■ 2013年8月18日(日)
お盆は過ぎたというのにいったいなんなんだ。蒸し過ぎだろう。そんなことをブツブツ言いながら、地元名産〈おわせ節〉を携えて、灼熱の国道42号線を南へと向かう。さっき久保田麻琴さんが熊野入りしたという電話があって、彼がYouTubeで発見したというギタリストのレコーディングの取材をしに、ドライバーを買って出てくれた堀端くんと急いで新宮へと走っているところだ。映画「スケッチ・オブ・ミャーク」を観たときから、麻琴さんが熊野の深層部への旅を敢行する日は遠くないだろう、なんて考えていたけれど、このプロジェクトが第一歩目だと言ってもいいのだろうか。胸が高鳴る。

麻琴さんから聞くまで、濱口祐自さんのことはまったく知らなかった。地元の友人からは〈あぁ、あの人ね〉という反応が返っていたから、かなり知られた存在のようだ。道の駅で働く川端くんは、濱口さんが職場に自主制作のCDを売りにきたことをおぼえていた。ただ、勝浦のブルースマンなんだけど、と言うと〈いや、ニューエイジっぽい音楽やったで〉なんてことを言ってたし、別人かもしれん。ほかにも、自分のお店で濱口さんにライヴをやってもらったという知り合いがいたし(ちょうどその頃に濱口さんは、栄養失調が原因で味覚障害になってしまい、人生終わったと思った、とMCでこぼしていたそう)、ひっそりと世捨て人のような暮らしを送っているわけじゃないんだな。ともかくいろんな話から察するに、だいぶ変わった人であることは間違いなさそう。それにしても、こういう御仁を発見してしまう麻琴さんの嗅覚はやはりすごいと言わざるを得ない。

 

 

 

レコーディングは濱口さんの親戚のお宅を借りて行うことになっているのだが、現場に着いてビックリ。そこは丘の上に立つ大きな邸宅で、どうも由緒ある建物のようである。ここで合っているのか? 少し不安になりながら長い坂を上っていくと大きな門の前にオンボロのバンが1台停まっていて、そこから濱口さんがひょっこりと登場。ユル~い出で立ちがあまりに予想どおり過ぎたこともあり、とにかくホッとした。と、同時に豪奢な屋敷とのギャップが著しく、可笑しくて可笑しくて。

六角堂と呼ばれるこの建物の一部屋をレコーディング・ブースに仕立てて、作業が行われた。洋風アンティークのオシャレな部屋の片隅で、マイクに向かってアコースティック・ギターを爪弾く濱口さんは実に画になる。撮った写真を観てみたら、アメリカ南部のプランテーションの領主の家で出張録音中のカントリー・ブルースマンのように思えた。

濱口さんの喋る勝浦弁はかなりディープでコテコテ。自分の親父が喋る熊野弁に少し近いものを感じるけど、早口ということもあって聞き取りにくい。でも、彼が弾くギターはすこぶる雄弁。その演奏は人柄や人生観、音楽への探求心などが伝わってくるもので、会ってからまだ数時間しか経っていないのに、彼のパーソナリティーをだいぶ知れたような気になれたほどだった。港町育ちのブルース・ギタリストという先入観もあって、泥臭いフィーリングのプレイを聴かせてくれるのだろうと予想していたが、さにあらず。繊細なタッチのフィンガリングやピッキングによって奏でられる音色は、日本人にとって郷愁の味がするというか、何とも言えない安堵を誘う。でもって不思議なヒーリング効果もある(ニューエイジっぽいってこのことだったのか?)。個人的には、ミシシッピ・ジョン・ハートを連想させるリラクシンなムードを漂わせたブルース・スタイルが特に気に入った。

 

1日目は、ウォーミング・アップ的な感じで終了。ひと息ついたあと、麻琴さんが濱口さんのギターを手にし、セッションが始まった。ふたりの和やかな語らいに耳を傾けながら、やっぱりここは新宮じゃなくてどこか遠い異国の地なのだ、なんてことをぼんやり考えていた。ブルース・ナンバーを弾き終えて、麻琴さんが「フジオがここに来てたよ」と呟く。〈フジオ〉とは、8月14日に不慮の事故でこの世を去ってしまった山口冨士夫氏のことだ。実は数日間、その件について麻琴さんに話を伺っていいものなのかどうか躊躇っていたのだが、その一言を聞いて、もうこれ以上何も訊く必要はないと思った。後で聞いてまたまた驚いたのだが、この六角堂は、ドクトル大石として地域住民から尊敬を集めた仁医であり、大逆事件に巻き込まれて非業の死を遂げた大石誠之助のゆかりの建物であるという。濱口さんはこの根っからの自由人、大いなる国際人の係累だったのか。家に帰ってからいろいろと調べねば。

 


 

 

■ 2015年2月27日(金)
天気は晴れ。久保田麻琴との2枚目となるメジャー・セカンド・アルバムのレコーディングの日がやってきた。前回は新宮の六角堂や狭山にあるGo Go KingRecorderなど3か所で実施されたが、今回は吉祥寺にあるGOK SOUNDにて2日間で作業を行う予定となっている。ユウジさんにとって約1年ぶりのレコーディングである。お酒を抜くなど、この日に向けてコンディション調整もバッチリ。ただし、やっぱりというか、睡眠不足状態らしい。でも来る途中に見つけた2つの神社に手を合わせてきたので心は晴れ晴れしているとのこと。表情もサッパリとしている。

