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 スティーヴ・ライヒの新譜は、ある意味、異色のつくりになっている。それは、現役の、しかも若いミュージシャンによる音楽との相互性がかたちになっているからだ。いま、この文章を読まれている方にとってはもう了解済みのこととおもうが、ライヒはUKのロック・バンド、レディオヘッドの作品にもとづいた作品《レディオ・リライト》があり、その一方でレディオヘッドのメンバー、ジョニー・グリーンウッドによる《エレクトリック・カウンターポイント》がある。そのあいだに《6台のピアノ》を新たにピアノと多重録音テープにした《ピアノ・カウンターポイント》を収録。

STEVE REICH レディオ・リライト Nonesuch/ワーナー(2014)

 ちょうどライヒ自身への電話インタヴューが可能となったので、いくつかの質問を用意して、以下の返答を得ることができた。

――新しい作品が生まれた経緯、そして、アルバムの構成について教えて下さい。

 「新しいアルバム、タイトルは『Radio Rewrite』というんだ。はじめ、ロンドン・シンフォニエッタに新しい作品の依頼を受けて、作曲を始めた。でもなかなか順調には進まなくて、そのとき作っていたものを却下したんだよ。同時期、つまり2010年頃なんだけれど、ポーランドで開かれる音楽フェスティヴァルに招かれた。そこはニュー・ミュージック、新しい音楽を紹介するフェスティヴァルで、コンテンポラリー・コンサート・ミュージックとロック・ミュージック界から、それぞれミュージシャンが参加していた。そのなかの1人がジョニー・グリーンウッドだったんだ。

 私が昔パット・メセニーの為に作曲した《エレクトリック・カウンターポイント》を演奏するためにジョニーは参加していた。それをきっかけにジョニーついて少し調べ始めたんだな。ジョニーは元々ヴィオラを弾いていた。オックスフォード大学で教育を受けて、後に作曲家として、映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(監督:ポール・トーマス・アンダーソン)のスコアなどを書いている。その後、映画を見て気づいたのだけれど、おもしろいことに、そのスコアはオリヴィエ・メシアンのひびきに似ているんだ。知らずに聴いていたら、まさか作曲した人物がロックスターだとは思いもしなかっただろうね。

 ポーランドで聴くことのできたジョニーの《エレクトリック・カウンターポイント》の演奏=解釈は本当に美しかった。その後直接会って、会話を交わすことも出来て、いい時間が過ごせたんだ。もちろん数年、いや、もっと前からレディオヘッドの名前は耳にしていた。だけど、1音符も聴いたことがなくて、恥ずかしかったんだよ。ジョニーにせっかく会ったというのにね。で、帰ってすぐインターネットで調べ、曲を聴いたりヴィデオを見たりしたわけだ。 10曲ほども聴いたかな。そのなかの2曲が気になった。『キッドA』(2000)に収録されている《Everything in Its Right Place》と『イン・レインボウズ』(2007)の《Jigsaw Falling into Place》だ。この2曲が凄く気に入ったということももちろんある。前者については、特にサビの"Everything"というフレーズを運ぶメロディに感銘を受けた。この短いフレーズに西洋の和声の基本となるものが聴き取れるんだな。もう1つの曲もとても美しくて、この2曲を元に、もちろん内容は変え、私の色に染めたうえで新しい楽曲を作ったというわけだ。もちろんこれは私の、スティーヴ・ライヒの楽曲なんだよ。レディオヘッドが聴こえるかって? うん、その答えは、どうかな。若干聴こえるかもしれないけれど、基本的には聴こえないだろうな。エレキベース以外は、ロック楽器ではなく、コンサート楽器のために書かれているしね」

【参考動画】ジョニー・グリーンウッドによるライヒ作曲“Electric Counterpoint”のパフォーマンス映像

 

――ジョニー・グリーンウッドの演奏=解釈について、作曲者として感じる、考えることは?

