チャーリーもいた風景を添えて~

 法外なギャラを出すから、大嫌いなことをまるで大好きなことのように書くことよりも、セクシーではない女をセクシーに書くことよりも、登場人物が百人以上出てくる長編小説を書くことよりも、セロニアス・モンクのことを文章に書くこと、またその論評を更に評し書き著すことが、一番難しいのです。ですが、これだけははっきりと明言できます。本書にも出てきますが、チャーリー・ラウズのテナーサックスが、モンクのメロディを世界中に広げたことだけは、忘れてはいけないことです。チャーリー・ラウズは、モンクがピアノで本当にやりたかったこと、つまり、端正で跳躍する美しいメロディと、その内側で響いている重力の果てのハーモニーのイメージ、モンクの二本の腕をもってしても表現不可能なことを、淡々と可能なものにしました。時には、モンクとメロディを一緒に吹いています。このことは、モンクの音楽を、どんな論評よりも説得力のあるものに変えました。また、我々はモンクの曲の輪郭を簡潔に掴むことができ、そのおかげで、あの曲はああだこうだと大口をたたける訳です。

村上春樹 セロニアス・モンクのいた風景 新潮社(2014)

 モンクのトリオもステキですが、モンクのオリジナルのメロディをチャーリー・ラウズがきっちりと吹いていてくれる時に表出する、モンクの「あの」ハーモニーは、やはりトリオでは同時には表現できなかったでしょう。勿論モンクのことを文章にする上で、チャーリー・ラウズとの共演時だけを書いても、モンクの全てのことは説明できないのですが、我々が口ずさむモンクのメロディは、チャーリー・ラウズの音と共に聴こえてきませんか? 私はそうなのです。ですから、重複しますが、モンクのことを正確に文章にすることは無理なんです。鈴木大拙は、「周辺のない円相、これを無心といい、また無念無想などともいう」と書き著しました。モンクのミドルネームは「SHPERE=球体」です。つまり円です。そういうことだと思います。

【参考動画】チャーリー・ラウズ擁するセロニアス・モンク・クァルテットによる
“Epistrophy”のパフォーマンス