準備の最中、トキエ・ロビンソンさんが亡くなったという話を聞く。ユウジさんのお母さんが京都の女学校に通っていたときの友人であり、息子のユウジさんとも懇意な間柄だった。ユウジさんは1979年3月に渡米しているが、そのとき世話になったのが彼女だった。世界は広いということを教わったあの旅は彼にとって大切な財産であり、彼女との思い出も大事な宝物であるとのこと(なかなかに顔の広い人で、すでに故人となった有名ロック・ヴォーカリストと深い付き合いもあったようだ)。トキエさんとはFacebookで一度やりとりをしたことがある。最近Yujiくんの記事がたくさん出てくるけど日本語が読めないのでなんて書いてあるのか教えてほしい、と連絡をもらったのだ。ユウジさんはデビューして全国のファンに支持されるようになったのですよ、と返事すると〈I am so happy for Yuji. Finally he is being recognized by the public〉と大変喜んでらっしゃった。卒寿だったというから大往生ですよね。そんな彼女に捧げる曲を、このレコーディング中に作り上げるという。

 

 

 

 

20年間、ロック・シティー吉祥寺で営業を続けるGOK(以前は国分寺にあったようだが、火災のために閉店しここに移転したとのこと)。今回使うのは、55帖もある倉庫のようなLスタジオ。最近はここでライヴも行ったりするのだと、代表の近藤祥昭さんが教えてくれた。ユウジさんの前に立てられた何本ものマイクのなかでひときわ目立つのはRCA社のリボン・マイク。1940年代製のゴツいビンテージ・マイクが威光を放っており、思わずつい見とれてしまう。そんな環境で鳴らされた臨場感に溢れるサウンドを今回は2インチのアナログ・テープに吹き込んでいくのである(テープ・デッキはスチューダーのA827)。

アップの様子をフォトグラファーの石田昌隆さんがカメラに収めていく。ファースト・アルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』に続き、今作のジャケット写真も彼が手がけることになっている。麻琴さんから「今日は石田くんの誕生日なんだ」というお知らせが。それはめでたいということで、ユウジさんが12弦ギターでハッピー・バースデイのラグを弾く。それがレコーディングの1曲目となった。

 

 

今回レコーディングのために用意したギターは全部で5本。イヴァニーズの12弦、コルトのエレアコ、フェンダー、ドブロ、そこにお借りしたマーチンD18が加わるのだが、この日は12弦が大車輪の活躍。いきなりこんなに飛ばして大丈夫か?と心配になるほど、最初から荒々しく弾き倒していった。自身も「今日はちょっと興奮しとるね」と漏らしていたが。ストンプ入りの暴れ弾きを披露するなど、熱のこもった演奏が続く。で、ものすごく速いテンポで弾くものだから、あっという間に曲が終わってしまう。〈長くなると飽きられるんじゃないか〉とユウジさんは言うけれど、どれも1分ちょいというのはさすがにちょっと……である。

 

 

とにかくRecボタンが押されると、演奏がガラリと変化してしまう。グルーヴを見失うとぜんぜん違う曲になってしまう。ウォーミング・アップで弾いていた即興の演奏があまりに超絶的で、終わったあとに苦笑いを浮かべるなんてこともしばしば。テープを回しっぱなしにする形が望ましいのだろうが、そんなことは現実的に無理だ。ここぞ!というタイミングを逃さないこと。それがこのレコーディングでもっとも大事だと痛感する。

 

 

コントロール・ルームにカサカサ音が鳴り響く。いったい何の音? あ、これはユウジさんが爪を紙やすりで研いでいる音か。1曲終わるたびにカサカサカサカサ。そんなに擦ってばかりで大丈夫なのだろうかと心配になるほどに、乾いた摩擦音が延々とリピートしている。爪の調子を良くするためだけではないのだろう。何かにつけて念入りにカサカサカサカサやる様子を見ながら、彼にとって集中力を高めるための儀式だってことがだんだんわかってきた。

何回やっても、ある曲のエンディングがうまく決まらない。「へばってきたかいのう」。時計を見たら、開始からもう4時間も経過していた。ほとんど休みなしで弾きっぱなしだ。そりゃ指の具合も限界にきていても仕方ない。もう終わりかな、と思っていた矢先、ピーター・バラカンさんが表敬訪問でスタジオにやってきた。するとどうだろう、ユウジさんの背筋がシャキッと伸びたのだ。さすがは麻琴さん。やはりピーターさんの力は絶大である。最後の力を振り絞って弾いた“Great Dream From Heaven”は情感豊かで魅力的な演奏となった。

 

 

振り返れば、この日だけで10曲も録っていたのだ。よくぞへばらずここまでやり切れたものだ。明日は重要曲が待っている。だから今晩のアルコール摂取はほどほどにせねばならない。ユウジさんにとってピーターさんとの夕食は嬉しいご褒美だけど、ゴキゲンになってグイグイいかないように気をつけねば。

※連載〈その男、濱口祐自〉の記事一覧はこちら

 

PROFILE:濱口祐自


今年12月に還暦を迎える、和歌山は那智勝浦出身のブルースマン。その〈異能のギタリスト〉ぶりを久保田麻琴に発見され、彼のプロデュースによるアルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』で2014年6月にメジャー・デビュー。同年10月に開催されたピーター・バラカンのオーガナイズによるフェス〈LIVE MAGIC!〉や、その翌月に放送されたテレビ朝日「題名のない音楽会」への出演も大きな反響を呼んだ。現在、待望のニュー・アルバムを鋭意制作中! 最新情報はオフィシャルサイトにてご確認を。