失ったものの大きさが、鬼才に新たなインスピレーションをもたらした――〈無〉をテーマに生まれた新作『Nothing』、そこに存在するものとは?

 〈Hyperdub10〉を謳って10周年のアニヴァーサリー企画を華々しく展開する反面、思わぬ悲報にて深く記憶されることとなったハイパーダブの2014年。レーベル総帥のコード9ことスティーヴ・グッドマンにとっても重要な2人——フットワークのパイオニアであるDJラシャドが4月に、そして長年の相棒であったスペースエイプが10月に、相次いでこの世を去ったのだ。コード9が「11年目は10年目よりもう少しゆっくりやろうと思ってる」と語ったのも理解できるし、結果的に11年目のハイパーダブが予想以上に活動ペースを落ち着かせることとなったのもやむを得ないところかもしれない。レーベルの看板を背負ってきたブリアルが久々の新曲“Temple Sleeper”を発表したのは(それが恒常的な移籍を意味するのかは不明だが)ロンドンのキーサウンドからだったし、ローレル・ヘイローもオネスト・ジョンズに移ってアルバムを出したばかりだ。

ブリアルの2015年のシングル“Temple Sleeper”

 よく考えるとそのキーサウンドではハイパーダブとも縁深いLVがジョシュア・アイデヒンとタッグ作を出したし、そこで活躍したロゴスは再隆盛を迎えるテクトニックにてマムダンスと素晴らしいコンビ作を残している。つまり、ハイパーダブは停滞しても、彼らの推進してきた音楽の遺伝子はさまざまな場所に拡散され、それぞれに創造性の花を咲かせているのだ。

 だが、もちろんコード9が何もしていなかったわけではなかった。ふたたび自身をクリエイションへと駆り立て、完成を見たのがニュー・アルバム『Nothing』である。これは「スペースエイプがソロ・レコードを作ろうという制作意欲を湧かせてくれた」彼にとってソロでは初めてのオリジナル・アルバムだ。

KODE 9 『Nothing』 Hyperdub/BEAT(2015)

「2014年というのは言葉では表しきれないくらいネガティヴなエネジーに溢れていた年だった。スペースエイプが亡くなった後、たくさんの音を作っていたけどそれは破棄して、12月31日に新しいマテリアルの制作を始めたんだ。最初に作ってた音から生き残ったのは、“Void”と“Kan”、そしてスペースエイプのヴォーカルが入った“Third Ear Transmission”だよ。アルバムの大部分は今年の1月に作って、そのあと3、4か月かけてヒネリを加えていったんだ。昔は、アルバムを作る時は数年くらい時間をかけてゆっくり作っていたんだけどね」。

 意味深なタイトルは、やはり〈不在〉から導き出されたもの。それこそ“Void”はスペースエイプが入ることを想定して作っていたトラックとのことだが、そうした思いから始まった作品全体のテーマは、喪失感を乗り越えて別のアイデアへと繋がっていったという。

「〈Nothing〉とはスペースエイプが残した空きのスペースのことだ。でも、アルバムを作っている時に数学のゼロと、物理学の空隙と真空の歴史を読みはじめて、ゼロと空隙と真空というものは〈からっぽ〉な常態ではなく、むしろ〈無〉以上のものであることがわかったんだ。アルバムのテーマは〈無〉だけど、来年スタートする視聴覚プロジェクトの中で俺はそのテーマをより大きく広げている。そのプロジェクトはシミュレーション・アーティストのローレンス・レックとの〈Nøtel〉というもので、真空の、完全にオートメーション化されたラグジュアリー・ホテルで、資本主義の中心の空間を探索しているというコンセプトだ。アルバムのジャケットはそのロゴだよ」。

 その言葉の通り、『Nothing』には空白や空間を活かしたグライミーなトラックが並ぶ。日本盤にのみ収録のボーナス・トラック“Kan”を筆頭に近年のシングルの延長線上にあるジューク・オリエンテッドなミニマル・ビートもあるものの、全体の印象はそれより懐かしくもあり、また新鮮に響くようでもあるのではないだろうか。

「160BPMで作ったのは“Kan”だけで、その他の曲は75/150BPMで出来ているからね。つまり結果的にこの作品は、俺が関わってきた初期のダブステップやグライムのような古い音楽と、ここ数年DJしているフットワークのような音楽の中間の仕上がりになっているし、映像のサウンドトラックも含めて俺が関わってきたたくさんの音楽の結合体なんだよ。俺がそもそもシカゴ・ジューク/フットワークから感じた魅力は、そのスピードと、ヴォーカル・サンプルのチョップのされ方だったけど、今回はスペースエイプがいなかったからなるべく声を使いたくなかったし、もっと空間が感じられるものを作りたかったんだ」。

 そんななかで唯一スペースエイプの語りを用いたのが、先述したインタールード的な“Third Ear Transmission”だ。そこに込められたものの深さは言うまでもないだろう。

「彼の声は2014年の始めにレコーディングしたもので、録ったことをすっかり忘れていたんだけれど、1月にドライヴの中から発見したんだ。スペースエイプを〈音のホログラム〉としてカメオ出演させ、その姿を永遠に残したかったんだよ。そしてもちろん、このアルバムにはDJラシャドの霊も宿っている」。

〈無〉がそのまま〈無〉なのではなく、〈無が有る〉のだとすれば……この『Nothing』にひしめくものの濃密さには計り知れないものがある。コード9の踏み出した新たな一歩を祝福したい。