これは怒りか、喜びか、それとも忘我か。猛々しく圧倒的なエナジーに満ちた『Damogen Furies』が、溢れ出る衝動の爆発と爆発と爆発を呼び起こす!

 

 

作品にするつもりじゃなかった

 「『Damogen Furies』に収録されている楽曲のピースはすべて、僕が去年取り組んでいた、もっと大規模な音楽ピース群、いろんなマテリアルの集まりから出てきたものなんだ。そもそもこのアルバムのバックグランドにあるアイデアのひとつとして〈ライヴで演奏できるものにしよう〉ってのがあってね。『Ufabulum』、あるいはそれ以前の僕の作品の多くとは違って、あらかじめライヴでの演奏を前提とした音楽を作ろうという発想があった。で、過去にやってきたさまざまなプロジェクトの多くは、それと逆の発想から作ってきたんだよね。以前だとアルバム作りの目的は〈レコーディング・スタジオでできる限りの何かを作り出す〉〈制作時のスタジオ内における状況に見合った音楽をクリエイトする〉というものだった。ところが今回の作品に収録したマテリアルに関しては、僕はライヴ会場で自分が出くわすような、そういうコンディションに適したものにしようとしたんだ。だからある意味、この作品は大音量でプレイされるべきものだと言えるし、観客を前に、ライヴで演奏されるべきものでもある、と言える。で、なぜそういうことをしたかったか、その理由の大きなもののひとつと言えば、うん、僕はもっとライヴ・ギグをやることに興味があったし、熱意も感じていた。だから〈もっとライヴをやりたい〉という文脈にマッチした音楽をクリエイトしようとしたんだ」。

SQUAREPUSHER Damogen Furies Warp/BEAT(2015)

 「このアルバムを作ることにした時っていうのは、実は自分の中に〈レコードを作ろう〉って考えは一切なかったんだ。それよりも、もっとこう、〈まず新しい音源を山ほど作ってみて、それらを使ってライヴをガンガンやろう〉みたいなものだったんだよ。だから、アルバムとして一枚にまとめてリリースするってアイデアは、他の連中から出てきたものだったわけ。知人連中、よく知っていて一緒に仕事をしたことがあるような人たちにマテリアルを聴かせてみたところ、みんな〈これはアルバムとして出すべきだ!〉と熱心に勧めてくれてね。ある意味、あれらの音源からこうしてレコードを一枚作ることになったのは、彼らに説き伏せられたから……みたいな。もちろん、やると決めた以上は自分にとって重要だと思える作品の規準をきちんと満たしたものにすべく、自分なりにベストは尽くしたわけだけど、そうは言ってもそもそも〈アルバム〉というフォーマットに合わせて書かれたものではないんだ。僕の他の作品、例えば……『Music Is Rotted One Note』(98年)なんかは、純粋にスタジオ・レコードだったわけだよね、完全に〈ホーム・リスニング〉をめざした内容っていう。あのアルバムに関してはライヴ・ショウはまったく視野になかったし、あのマテリアルをライヴ会場で演奏するってことも全然考えちゃいなかった。恐らくこれから先も収録曲をライヴでプレイすることはないだろう、そういう作品だ。そう考えれば、今回の作品はそれらとは反対の位置にあるのかもね」。

 そんな成り立ちを考えれば、『Damogen Furies』から響いてくるエナジェティックな直情性の正体は明白だろう。アッパーな昂揚感を放り込まれた“Stor Eiglass”でのオープニングから、ポップと呼んでも差し支えのない楽曲そのもののキャッチーな佇まいは実に素晴らしい。これまでにジャズ~フュージョンへの偏愛を通じて複雑怪奇なリズム・メイクに傾倒してきた彼ではあるが、ここではその側面をハードコアに追求した結果、却ってダンサブルに突き抜けたようなトラック群が強い印象を残すものとなっている。

 

