あるピアノとの出会いから生まれた最新作

 ピアニストとはつくづく不思議な存在だと思う。コンサートでも録音でも、自分の楽器を持ち歩くことは基本的にない。いつもそこに用意されたものを弾きに出かけていく。だからなのか、自分がそのとき弾く楽器の響きに、彼らほど耳を傾ける人々はいないと思う。それは楽器との対話という慣用表現をこえて、バンドメンバーとはじめてセッションしたときのようなインスピレーションを演奏家に与えることもある。

 「今回の曲を書いていたときにすごく楽しかったのは、まずピアノに触発されたっていうのもあるんですね。このピアノはアルド・チッコリーニが所有していたもので、(調律師の)狩野真さんが個人的に譲り受けたものなんです。独特の音色で、これを弾いたときの記憶が手の中に残っていて、なにか音を1つ出して、それを聴いて、またなにか音を重ねてという、薄い紙を積み重ねて行くような作業で曲を作りました。最初から見えていたものではなくて、偶発的なものの集積が曲になっているところはあるんですよね」

中島ノブユキ 『clair-obscur』 SPIRAL(2014)

 鈴のような音色、と本人が表現するピアノに触発されて生まれた2つの新曲から始まり、アルバム・タイトルの元となった“clair”“obscur”の2曲で幕を閉じる。演奏家・中島ノブユキがもつ響きの美しさを、過去のどの作品よりも克明に捉えた作品だと思う。本作と同じくピアノソロで録音された前作『カンチェラーレ』から、作風そのものに大きな変化があることも見逃がせない。

 「自宅の楽譜の整理をしていた時に古い楽譜が出てきたんです。久しぶりに弾いてみたら不思議と響くものがあって。と同時に、今ピアノソロの曲を書いたらどうなるのかなと。以前のアルバムの作品は、曲そのものの核は、メロディがあってコードネームでできる、いうなればジャズ的なスタイルですが、20代の前半には、全部の音が記譜されていて、どこも変えることができないようなものを作っていたんです。そういうものを今作ったときにどう対比できるのかということは1つのテーマだったかもしれないですね」

 歌曲風のメロディをもつこれまでの楽曲と異なり、器楽的な旋律が多くみられる。メロディの音域の幅が広がり、より自由に歌っている。"点描" のような細部の積み上げからなる楽曲があり、空白を残した一筆書きのような楽曲もある。

 「小さい音で弾くのがすごく好きで。その音色は褒めてやってもいいんじゃないのかな。そのために曲を書いたというところはありますね」。鳴るか鳴らないか、その瀬戸際のサウンドをつきつめた録音であったという。