進化するというのは新たなことに挑戦することだけじゃない
――ちょっと話を巻き戻しますが、2006年に晴れてメジャー・デビューされます。ここから各地のフェスにたくさん出るようになったんですよね。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのツアーのゲストに抜擢されたというのも大きかったのかもしれませんが。
宮原「確かにアジカンが俺たちを前座にしてくれたのはすごく大きいと自分たちでも思ってて。そこから日本のロック界との接点が生まれた。(バンドとしての)分岐点だったなと思う。あの時の俺らにあんな大きい会場(幕張メッセや横浜アリーナなど)で前座をやらせてくれたアジカンにはめちゃめちゃ感謝してる。フックアップしてくれたってことだよね」
芹澤「ワンマンをやったって300人、400人集めるのがやっとの俺らが5万人の前で出来たんだから」
宮原「ロック・ファンの人たちに俺たちを知ってもらえたわけだしね」
芹澤「〈アジカンがいいって言うなら聴いてやろう〉って心を開いて聴いてくれただろうから」
柳下「しかもその時に知り合ったストレイテナーは、その数年後のコラボに繋がったりとか、いろんなことが始まった」
芹澤「あれがなかったらいまでもロック・ファンの人には知られてないかもしれないし。違う形で進化してただろうけど、もっとアンダーグラウンドなものだったかもしれないよね」
――その方向に行ってたらどうなっていたかもちょっと気になりますが(笑)。
宮原「でも出す音はそんなに変わってない気がするな」
芹澤「出す音はきっと変わってないだろうね。主軸は変わってなかったと思う」
――でもそこがブレることなく、インスト主体のバンドがここまで幅広い人気を得られたというのは、かつてないくらいの出来事ではないでしょうか。
宮原「基本的には自分たちがカッコイイと思ったものを出さないと良くないと思ってる。売れよう売れようとしすぎると絶対ダサイものになるから。この4人がホントにカッコイイと思ったものを出していかないと、誰のためにやってる音楽かわからなくなっちゃうと俺は思うんだよな。それでついてきた結果がすべてだと思うから」
又吉「いちばん最初にメジャーで出した『IDOL』の“IDOL”を、曲が長いからちょっと短くしようかってディレクターに相談したら、〈そのままでいいよ、なんで短くする必要あるの?〉って言われて、これでいいんだ、と。だから周りのスタッフもちゃんと僕らがやりたいようにやらせてくれてるから僕らも作りたいように作れてっていう、良いバランスが出来てるっていうのもあるような気がする」
――本当に良い意味でやっていることが変わらないんですよね。もちろん作品ごとにその時のバンドのモードは感じるので、リスナー的なツボとしてはそこが楽しみなんですが。
芹澤「変えようと思ってないね」
宮原「お蕎麦屋さんに行ったらお蕎麦が食べたいわけであって、スペアザのCD買ったらスペアザの音が流れてきてくれないと俺は困るタイプだから。変えようって気は全然ない(笑)」
芹澤「ラーメン屋も味噌ラーメン専門店だった店が醤油ラーメンを始めたらちょっとな……って思わない?」
宮原「思うね」
芹澤「いろんなことを多角的にやることが本当にいいことなのかって思うし、進化するというのは新たなことに挑戦することだけじゃない。ミクロなもののなかにも進化っていろいろあるわけだし」
宮原「逆に俺が思うのは、ミュージシャンって自分の過去の作品に囚われることが多くて、過去の作品に似てる曲を作ってはいけないと思っちゃってるのね、たいていは。でも俺はそうは思ってなくて、その人たちのなかから自然に出てきたものがすべてで、それがそれまでと似てくるのなんてあたりまえ。俺たちは同じコード進行でも気にしない。それが本当の自由だと思うんだよな、音楽を作るうえで。だから俺たちは過去の作品にも縛られないで音楽を作ってる。結構多いんだよね、自分たちの過去がこうだったから、次はこう変えていこうっていうバンドが」