 「さっき少し触れたけど、ライヴでは本当に素晴らしいパフォーマンスを披露してくれた。だけどね、アルバムに収録されている曲とは較べものにならないな。この楽曲で聴こえるエレキギターの音のほとんどは事前に録音したもので、ジョニーはバッキングテープでは、それぞれのパートを様々なギターで、再録音している。ポーランドで聴いたものを遥かに上回る豊かな音質が得られているんだ。そんなわけで、このアルバムのヴァージョンはかなり良いものになっているよ」

――かつて“シリアス・ミュージック(クラシック・ミュージック)”は、“ポピュラー・ミュージック”から多くのものを吸いあげている、というようなことをおっしゃっていました。わたし自身は、あまり両者を区別したくはないし、あまり区別をする意味はない、とおもっていますが、商業的にも、またリスナーの見方においても、区別されていることが少なくない。実際、あなたは、いわゆる“シリアス・ミュージック”と“ポピュラー・ミュージック”はどういう違いがあると考えていらっしゃいますか。作品そのものに違いがあるとお考えでしょうか。また、聴き手が異なるとしたら、どう異なっているのでしょうか。

 「答えはシンプルだ。シリアス・ミュージック、あるいはコンサート・ミュージックと、ポピュラー・ミュージック、ととりあえず言っておこうか。まず、これらの区別をしっかりつけておこう。

 楽譜に表記する、記譜法を用いた音楽と、演奏、もしくは歌いながら、ミュージシャン達がともに作りあげてゆき、 楽譜を使用しない音楽が存在する。これが核心にあるひじょうに大きな違いだ。レディオヘッドのなかでは、ヴィオラ奏者として教育を受けたジョニー・グリーンウッドが唯一バンドメンバーの中で楽譜を読むことができる。他のメンバーは楽譜が読めない。よって彼らはロックやフォークグループなどと同様の手法で音楽を作る。考えてみれば、この手法は記譜法が成立するより遥か以前、大昔から存在していたものだ。耳をたよりに演奏したり、歌いながらディテールを作りあげていくというようなね。事実、私も1971年頃《ドラミング》を演奏しながら、ミュージシャン達に指示を与えていたとき、 短くおぼえやすいパターンを多く取り入れ、同じような手法で自ら演奏し、演奏者達もそれを耳でおぼえ、演奏の練習を繰りかえしていたんだ。そのようにオーラル・トラディション(口頭の伝統)という手法が使われるにふさわしい状況というのがあるんだ。ポピュラー・ミュージックとコンサート・ミュージックと呼ばれるものの違いは、先程いったように、記譜法を用いた音楽と、 そうでない音楽ということだな。

 つぎに聴き手に関して。通常ロックンロールでは使用され、コンサート・ミュージックでは使用されない楽器がある。エレキギター、エレクトリック・ベース、シンセやドラムセットなどだね。でも、近年では、たとえば私の《2×5》という曲では、このようなロック・バンドの楽器を用いながら、しっかり楽譜に書かれていたりする。この曲を演奏するバング・オン・ア・カンや、オランダ出身のルイ・アンドリーセンなども頻繁にこのような楽器を作曲に利用しているし、ジョン・アダムズもときにはそういうことをする。ましてや若い作曲家では、ますますシンセ、エレクトリック・ベースなどの楽器をコンサート・ミュージックの楽曲に取り入れ始めているよね。

 何よりもおもしろいところは、ロックスターである彼ら―レディオヘッド―自身も、実際は作曲家なんだ、ということだよ。ジョニー・グリーンウッドは良い例だね。オーケストラに向けて楽譜に音符を書き、映画音楽や、コンサートで演奏されるであろう楽曲をつくる。これはジョニーの生活の大きな一部分となっているし、きっと歳を経るにつれて、さらにこのような活動が増えていくんじゃないかな。ブライス・デスナーもそうした活動をしている1人だ。ブライスは、アーロンと兄弟で、いまアメリカで注目を集めているザ・ナショナルというロックグループとして数々のリリースをしている。同時に、イェール音楽大学を卒業したブライスは、作曲家として活動をしているんだ。ブライスの前にどんな楽譜を置いても、すべて理解出来てしまうんだよ。最近はドイツ・グラモフォンから作品をリリースをしていて、これはもちろんコンサート・ミュージックなんだ。同じレーベルからジョニー・グリーンウッドもリリースしているしね。こんなふうに異なった活動を両立させているミュージシャンが現れてきている。正式な音楽の教育を受け、楽譜も読めるし、同時にロックンロールも愛している。どちらも可能だということだな。

