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【IN THE SHADOW OF SOUL】第74回 デヴィッド・ラフィン(1)

わがままに天賦の才を浪費して生きたソウル春団治

【IN THE SHADOW OF SOUL】第74回 デヴィッド・ラフィン(1)

 眼鏡の似合う長身の色男。同時にエゴイストでクスリに溺れてしまうなどトラブルの絶えない男でもあった。モータウンで同じく波乱万丈の人生を送ったマーヴィン・ゲイがナイーヴな紳士とされる一方で、このデヴィッド・ラフィンは〈悪者〉のイメージが強い。タミー・テレルとの関係にしても、スウィートなデュエット相手となったマーヴィンに対し、恋仲にあったラフィンは妻子持ちでありながら結婚を申し込み、暴力までふるうというタチの悪さ。その暴れん坊ぶりは、NBC制作のTVドラマ「ゲット・レディ! 栄光のテンプテーションズ物語」でも誇張気味に描かれていた。が、私生活がどうあれ、シンガーとして輝かしい実績を残したことは事実だし、男気と哀愁がない交ぜになった無骨でハスキーなヴォーカルは、没後20余年を経た現在も聴き手の心を揺さぶり続けている。

 

 

 1941年1月生まれで、出身はミシシッピ州メリディアン近郊。10代でディキシー・ナイチンゲールに籍を置いたように、音楽活動のスタートはゴスペルだった。が、16歳でデトロイトに移住するとサム・クックに刺激されて世俗音楽に転向。58年にヴェガからリトル・デヴィッド・ブッシュ名義のシングルでソロ・デビューを果たし、60年代初頭にはアンナチェックメイトからもシングルを出した。それでもヒットには結びつかず、63年暮れ、売り込みを経てテンプテーションズに加入。すると、全米1位を獲得した“My Girl”をはじめ、“Since I Lost My Baby”“Ain't Too Proud To Beg”“I Wish It Would Rain”など、ラフィンがリードをとる曲は立て続けにヒットしていく。だが、こうした成功を自分ひとりの力だと勘違いしたラフィンは金銭や待遇面に注文をつけはじめ、グループ名に自身の名を冠することまで要求。だが、そんな身勝手な要求を、調和を重んじるテンプスが許すわけもなかった。

 それでもラフィンのスター性に惚れ込んでいたモータウンは、ソロ歌手としての道を新たに用意。69年には早速“My Whole World Ended(The Moment You Left Me)”がヒットし、兄ジミーとの共演盤を含むアルバムも高評を得る。が、精神面だけでなく音楽面においても過去の栄光を引きずっていたラフィンは、サイケデリック・ソウルで時代の先端を進むテンプスに水をあけられていった。ヴァン・マッコイと組んだ“Walk Away From Love”(75年)でソロとして初めてR&Bチャートを制覇するまでラフィンは燻っていたのだ。

 ジェントルな歌い手として再起を図ったラフィンは、マッコイと3枚のアルバムを制作し、79年にワーナーへ移籍。80年代にはテンプスの同窓会企画となる『Reunion』(82年)やホール&オーツのアポロ・シアターでのライヴ(85年)に元同僚のエディ・ケンドリックスと参加し、それがエディとのデュオ・アルバムへと結実。90年前後にはモーターシティで録音し、動向を期待されていたところ、91年6月、薬物の過剰摂取が原因でフィラデルフィアにて息を引き取ってしまう。50歳だった。……あれから23年。新たな伝記本も発表されるというこのタイミングで、ラフィンの俺様節を浴びてみるのもいいだろう。
 

▼関連作品

左から、アンナ音源を収めたコンピ『One Of These Days: The Anna Records Story 1959-1961』(One Day)、テンプテーションズの65年作『The Temptations Sing Smokey』、同82年作『Reunion』(共にMotown)、ホール&オーツの85年作『Live At The Apollo With David Ruffin & Eddie Kendrick』(RCA)
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【DISC GUIDE】

ジェントルなトラブルマンの歩み
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