわりで起こっている音楽とは別の方向に行きたいんだ、という意欲だけはものすごく見えるような文章なわけなんです。それで、いま聴いても、結局40年前に思ったことと同じことをいまでも思えるな、と思う。つまり、当時起こっていた音楽に対して批判的な目で見ていたけど、その批判的な目で見ていた音楽の方がいわゆる主流というか、ヨーロッパ音楽がそっちの方向に行っている。そこで、僕は考えていたようなこと、あるいは考えているようなことは、いまだにそれに対する批判としての機能は失っていないというような気がして。だから、昔のものをもう一度懐かしく聴いた、ということじゃなくて、残念ながら世の中変わっていないな、という風なことを思ったんですけどね」

――近藤さんの本は、近藤譲の音楽作品についてのみならず、ほかの音楽についての見方を示してくれるものとして読んできました。

 「『線の音楽』は自分の音楽について語っている典型的な本です。それからあとの本って、僕はそんなに自分の音楽について、って語っていないのですよ。でも、それはスタンスをかえたというつもりは全然ないんです。同時に復刻された『線の音楽』だけど、LPが先で、本が後です。自分がやったことを材料に、自分が音楽について考えていることを論じた。この材料は、当時だから自分の音楽を材料にするしかできなかったし、それ以上の能力がなかったわけだけれど、自分の音楽を材料にする必要は必ずしもないわけですね。他の人の音楽を材料にして論じてもいい。その意味ではあとになって書いたものは、自分の考えを述べるのに自分の作品を扱わなくてもいいじゃないか、という風に思って書いているのです。その意味では、このLPと本とは僕にとっては随分別のものなんですよ」