濱口祐自のはみ出しインタヴュー続編のテーマは〈これから〉。〈ゴーイング・ホーム〉のその先について。インタヴュー中、彼が終始口にしていたのは「やっぱり紀伊半島でやりたい」ってこと。話の入り口は、何物にも代えがたい地元・紀州の魅力について。

*最新作『濱口祐自 ゴーイング・ホーム』についてのインタヴューはこちら

*はみ出しインタヴュー1はこちら

 


 

「6月に米子へライヴしに行ったんやけど、田辺に着いたときに空気が違うって思ったもん。不思議なんやけど、〈味〉がええ気がした。びっくりした。人間って生まれた場所の情報が本能にインプットされたあるって思ったわ」

――山と海の風がブレンドされた独特の空気なんですよね。

「生まれ育った町じゃない田辺ですらそう思うんやから、地元やったら余計やろの。紀伊半島で生まれた人間は、あの空気に惹かれてしまう何かが元々あるんやと思う。でもまぁ今年は地元以外でもライヴこなしていかんならんし、当面のところは、明日のライヴに専念する、って状態が続くやろの」

――長期的な目標より、明日、今週末、良い演奏できるかどうかが大事。

「それやろの。それしか考えてない。ずっとそうやって生きてきたし、これからもそうやろ。目の前のことに全力投球する」

――地元のことが無性に恋しくなるのは、やはり友達の存在が大きいでしょう。

「そうやの。荒尾くんとか(連載第6回参照)。音楽のことはあんまり知らんけど、そういう仲間と酒飲んだりしながらアホ言い合えるのも大事なんちゃあう? もうじき友だちの豊くんが新宮で店出すんやけど(熊野路バル〈とん吉食堂〉)、俺は音楽担当やから、帰ったらミックスCD作らなあかんし、お店の配線しに行ったらなあかん。俺が手伝いに行くまで、とりあえずラジカセで音鳴らしといてくれ、言うてあるんや」

――ところで、いまたっぷり時間が作れたら何をやりたい?

「やりたいことは特にないけど(笑)。暇をみてはギター改造したいけど、時間があってもどうせ浜で友だちと酒飲んで、少し抜いて、って生活の繰り返しやろ。旅行も興味ないっすねぇ」

――それっていまの生活でも十分にできとることやね。

「そうなんや。そう考えたらぜんぜん不自由ないんや。別に欲しいもんないし。欲しいもんはだいたいヤフオクで手に入るしのう(笑)」

――明日のことはわからない。そういう生き方を選ぶのに何かきっかけでもあったんですか?

「ようわからんけど、先が分ってしまったらおもしろないからちゃあうん? でも、オヤジも似たようなことをよう言いよったね。徐々に似てくるんやね、価値観が。オヤジが好きやった花とかもだんだん好きになってきてのう。コスモスとかどうなんや?って思いよったのに、だんだん良いように思えてきたりよう」

――父・武さんも遠洋漁業に出られていたわけで、明日をも知れぬわが身って感覚はつねに持ってられたと思うんですが。

「そうやねぇ。テキ(彼)が航海に出とったのは無線機なんか無い時代のことやもんのう。そういえばこないだ、結婚式で昔隣に住んどったまあぼうちゃんに会うたとき、ユウジんとこの家は異様やったぞ、って言われてね。子供の頃に家へ行くと、暗くした部屋にマニアらしき人が集まって、みんなでじ~っと日本刀の刃文を見いよったなぁ、って(笑)。言われるまで、ぜんぜんそんなこと考えもせなんだ。普通な光景やと思っとったから、あ、そうやったんかって」

――お父さんの日本刀コレクションは相当なものだったんですよね。でも、その光景は小学生の目から見たらかなり異様や思う(笑)。

「オヤジにとっては、飯食って晩酌して気分が良うなったら日本刀を出してきて、ポンポンって打粉かけるのが至福やったからのう」

――いろいろお話を聞いていると、武さんは勝浦でも独特な存在やったってことがわかるんです。

「そりゃそうや。あんな漁師町であんだけ芸術わかった人間おらなんだやろ。画家やら刀匠やら何でも知っとったよ。テレビの鑑定番組に出てくる芸術家の名前とかほとんど知っとったもん。相当勉強しとったね」

――それは歳をとられてからのことなんですかね?

