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 おそらく能にかぎらず、義太夫、歌舞伎、など、いわゆる伝統芸能と呼ばれているものは、まず芝居として観てしまう。しかし、能に声や四拍子(しびょうし)がなかったら、成り立つといえるのか。歌舞伎も同様。観ている人はかならず〈聴いて〉いる。視覚も聴覚も綜合されたものだ、っていうことがもうちょっとわからなきゃいけないな、っていうのはつねに思う。

――藝大では能を専攻したの卒業生の方は。

「結構、能のお家のお子さんが多いのです。男性はそのままプロになりますが、女性でもお家に男子がたまたまいなかったり。そういう方たちもプロになりますが、男性と比べると舞台に立つのはやはり限られると思います」

――お能の声の出し方、発声は、普通の人に(容易に)出来るものなのか、どうか。また、どう習うのか。

「練習すれば出来ると思います。どう違うのかといえば……でも、発声法とか一切習わないんですよ、動きも同じなんですが。とにかくレパートリーをやってみて、なのです。だから謡っぽい、〈ウォー〉みたいなそういう謡い方をはじめからすると、ダメダメ、みたいな(笑)。とにかく〈アー、イー、ウー、エー、オー〉ぐらいな元気よく子どもが歌うような感じでやってください、って言われて。それから何番か曲を挙げ、三年か五年経ったら、だいぶ出来ましたね、というように(笑)。何にも教えてくれない。身体技法も一緒で、教えてもらえません」

――その時間が、たとえば三年とかかかるとして、その間、密室にいてそれだけやっていてもそうはならない。だから実際そういう舞台を観たりとか、先生とかをとりあえず観たり、周りから染み込んでくるのを待たなければいけない。

「そうです。とにかく、曲を、やるんです。始めから実践をして、下手でもやる。上手な人がやっているのを観たりとか、他の人の稽古を観たりすると、学ぶことは多いのです。日本語が読めたら、日本人だったら結構簡単には出来ると思うんですよ、謡とか。ただ、西洋音楽をやってると難しいかもしれない(笑)」

――音痴だと(いいとか)……

「みんな、すぐ記譜しようとするんです。それで次謡ったときにまた音程がずれるから、すごく焦るんです」

――最初に現代音楽と謡をやろうと思ったのは。

「湯浅譲二さんの“雪は降る”という1972年の作品があります。初演以来演奏されておらず、先生の作品リストにも載っていなかったのですが、たまたま湯浅先生から教えていただいて、コンサート初演しました。謡のための曲です。初演当時は、西洋音楽のアンサンブルが、観世寿夫さんの謡のテープにかぶせて演奏するという感じだったので、ほとんどアンサンブルではなかったのですが、多分、音楽として謡を聴かせるという初めての曲だったんじゃないでしょうか。それをやって、あ、これもアリなんだ、と、それでやろう、と思ったんですね。そうしたところから〈コンサート〉になっていきました」

――舞台とコンサートはちょっと違うもの、と。

「最終的には、現代音楽という新しい音楽の中で謡いつつ、演技も新しくするような、全く新しい音楽劇をやりたい。その下地作りとして、音楽をまず新しく作りたい、というところからスタートしました。でも、やってみると、コンサートとしてプログラミングできる。それが面白い。全く違うスタイルの曲を数曲コンサートで披露できる。ひとつだけだと〈ああ、こういう曲なんだ〉でしょう? CDも同じですけど、こういうのが能と現代音楽なんだな、って思われてしまいがちです。でも、作曲家が違う数曲を演奏すると、能と現代音楽だけど、多角的に見られます。それは、昨夏にやった初リサイタルで面白いな、と思いました」

――プログラミングは。

「難しいですね。ただ、プログラミングがいいコンサートに自分がお客さんとして行ったりすると、すごく面白い、そして、全部がひとつとして完結されている感じを抱くことがあります。音楽学部を出てるくせに、音楽のことを今までよく知りませんでした。現代音楽の世界でやり始めたのは、2008年くらいからなんです。それから勉強し始めたと言えます。精神としては、わからないことはまずやってみよう、ですね。お能も舞台上で何が行われているか謎じゃないですか? 本を読んで勉強するより、やったほうが早いな、といったところがあるわけです(笑)。それで、現代音楽もやったらよくわかる、ただ聴いているだけより作曲家のいうことがよくわかったりするとやっぱり面白いんですね」

――フィールドが能と現代音楽ということで、こうした活動をつづけていくなか、将来的に考えていることは。そう遠くないうちに、多分全然違うオファーがくるかもしれない。別のフィールドからも。謡わないで、動くだけ、とか……。

「マドリッドでやったヴォルフガング・リームのオペラ『メキシコの征服』がそうでした。完全に身体表現だけの役。このオペラは、アントナン・アルトーによる戯曲が基になっていて、メキシコの最後の王モンテズマとスペインの将軍のコルテスとの出会いが描かれているんです。私の役のマリンチェは、実際に存在していた、二人の通訳をやっていたメキシコ人女性で、コルテスの愛人であったといわれています。オペラでのマリンチェの役割は、黙役で、身体表現で通訳をする役なんです。しかし、通訳が通じなくて、誤解が生じ、悲劇を生んでしまう役です。アルトーが能に影響を受けていたこともあり、日本の能の役者、そして女性であることから今回起用されることになったわけですが、そこまで意図がすごくはっきりしているものだと、やるのはとても面白かったです。

 ただ新しい曲に合わせて舞ってください、というのはちょっと。。そういうオファーが多すぎたから敢えて自分で、作曲家の人に声のための曲を書いてください、ってことを言ったわけですが、そうじゃなくて迂闊に頼むと、舞のための曲が出てくるんですよ」

――何でもいいから動いて、と。

「そうです。ダンスのために書く曲だと思っている人がたまにいるので、そうじゃないことにしてください、って敢えて言っていました。今後は、私のために作られた舞台作品もありますし、そのときはもちろん演出家と一緒に作っていって、謡うし演技もしたいと思っています」

──今後のご予定は?

 「7月にハンガリーで〈バルトーク・フェスティバル〉があり、エトヴェシュの70歳記念コンサートで『Harakiri』を演じます。今年の後半は、マドリッドとビルバオで、スペインのアンサンブルとの共演で、室内楽のコンサートとリサイタルをやるのですが、そこで『Harakiri』も演奏する予定です」