写真提供:ALTAMIRA MUSIC, INC./撮影:鈴木愛子

 

タカダワタル的〈夜のありがたさ〉感じつづけた10年。

 高田渡が56歳でこの世を去ったのは2005年4月16日のこと。あれからもう10年なのだと。そう言われてもなぁ。正直違和感しかない。聞くところによると、彼の影を求めて吉祥寺の〈いせや〉や三条堺町の〈イノダ・コーヒー〉へと向かう若いファンがいたりするそうで。なんだ、いつの時代も変わんないんじゃないの。一方、古くからのファンは、さびしいといまもこぼしながら彼の音楽と変わらぬお付き合いを続けている。私もご多分に漏れずそちら側。いつどこにいてもすぐ手が届く場所に置きっぱなし。この数年間、いったいどれほど切実な思いで“仕事さがし”を口ずさんだことか。それにしても、もう10年にもなるとは。ちょうどドキュメンタリー映画「タカダワタル的」によってみんなに愛される〈的〉の部分がクローズアップされて人気を博し、ライヴ・イヴェントで全国を忙しく駆け巡っていた彼。そんななかでの突然の死。鮮明に思い出せるが、訃報は職場でひとりっきり残業しているときに嫁からのメールで知った。〈高田渡さん、死んだんだって〉。寒々しいオフィスにゴツッという鈍い音が響き渡ったのをいまも生々しくおぼえている。

高田渡 タカダワタル的 Memorial Edition ポニーキャニオン(2005)

【参考動画】高田渡の71年作『ごあいさつ』収録曲“生活の柄”の
88年のパフォーマンス

 

 でも、渡さんの音楽に広がる夜はいつもあたたかくてやさしい。そんなタカダワタル的な夜のありがたさを痛感したのは、4年前の春だったか。節電のために街路灯の一部が消灯されて東京全体が沈んだトーンになったとき、『ごあいさつ』『系図』『石』というベルウッド3部作を街歩きのBGMに選ぶことが増えた。〈毎晩 夜通し起きていて〉という歌い出しの“火吹炊”(父である高田豊の詩に曲を付けた曲)をはじめ、“夜風のブルース”や“系図”など日々の暮らしの慎ましさのなかにある豊かさについて問いかけるような、余計なものをなるべく省くことを信条とする彼の生活の歌がこれほど説得力を持って迫ってきた経験もなかったように思う。なかでも、夜は暗いものなのだ、暗くなきゃいろいろと都合が悪いのだと語りかけてくる珠玉の夜うたを聴いていると妙に気分が落ち着いたのだ(電燈が消えた路地の向こうに千鳥足の渡さんを見つけたような気がしたことも何度かあった)。ところで〈ヨルワタル〉の最高傑作は、菅原克己の詩を用いた“ブラザー軒”で間違いないだろう。メイン・キャラクターが幽霊なので当然ながら夜を舞台としているのだが、キラキラしていながら仄暗い店のムードを表現する心地良い歌声の温度感がとにかく素晴らしい。彼の歌声の柄が夜向きなのだろう。夜汽車の長旅などに彼の歌は欠かせない。