 あとは……簡単なことだけど、ポップ・ソングは3~4分、コンサート・ミュージックは20分~1時間。楽譜に書く場合は、音符やハーモニーがあって、演奏=解釈が異なってくるけれど、ディテールは変わらない。ロックではカヴァーやリミックスによって、完全に原型から離れることがある。ジャムバンドなどでの即興演奏が多いし、当然多くの違いがでてくる。

――プレスリリースにはスティーヴン・ソンドハイムの名が引かれている作品がありましたが、これは現在進行形なのでしょうか。

 「《Finishing the Hat-Two Pianos》という曲でね、アレンジと言ってもいいのかなあ、ピアノ2台のための、3分程度の曲をつくった。現在進行形ではなく、4年ほど前のものだね。何カ所かで演奏したことがあるくらいで、レコーディングはしていない。ソンドハイムとはお互いに尊敬し合っている関係なんだ。来年、2015年1月、ニューヨークのリンカーン・センターで彼と2人のイヴェントを行う予定で、その夜は、私の音楽と彼の音楽を半分ずつ演奏し、その後ディスカッションもする」

――あくまで、たとえば、ですけれども、2000年代、特に《スリー・テイルズ》以降の作品と、それ以前の作品とでは、ご自分としては、作曲する姿勢やひびきへの好み、スタイルなどで変わったところはありますか。

 「一番最初にレコーディングした、声を素材とした作品は1964年の《イッツ・ゴナ・レイン》だった。私の名が知られるようになった最初の作品だ。その後、いろいろな電車の乗客の声を使った作品を1988年に作り、グラミーを受賞し、話題をよんだ。その後、《ザ・ケイヴ》では、ヴィデオ・アーティストのベリル・コロットと共同制作をした。このヴィデオ・オペラは世界中で演奏されたし、さらにその後、私たちは《スリー・テイルズ》という、これもまた、ベリルがヴィデオを、私が音楽を担当する作品を共同制作でおこなった。その次にはニューヨークの声や雑音を題材にした《シティ・ライフ》、そして最近では、9.11当日に収録された、航空交通や消防隊、グランド・ゼロで拾われた音などを題材に《WTC9.11》という作品も作った。これらに共通しているのは、ドキュメンタリー素材を題材にしたということだね。作品を作り始めた1965年から、これは一貫している。つまり、以前/以降という概念はなく、1本の長い道、といったほうがいいかな。私の音楽を知っている人であれば、たとえば《ザ・ケイヴ》の後に《スリー・テイルズ》を作ったことに対して驚いたりはしないよ。単純にみれば、ヴィデオ・オペラ1、ヴィデオ・オペラ2、というようなものだしね」

――今後のご予定をおきかせください。

 「2016年には80歳になるんだ。その時まだ生きていれば、だけど。ロンドンのロイヤル・バレエカーネギー・ホールロサンジェルス・フィルハーモニック、アメリカのシグナル・アンサンブルなど他数カ所から、新しい作品2つを委嘱されている。いま現在、1作品目を半分程作曲したところ。タイトルは《Music for Strings》で、編成はストリングス、管楽器、ピアノ、エレクトリック・ベース。小さなアンサンブル、もしくは小規模なオーケストラにも演奏が可能で、比較的聴きやすい曲になりそうだ。後は、別プロジェクトになるんだが、このあいだ作り終えたばかりの曲がある。まだレコーディングもしていないけれど。《クァルテット》という、2台のヴィブラフォン、2台のピアノの作品。友人であり、素晴らしいパーカッショニストのコリン・カリーが、ロンドンのサウスバンク・センターで初演してくれるんだ」

 2016年には傘寿を迎えるライヒだが、まだ創作活動に衰えはみえない。けっして多くはないながらも、コンスタントに作品は発表され、自らもステージにあがっている。まだ録音されていない作品もある。その意味で、ライヒの新しい音楽を楽しみにすることは、まだ、わたしたちに許されている。

 なお、インタヴューの最後にふれられている《クァルテット》は、コリン・カリー・グループによって、2014年10月12日、クイーン・エリザベス・ホールで初演された。