COLUMN

PETER EOTVOS コンポージアム2014「ペーテル・エトヴェシュを迎えて」

作曲家/指揮者のペーテル・エトヴェシュを迎えた〈いま〉の音楽を聴く公演が開催

photo by Marco Borggreve

 

 早くおこなわれればいい、早く行きたい、観たい・聴きたい、うずうず、ってかんじのコンサートはなかなかないものだけれど、5月におこなわれる『コンポージアム2014 ペーテル・エトヴェシュを迎えて』は、3月末現在、わたしが個人的にもっとも楽しみにしているものとしてある。

 エトヴェシュ《スピーキング・ドラム〜パーカッションとオーケストラのための4つの詩》が件の、ステージ演奏でぜひとも接してみたい作品だ。オーケストラの編成は小さい。打楽器だって、古道具屋が引っ越してきたような大量の、珍しい楽器がならぶわけではない。だが、おもしろい、たのしい、のだ。1983年生まれのパーカッショニスト、マルティン・グルービンガーの身体あってこその作品である。

 中心となるのは西洋化された打楽器群だが、モノを叩くという原初的な行為と発音、ことばが結びつき、オーケストラと協奏する。パーカッショニストは演奏家であるとともに──演戯者であり役者であり、「みられる」存在だ。意味は特にない──用いられているのはヴェレシュ・シャンドル──のテクストだけれど、口から発すると何かに似てしまう音、オノマトペとか音あそびとか、そうしたことと叩くこととが結びついている。声として発し、身ぶりとして示し、叩き、音としてたちあげる。これが行ったり来たりする。音を発すること、音が音楽になることの謎が刻印されている。

【参考動画】MARTIN GRUBINGERとPETER EOTVOSによる“Speaking Drums”についてのトーク&演奏映像

 

 グルービンガーは、顔、顔の表情までも動員だ。ときにはサミー・デイヴィス・ジュニアか? と、ときには林英哲か? と連想してしまうのは、エトヴェシュの近年の作品がさまざまな音楽を貪欲にとりいれていることによる。また音・ことばというところでは、『ペーテル・エトヴェシュの室内楽』(5/21)で演奏される、青木涼子が謡う《HARAKIRI》ともつながってくるだろう。オーケストラのひびきはけっして耳慣れぬものではなく、それでいてオーケストラを熟知しているがゆえの無駄のない、豊かさを生みだしてゆく。しかもエキサイトがある。こうした作品をこそ、若い人に生で接してほしい。コンサートとは一回きりのもの。実際に足を運んで、これこそ若い人に、と思ってもその時点で遅いということがしばしばだ。だからこそ、ここでは強調しておこう。こういう「いま」の音楽がある、と。

 《鷲は音もなく大空を舞い》《2011/2012》は《スピーキング・ドラム》に近く、ときに映画のなかでひびくような部分さえあり、親しみやすい。しかも調性的なひびきをおそれていないところも共通する。おなじエトヴェシュ作品でも《ゼロ・ポインツ》(1999)はすこしスタイルが違うようでもあるが、それでも、この作曲家ゆえのドライヴ感や音色の重ね、そして時間のながれのなかでの音の質の変化はしっかり生きていて、ライヴでの醍醐味を予感する。

 エトヴェシュ自身のオーケストラ作品3つとリゲティの2作品を組みあわせた5/22のコンサートは、20世紀後半から現在のオーケストラというメディアの、ひとつの方向を明確に提示する。リゲティの《メロディーエン》《サンフランシスコ・ポリフォニー》は、多数の線によって織りなされる文字どおりのテクスチュア。もっと前にはクラスターと捉えられていたものが、じつはこうした線の重なりだと「みえて」きたときの驚き、そしてそこにある瞬間ごとに生みだされては消える「うた」の、「声」の混淆。晩年から没後、さらに現在までリゲティへの評価は上がりこそすれ下がることはなく、それも、やっぱりリゲティは、と再確認されることも多い。1970年代に書かれた先の2作品は、欧米ではオーケストラの定期演奏会にのぼることがあるものの極東ではあまり機会がない──昨年神奈川フィルで《アトモスフェール》はあったけれど──ので、単純に有り難いしうれしい。

 ペーテル・エトヴェシュは21世紀になってN響の定期にも客演し知られるようになったが、ヨーロッパでは1970年代から活躍している。わたしが知ったのは80年代だったのだが、ブーレーズをついでアンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督になっていたので、パリでは街中のポスターでもよく見掛けた。ヨーロッパの作品と合衆国の作品とクラシックとをまったくおなじスタンスで指揮するところに、わたしは勝手に希望を見出していていた。だって、考えてみればいい。シュトックハウゼンマデルナと、ケージと、ライヒアダムス、さらにはファーニホウとかもレコーディングしてしまうのだから。こんな指揮者、しかも作曲もする人物、前の世代ではいただろうか?

 エトヴェシュは、1990年代、舞台においてこの列島のアーティストと何度も組んでいる。特に山海塾主宰・天児牛大の演出とだ。1997年、バルトーク《青ひげ公の城》を指揮(東京国際フォーラム)。1998年にはチェーホフ原作による自作の《三人姉妹》、さらに2008年の《レディ・サラシナ》(ともにリヨン歌劇場)。これら作品への中西夏之や故・山口小夜子らの参加も忘れることはできない。

 インタヴュー時に印象的だったのは、エトヴェシュは「オーケストラは時代によって変化してきた。18世紀には18世紀の、19世紀には19世紀の。だが、20世紀(に独自)のオーケストラというものはない」との発言だ。時は移って、21世紀は10年以上が経った。エトヴェシュは今年で70歳。「21世紀」のオーケストラなるものについて、あらためて、この作曲家=指揮者とはなしができたら、とおもったりもするのだが、その前に、まず、コンサート! だ。

 


 

東京オペラシティの同時代音楽企画
コンポージアム2014
「ペーテル・エトヴェシュを迎えて」

5/22(木)19:00開演 ペーテル・エトヴェシュの音楽
ペーテル・エトヴェシュ(指揮) マルティン・グルービンガー(パーカッション) NHK交響楽団
【曲目】リゲティ:メロディーエン(1971)エトヴェシュ:スピーキング・ドラム~パーカッションとオーケストラのための4つの詩(2012/13)[日本初演]リゲティ:サンフランシスコ・ポリフォニー(1974)エトヴェシュ:鷲は音もなく大空を舞い(2011, revised ver.2012)[日本初演] エトヴェシュ:ゼロ・ポインツ(1999)[日本初演]

5/25(日)15:00開演 2014年度武満徹作曲賞本選演奏会
審査員:ペーテル・エトヴェシュ 杉山洋一(指揮)東京フィルハーモニー交響楽団
【ファイナリスト】シラセート・パントゥラアンポーン(タイ):覚醒/静寂 ティモ・ルートカンプ(ドイツ):ブラック・ボックス 大胡恵(日本):北之椿─親和性によるグラディション第2番 ─ 
ジョヴァンニ・ダリオ・マンジーニ(イタリア):かくて海は再び我らを封じた
会場:東京オペラシティ コンサートホール
www.operacity.jp/concert/compo/2014/

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