「いや、若い頃からずっと勉強しとったんちゃあう? 刀は40代の頃からやっとったことは確かやね。好きになったきっかけは、訊いてない。那智に川上さんっていう刀鍛冶がおって、その人とツレやった。オヤジは軍鶏もやっとったから、その仲間も多かったね」

――濱口三兄弟のうち、お父さんからの影響をいちばん受けているは誰だと思います?

「う~ん……。(次男の)起年もかなり影響を受け取ると思うわ」

――起年さんはユウジさんからの影響も強く受け取ると思うんですが。

「ギターについてはあったんちゃあう? 教えたことはないけどよ。テキ(彼)は勝手に始めとったよ。あとよう、俺だけ母親の姉のほうで育ったからよう。親父がマグロ船に乗る合間に合羽とか下駄とか売る店をやっとって、その店の前におばさんの家があったんや。幼稚園から小学校2年、3年ぐらいまでか、小さいときはそこで暮らしたからね。まだ(三男の)東也は生まれてなかったかな。そこの夫婦は子供なかったから、だいぶ大事にしてもらったわ。自転車でもなんでも買うてもろたもん。当時の子供なんてほとんど自転車持ってなかったわだ。それに、初めてのギターを買うてもろたのもおばさんやしね」

――へぇ~。

「そんで、おじさんはどえらいモダンな人やった。コーヒーはサイフォンでたてとったし、トースターはアメリカの最新式やったし。冷蔵庫にはまだ珍しいコカ・コーラも入っとった。おじさんが大阪の病院行くときによう連れってもろたりしたよ。病気がだいぶ悪くて、俺が小学校2年のときに亡くなった。その日のことはいまでもよくおぼえとるわ。そんな家でいろいろええ経験させてもろてね。そやから、三兄弟のなかでも裕福に育てられたんや」

――ギターを買ってもらったのは、デカいですね。

「そうや、あれを買うてもらってなかったら、いまの自分はないかもね……。そやけど、60歳を前にして、音楽を好きな人たちの間でこうしてちょっとは名前が広まったのはギリギリOKやったかもしれんね。まぁ、別に人に知られなくてもよかったんやけども。起年はいっつも言いよったよ、お前このまま知られんまま死んだら、あそこのおじさんギター上手かったのうで終わりやぞ、って。俺はそれでもええと思とったからね。もうすでに『竹林パワーDream』を残してあったし。表現したいことはあそこにだいたい入れることができたもんね。でもみんなから、ブルースだけのCDも作ってくれよ、って声も多かった。そやから〈フロム・カツウラ〉でブルースの曲を入れられてよかったわ」

――『竹林パワーDream』は人生をかけて作ったアルバム。聴くたびに若い頃のユウジさんを見つけることができる。

「そうかものう。でも作ったけども録音してない曲はまだまだ多いからね。まだまだ作品を残していかなあかんって気持ちは強いよ」

――年に1枚のペースはさすがに大変やとしても、コンスタントに出し続けていってほしい。1回訊いてみたかったんですが、ユウジさんが考える音楽家としての理想的な幕切れとは?

「理想なんてないよ。かなり自由にしとるし、いまが理想なんちゃあうん?」

――もし明日演奏できなくなってしまったとしても、悔いはない?

「どうやろ。わからんけど、つねに後悔するようなライヴだけはしいたぁないと思いながらやっとるけどのう。自分の納得のいく演奏ができて、客にも喜んでもらって、美味い酒が飲めて、ツレと笑いあう。それがしあわせやのう」

――まさに“しあわせ”に描かれている生活が至上の理想なんですね。

「そうそうそう。みんな大金持ちが人生の成功者やと言うけど、それはちゃあうと思うけどね。食うに困らん程度の小銭があって、自分の納得のいくことをやれるのが人生の成功やと思うけどのう。億万長者がハリウッドに別荘立てた話とか聞いても、ぜんぜん羨ましないもん。だいたい豪邸とか建てたけど、足を踏み入れん部屋とかいっぱいあるんちゃあうん?」