多様な反応を引き起こしたい

 そんなふうにサウンドの聴こえ方の部分だけ取り出せば、志向そのものはプレイヤビリティーを発揮した『Hello Everything』(2006年)以降しばらくの路線にも通じるものかもしれない。ただ、ライヴにこだわった結果、今回の収録曲はすべてワンテイクで収録。ポスト・プロダクションとして加工編集を施さないという手法は、同時期にリリースされたスナーキー・パピーの『Sylva』と同じ録音プロセスということになるが、トムの場合は自身のセットアップした緻密な演奏システムによってそれを実現しているのがおもしろい。一人多重録音ではなく、ステージと同じような一人同時演奏の模様が収録されたというわけだ。

 「何かを生で演奏しようとするのなら、それはやっぱりワンテイクじゃなきゃダメだろう。ってのも、生の場ではチャンスは一度きりなんだしさ。まあ、僕が今回の作品のためにデザインしたセットアップというのも、その点に尽きる。だから、すべてをワンテイクで演奏できるようなプロセス、完全にそこを基本としているセットアップなんだ。いったん演奏が始まったらストップしたり、リスタートすることもなく、編集もしない。そうやって、連続する一定の時間の中で一気に演奏できる、そういうものである必要があったんだよ。だから、レコーディングに関して言えば、これほど楽だったことはないってくらい簡単だったよ。自分がライヴをやる時とまったく同じように機材を準備して……つまり、ステージとまったく同じふうにセットアップをスタジオに組んだんだ。で、うん、ライヴの時と同様にシステムを走らせて、それを録音したっていう。だからレコーディングそのものは難しくなかったし、あそこで自分がやったことは、各楽器のパートをミキサーの個別チャンネルに配して、レヴェルを調整して、そのうえで録音ボタンを押したことだ。実にストレート、簡単な話だよ」。

 イメージだけの話をすると、往年のスクエアプッシャー(というか多くのエレクトロニック・ミュージシャン)に対して、実験室で緻密な音のレイヤーを何層にも重ねたり切り刻んだりしているようなマッド・サイエンティストの姿を想像したいという人も多いとは思う。が、「テクノロジーが音楽作りの中に占める領域、そこには常に興味を抱いてきた。恐らくその点は僕のキャリアで一貫して続いてきたことのひとつだと言えるんじゃないかな?」と語るトムにとっては、テクノロジーを駆使することでプリミティヴなやり方を実現することこそが最たる実験だったということだろう。〈せーの〉で一発録りすることが音源の臨場感に繋がるとするなら、マシーンがそれを行った場合はどうなる? 初期衝動なるものはマシーンにも宿るのだろうか?

 ともかく『Damogen Furies』では、長い期間をかけて展開してきたジャズとハードなドリルンベースの融合がこれまでになくダイナミックな形で作品に落とし込まれ、ライヴへと向かうトムの感情を剥き出しにしてくるかのようである。そして、こうした前情報が受け手にどう作用するかも、トムにとっては実験のひとつなのかもしれない。

 「僕なりに考える〈時代を生き抜いて聴き継がれていく音楽〉の概念っていうのは、さまざまな解釈だったりいろんな反応に対してドアを開け放つ、そういう作品なんだよ。もしも一様な反応しか引き起こさないものだったら、そのこと自体が作品の破滅に繋がるんじゃないか?と思う。というのも、録音された作品自体はもう一定の状態から発展することもないわけで、すなわち一様な反応はその音楽を聴く新たな世代にとって何も新しいものを提示しないってことになる。だから僕は、自分の音楽に対して聴き手が特定のリアクションを起こす以上のことをやろうとしているんだよ。それにはまず何よりも、うん、聴き手が反応するようなものを作るってのが第一だけど、それと同時に僕は多数の人間のなかに、多くのいろいろな反応を確実に引き起こそうともしている。だから、ある人が僕のレコードについて意見を述べたとして、でもその意見が他の人とまるっきり食い違っていたりするのを知ると、僕としては嬉しくなっちゃうんだよ。つまり、そのレコードは実に強力な、人々に何かを感じさせるような強い説得力のある、そういう作品だってことだからね」。