芹澤「その話の流れですごい格好良いアーティストを知ってる……向井秀徳さん。最近の作品(の歌詞)でも〈繰り返される諸行無常〉って言ってたのね。ナンバーガールの頃から言ってたような、ZAZEN BOYSの初期にも言っていた決まり台詞をいまもなお歌詞にしてる。向井さんがインタヴューでそのことを〈1回使っただけじゃもったいないぐらい良い言葉だから(使う)〉って言ってて。聴いてる人に〈またかよ〉ではなく、〈やってくれました〉と思わせているというのがすごくカッコイイよね」
――確かにそうですよね。スペアザに関して〈変わらない〉というのははまったくネガティヴではなくて、むしろ変わられても困ると個人的には思うかも(笑)。
宮原「1曲好きになってくれたら全部好きにさせてしまえる仕組みだね」
――その流れで言うと、2011年のコラボ・アルバム『SPECIAL OTHERS』は結構衝撃的な一枚だったんですよね。それまでシンガーをフィーチャーすることがなかったバンドが……と。コラボ盤として徹底したというのはある意味潔かったかもしれませんが。
宮原「キャリアを重ねてきて、ミュージシャンの知り合いも増えたというのもあったし、新しいことをやる楽しさみたいなのもあった。これまでと違うところを見せるというのは、CDを売っていくうえでも気持ちのいい展開だし……といくつもの考えが重なって、じゃあやってみようってなったのかな」
柳下「単純に自分たちの作ったトラックにどういう歌が乗って、どういう歌詞が乗るのかというのを聴いてみたかった」
芹澤「それまでやらなかった理由は何物でもなく、自分たちがバック・バンドになるのが嫌だったっていうのが大きい。ゲストを入れること自体は楽しいんだけど、例えばすごく有名なシンガーと全然知られていない俺らがコラボしたら、その人がバック・バンドを引き連れてやってるだけになっちゃうから、そういうのが嫌でそれまではやらなかったんだよね。でも単純に(コラボに対する)好奇心はあったし、ここでは俺たちがリスペクトしてるミュージシャンを集めたわけだから、やりたいことをやってるという意味で変わりはない」
宮原「それまでに作っていた曲のストックには歌モノの曲があるんだけど、それはスキルの問題で俺たちが歌うことができなかったから出せなかった。そういう面でも好都合だなと。(コラボ盤を作ることによって)それらの曲を発表する機会が出来たから」
――なるほど、そうだったんですね! Dragon AshのKjさんなどロック畑のアーティストが多いなかで、MAREWREWとのコラボがおもしろかったですね。まさかのウポポとの共演。
宮原「〈RISING SUN ROCK FES.〉でMAREWREWのライヴを観たんだよね。そしたらヤギ(柳下)が〈MAREWREWとやったら楽しいんじゃない?〉って言いはじめて、それいいね!と」
柳下「物凄い神秘的なライヴをする4人組なんだけど、レコーディングの時はキャピキャピした普通の女の子たちっていう、そのギャップがおもしろかった」
――このアルバムを作るなかで、いちばん印象に残っていることは?
宮原「(コラボした)アーティストごとにあるんですけど、いちばん最初に作ったキヨサクくん(MONGOL800)との“空っぽ”かな。さっき言ったそれまでにストックしていた曲で、それを誰が歌えるか考えた時にキヨサクくんが絶対ハマると思って。キヨサクくんはリハーサルに4時間ぐらい遅れて来たんだっけ?」
芹澤「昼すぎの予定だったのに、夕方の5時半ぐらいに来たの」
宮原「〈うちなータイム〉を感じたよね(笑)」
芹澤「でも特別悪い気はしなくて。〈やあ!〉みたいな感じで来たよね(笑)」
宮原「異文化交流した感じ。それが最初だったからそれ以降もおもしろくなるんじゃないかと思ったな。また違う個性が入ってくるという意味で」
――そして、2012年の〈ものすごい規模の全米ツアー!?〉※。
※NYやメンフィス、ニューオーリンズなどを回り、現地のストリートでゲリラ・ライヴを決行した
芹澤「魔の全米ツアーね。フィジカルが極限に達した。フィジカルでしか語れない」
――そうなんですよねえ。この時のエピソードはムック本(「SPECIAL OTHERS BOOK 2 ~ものすごい規模の全米ツアー!?~」)にもまとめられていたりするので、知っている人も多いと思うんですが、いま振り返ってみてその時に得られたものに気付くことはありますか?