――どんな富豪でも、ズボンが2本穿けるわけじゃないし。

「そうやで。意味ない思うわ。小金持ちのほうが何かとええんちゃあうか? ま、何千万も持ったことないよってわからんけど。ドラマティックな人生なんて望んでないしのう。ま、あんまり粗末なのはあかんけどのう。健康に生活できればええんちゃあう?」

――じゃあ音楽家としての夢ってどうですか? 前に、ランディ・ニューマンと共演してみたい、なんてこと言うとったけども。

「いまは別にないのう。客でライヴ観に行くのは好きやけど、誰かとセッションしたいとかないかな。だいたい好きなミュージシャンの(演奏の)パターンってわかっとるからよ。もう何遍もアルバム聴いとるから。昔っからこういうふうに生きていきたいなぁ、と考えながらやってきて、だいたいそのとおり実現できたから、夢ってもうないかな。さすがにギターだけの暮らしになって生活が苦しくなったときは、どうしようかなと思ったよ。無一文になったとき、あれは虚しいね。結構くるもんやで。3回ぐらいあったけど。1回、栄養失調になったこともあったのう」

――パスタばっかり食べとったせいで味覚障害になって、これで人生終わりやと思ったあのときのことですね。

「でも、不思議なことにいっつもギリギリのところでオファーが来るんやからね。どうにか1か月生活できるぐらいのギャラがもらえるようなライヴのオファーが。そやから、いつでも人前で演奏できる用意さえしとけばなんとかなる。技術と機材と、音作りに対する知識をつねに稼働できるようにしとくと。出刃はつねに綺麗に研いどかなあかん」

――ユウジさんと話しとるときにいつも出てくるのが、上には上がおるんや、俺はまだまだや、ってこと。自分の才能に対してそこまで謙虚なのはどうしてなのかと。

「才能のあるギタリストの良さがあまりにも解り過ぎるからやろね。どえらいカッコええ音使いとか聴くと、これは俺の感性にないな、テクニックもかなり上やな、って思ってしまうことがよくあるね。論理的な部分をかなり把握してやっとるな、っていうふうに、音からその人の持っとる知識とかすぐにわかるし」

――ただ、彼らと自分とはまったく違う存在なんだと認識もできているんですよね?

「うん、まったくそのとおりやってみよう、なんて気持ちはぜんぜんないんやけどね。やっぱり自分の良さも認めたいからよう、長所を伸ばしていったらええんやないかと思う。欠点を克服するのにかける時間はもうあんまりないわな。とにかく自分の音楽を気に入って聴きに来てくれて、気持ち良いと思ってくれる人がおるんやから、自分にしか描けん世界をきちんと作り上げたいと思うわ。そのためにレヴェルの高い演奏を聴くのは大事。最近のロベン・フォードとか見とると、人間ここまで演奏力を高めることができるんかと思わされるもんね。あとそんなに知られてないけど、カントリー系のギターを弾くスコッティ・アンダーソンもどえらいええギター弾くのう。テキはヤバいわ!」

――まだまだ自分は発展途上だという意識を持ってるってことやね。

「ええところがあったら盗んでいかんとあかんからね。まったく同じものをやる必要はないけど、これは採り入れられそうってアイデアはいつも探しとるよ。それでネタをどんどん増やしていく。それしかないもんのう、楽器が上手なる方法って。自分ひとりじゃまったく考え付かん奏法とかもあるから。そういうものを参考にしつつ演奏を進化させていくタイプやの、俺は。ただ、進化のスピードは遅いけどの。咀嚼して学習しながら自分流に仕上げていくのにだいぶかかる」

――なるほどなるほど。

「ただ、ええメロディーを作れるかどうかはその人の感性によるものやろのう。なんだかんだいうて、音楽家としていちばん大事なんはええメロディーを作ることに尽きるんちゃあうん? もちろんええサウンドと併せて。究極は、曲やね」

