13年ぶりのエイフェックス・ツインに続いては、9年ぶりのAFX! 謎めく『Orphaned Deejay Selek 2006-2008』をあなたはどう受け止める?

 旺盛な創作意欲と精力的なリリースへの熱は似て非なる別物であるからして注意が必要だったりはしますが、ここしばらくのリチャードD・ジェイムズにはその両方が満ち溢れているのでしょうか。唐突にして周到な下準備のもと、昨年9月にエイフェックス・ツイン名義で13年ぶりのオリジナル・アルバム『Syro』をワープからリリースして〈復活〉と騒がれたのも束の間、それからわずか4か月後の今年1月には、同じくエイフェックス・ツインとしての新作EP『Computer Controlled Acoustic Instruments pt.2 EP』を前ぶれなしに発表。かつてないハイペースぶりを見せたのも記憶に新しいはずです。そして……今度はAFX名義での新作ときた。もはやセンセーションを狙えるようなタイミングではありませんが、逆に言うとプロモーション的な神話が下駄を履かせないようなタイミングで作品を世に問うてみたいというリチャードの天の邪鬼なピュアネスが感じられる……とまで書いてしまえば勝手な想像が過ぎるでしょうか。

AFX Orphaned Deejay Selek 2006-2008 Warp/BEAT(2015)

 そもそも長い不在を埋めようというサーヴィス精神のような意識がリチャードのなかに芽生えたのかどうかはわかりませんが、少なくとも『Syro』への高い評価や各方面からの賛辞がこの天才を大いに勇気づける結果になったのは否めないでしょう。『Computer Controlled Acoustic Instruments pt.2 EP』の出現に先駆けて『Syro』はグラミー賞の最優秀エレクトロニック/ダンス部門にノミネートされていましたし(最終的には見事に受賞!)、セールスやチャート成績といった俗っぽい指標においても、全英8位(エレクトロニック・チャートでは首位)/全米11位といった好成績を記録したことが、控えめに言っても仙人ならざるリチャードの自信を深めさせた部分はあるのでは?とも思います。2000年代にその姿をあまり現さなくなった明確な理由はわからないものの、それがもしアーティストとして意図的に選んだことだとすれば、90年代に構築した自身のエレクトロニック・ミュージックのスタイルが多くのワナビーを生み出していくなかで埋没してしまうのを恐れたのか、本能的にその深みから身を遠ざけようとする意識が働いたのだと思えなくもありません。つまり、2000年代序盤にピークを迎えたエレクトロニカ旋風のようなものが拡散し、(ブームとしては)完全に落ち着いた現在に至るまでの長い歳月は、エイフェックス・ツインの存在する余地や余白をシーンやリスナーの耳がもう一度作り出すための期間だったのです。少なくとも、昨今のいろいろ混沌としている音楽シーンにおいて、同時にそこには属さないという意識において、リチャードがある種の居心地の良さを感じているのは事実だと思います。

 ……と、つらつら綴ってはみたものの、彼のここにきてのリリース・ラッシュがサウンドそのものを世に問う行為なのだとしたら(あるいは、そうでなくても)、こういう文章や余計な意味付けなどは甚だしくどうでもよい話でありましょう。実際、『Syro』はもちろんですが『Computer Controlled Acoustic Instruments pt.2 EP』の純な電子音楽としての楽しさ、ビートや音粒の何とも言えない快さは、キャラクターや注釈を要しない無記名な完成度の高さによって導き出されたものであったようでもあります。だからして、今回リリースされたAFXのニュー・アルバムも本当は最小限の情報すらない状態で楽しんでみるのが正解なのかもしれません。 

 とはいえ、表題に冠されたのは『Orphaned Deejay Selek 2006-2008』。アルバム・タイトルがすでに情報でした。AFX名義でのリリースは9年ぶりで、その前作にあたる『Chosen Lords』の出た9年前とは、まさに表題にある2006年という年です。 リフレックスから発表されたその『Chosen Lords』は、前年に続いた〈Analord〉シリーズの12インチ群から本人が楽曲を選り抜いてリアレンジも施したベスト盤的な体裁のアルバムでした。つまりタイトルをそのまま鵜呑みにするのならば、今回のニュー・アルバムは〈Analord〉シリーズを出し終えた後に手をつけはじめたトラック群ということになるようです。なお、2005年といえば、95年のEP音源をまとめたCD盤の『Hangable Auto Bulb』が登場した年でもありますし、今作と同じようなサイクル性を感じたり、AFXという名義の使い方について思いを走らせる人もいるかもしれません。

 いずれにせよ、AFXという名義は、リチャードにとって初リリースとなる『Analogue Bubblebath Vol.1』(91年)のリイシュー時に用いられたり(当初はエイフェックス・ツイン名義)、以降の〈Analogue Bubblebath〉シリーズで刻まれてきたブランド名のようなものでもあります。素っ気ない記号のような表記は、アーカイヴ資料のファイル名に相応しいものでもありますし、EPリリース時の『Hangable Auto Bulb』のようにサウンドを通常ラインとは違う方向で気ままに作る際の便宜的なネーミングと捉えることも可能でしょう。そういう意味で、習作のように好き勝手に描き上げた気ままな楽曲をファイリングしてたまに世に出すための名前がAFXだとすれば、今回の『Orphaned Deejay Selek 2006-2008』は非常にAFXらしい区切りの作品だということになりますね。

 90年代テクノやレイヴ作品なんかのヴィジュアル表現にオマージュを捧げたと思しき書体のアートワークは、かのデザイナーズ・リパブリックが手掛けたもの。ここにすぐさま反応できるリスナーの皆さんは、90年代を意識したようにも思えるシンプルな意匠にも耳をそばだててほしいものです。リチャードが衒いなく世に出した電子音楽の美しい世界へようこそ。