芹澤「アコースティックって結構やれるじゃんという次への橋渡しになった」
宮原「実はアメリカの旅がアコースティック(SPECIAL OTHERS ACOUSTIC)のルーツになってる。アメリカの旅で持って行った楽器たちで演奏して、ちょっと限界を感じたんだよね。もうちょっとこういう音を出したいのにという気持ちがあっても、この楽器だけじゃ足りないってなったりして。でも飛行機に(楽器を)乗っけてストリートでやるわけだから、持ち運びができる楽器がいいとか、そういうことを日本に帰ってからいろいろ反省して出た答えがSPECIAL OTHERS ACOUSTICだったという。アコースティックの曲を作るうえで学んだことが、その後エレクトリックに活かされたりした。アコースティックの曲はピアニカがヴォーカル・ラインの代わりになるから、メロディーから簡単に作れたけど、それがエレクトリックになるとそうはいかない、とかを学んだね。そのメロディー・ラインをどう補おうか、みたいな」
柳下「エレクトリックだと音圧で持っていけるというか、どれだけ踊れるかで作っていくことが多いんだけど、アコースティックだとどうしても音圧だけだと音数も少ないから、逆に空気感だったりメロディーの感じで魅せるっていう。エレクトリックとは全然違うアプローチの仕方、作り方ですごいおもしろかった」
――へぇ~、そんなに違うものなんですね。
芹澤「その礎になったのがNYでのアコースティックだった」
――やっぱり同じアメリカとはいえ、土地によって集まってくる人の雰囲気は違うんですか?
芹澤「全然違うね。NYは都会的な人が多かったし」
宮原「(全体的に言えるのは)日本に比べてめちゃめちゃ音楽に対して寛容」
芹澤「音楽やミュージシャンに対するリスペクトが強い。ミュージシャンって、日本じゃ疎まれることが多いでしょ、外で演奏すれば〈うるせー〉って怒られるし、がんばって音楽続けてデビューめざそうとすれば〈就職しない道楽人〉って言われたり。芸術に対する評価が低い気がする。アメリカだったら、〈ミュージシャンやってる〉って言うと、〈いいねー最高だよね、ミュージシャンって職業は〉という感じ」
宮原「ミュージシャンを応援しようという姿勢がある。NYはせかせかしていて、ウザッたいなと思ってる雰囲気の人もいるけど、ニューオーリンズはストリート・ライヴのメッカみたいなところだから、楽器を広げただけでお金入れてくれたりする」
芹澤「テイク・フリーにしていたCDでも、お金を入れずに持って行く人はいなかった」
――それは素敵ですね!
芹澤「気前がいいっていうよりは、たぶんエンターテイメントを活性化させていく一翼を担ってると思ってるんだよね、一人一人が」
宮原「その通り」
芹澤「お金を入れることでバンドが楽器を買えて、デビューできて、新しい音楽を作り出していく可能性だってあるわけだから」
宮原「自分たちも〈参加してる〉という意識がすごく強いと思った」
芹澤「日本人は忘れちゃってるのかもしれないね、そういう心を。歌舞伎だってさ、合いの手が命なわけじゃない。こっちが歌舞伎を盛り上げてやろうという参加意識が、伝統芸能には確かにあったもので。ちょっとそこがTV的になってるというか、やってる人間と観ている人間との間に隔たりが出来ちゃってる。それはやってる側にも問題があるんだろうけど。アメリカのようにもっと一人一人がエンターテイメントを身近に感じて、自分がその活性化を担ってるという意識を持つようになれば、おもしろいアーティストがもっと出てくるんじゃないかな」