――それはずっと言い続けてらっしゃいますね。どんな場合もまずは曲ありきだと。自分が素晴らしいと思う曲をいっそう魅力的に響かせるためさまざまな試行錯誤を繰り返しているって。

「そう。初めて聴いても、ええ曲やな~、誰の曲!?って反応してしまうような名曲を書きたい。理想とするメロディーを持ったオリジナルをもうちょっと増やしていきたいのう。それから自分なりのアレンジをいろいろ試してみたい。この秋は〈枯葉〉をライヴにかけるのもええかなぁ、と思っとるよ。ジャズ風にはできんから、あくまでも自分風にね」

――年齢を重ねるにつれて自分のこの先表現方法がどう変わっていくのか考えたりすることは……なさそうやね。

「そういうことはあんま想像せんのう。病気とかして手が動かんようになってしまわん限り、スタイルもいっしょやろしのう。苦手を克服するのはどうせ無理やろし。やっぱり長所だけ伸ばしていければええんちゃあうか」

 

 

――勝浦の知り合いからもしょっちゅう訊かれることやと思うんですが、〈竹林パワー〉はもうやらんのですか?

「人生であんまり同じことをやりたくないのう。たぶんやってもまたいっしょやと思うわ。だいたいどういうふうになるか予想がついてしまう。それに、店は客で行くもんや、絶対(笑)。酒場は客で行かなよう。かいだり(疲れる)もんのう」

――でも、演奏だけは何度やっても飽きることはない。それは当然だけど、結果の予想がつかないからなんですかね?

「それは音楽が好きやからちゃあうんか。BB・キングとか聴いてもそうやけど、ブルースなんてどんな展開かわかっとっても気持ちええやん。全部わかっとるはずやのにやっぱり気持ちよくなってしまう、そういうのがええ音楽やろし、それが本当に自分に合うとるもんなんちゃあうんか」

――そういう意味では、ユウジさんにとって店をやることってそれほど大切なことじゃなかった?

「インテリアは大好きやったけど、店の営業自体はそうでもなかったよ。いまでもインテリアは興味あるけど、あんまりやり過ぎると手を痛めるしのう。ギター弾いて喜んでもらえて生活もできる、っていうのが許されるんやったらずっとそうしていきたい。この歳になってようやく安定してきたんかなぁって思うわ。リピーターのお客さんも多くなってきたし。間違ってなかったんやろな、と感じる。選んだ道がのう。あ、選んでないか、勝手にそうなっていったんやけど(笑)」

――いまこうして日本中に友だちが増えて、これからもどんどん増えていくんでしょうね。

「ええよね。楽しいよね。音楽のなかに感情を込めてあるから、それを気に入ってくれたということは、会うたら人間としても気に入ってくれるやろ、と信じてライヴしに行っとるからよ。いまはほんとに気の合う人にようけ会えとるしのう」

――僕が願うのは、もう弾けんわ、とか弱音吐きながらも、ギターを絶対に離さずとことん自身の道を追求してほしい、ということですかね。

「そうやね。ハンク・ジョーンズのようにね。あの人も立派やったのう。そのためには、なるべく飲みすぎず、なるべく酒で失敗することないようにせんとあかんですね(笑)。二日酔いの日を減らさんと。でもなかなか難しいんやな、これが」

 

 ★連載〈その男、濱口祐自〉の記事一覧はこちら

 

PROFILE:濱口祐自


今年12月に還暦を迎える、和歌山は那智勝浦出身のブルースマン。その〈異能のギタリスト〉ぶりを久保田麻琴に発見され、彼のプロデュースによるアルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』で2014年6月にメジャー・デビュー。同年10月に開催されたピーター・バラカンのオーガナイズによるフェス〈LIVE MAGIC!〉や、その翌月に放送されたテレビ朝日「題名のない音楽会」への出演も大きな反響を呼んだ。待望のニュー・アルバム『濱口祐自 ゴーイング・ホーム』も好評を博しており、10月6日(火)には渋谷WWWで久保田麻琴がライヴ・ミックスを行い共演者として高田漣を招くライヴを開催! 最新情報はオフィシャルサイトにてご確認を。