写真提供:山口情報芸術センター[YCAM] 撮影:丸尾隆一(YCAM)

YCAM委嘱作品
シリーズ第3弾いよいよ始動

 N.Y.を経て現在パリ在住の池田亮司が日本を離れて10数年になる。CDやインスタレーション作品にとどまらず、世界各地でライヴパフォーマンスも多く行っている彼の活動に触れる機会は逃すべきではない。4月からYCAM(山口情報芸術センター)で世界初公開となる新作インスタレーション〈supersymmetry〉 (スタジオA、Bにて、関連する2つの新作を公開)もそのひとつ。池田は既に過去2回YCAMで作品制作・発表を行っており、今回がその委嘱作品シリーズ第3弾となる。

 池田の初期の活動に、パフォーマンス集団〈ダム・タイプ〉のメンバーとしての活動があることはよく知られている。現在集団としての活動は休止状態にあるが、昨年は高嶺格が水戸芸術館で、高谷史郎が東京都写真美術館で個展を開くなど、参加していたアーティストらの注目すべき活動が続く。もちろん彼らの表現はそれぞれ独自性を究めたものだが、さまざまなメディアを限界まで駆使しつつ、身体性との接点を探る点など、通底する部分があるように思う。無機的な運動装置が提示されるかと思うと、一転して生身のパフォーマーの肉声・肉体が白い光の中に晒し出される〈ダム・タイプ〉の経験は明らかに現在の彼らの表現に強い影響を与えているようだ。(高谷展では、池田の音素材を用いた作品もあり、〈ダム・タイプ〉での彼らの共同作業を思い返すことにもなった。)池田の昨年日本でもライヴが披露された〈superposition〉における、機材を操る生身のパフォーマーをステージに登場させるといった展開などは、そうした観点からも非常に興味深い。

 今回の〈supersymmetry〉は、この〈superposition〉をインスタレーション・ヴァージョンとして発展させたもの。会期中に開催されるライヴ〈supercodex〉は既にCDとして発表されている同名作品のライヴ・ヴァージョンにあたるといい、それぞれの作品プロジェクトがインスタレーション~ライヴ・パフォーマンス~CD作品など異なる形態へと展開される、池田の各作品系列の展開の多彩さを体感することができるだろう。

池田亮司 『supercodex』 Raster-Noton/p*dis(2013)

 池田亮司の作品に触れる者は、CDであれ、展覧会やインスタレーション作品であれ、それらを貫く強固な美意識に釘付けにされてしまう。一切の妥協を許さない、というよりも妥協を許せば全ての意味が瓦解してしまうような、精細でありながら脆弱さとは無縁の強固でシステマティックに配された音や点の連なり。それが音響としてだけでなく、視覚的にも数字の洪水や目まぐるしいスピードでスクロールするバーコードの圧倒的な情報・刺激としてあなたに照射される。そしてその視覚情報と音響はまさにリアルタイムにリンクしている。(もちろん音と映像が互いをなぞり合うだけの単純なものではない。時に突然ノイズ的轟音から微細なサイン派音の静寂に切り替わる時も、音響の滝音の残響が脳内で鳴り、網膜には明滅するバーコードや数字の渦の残像が張り付いている。)

 こうした池田作品の視覚と聴覚のリンク感はやがてCDで音響だけを聴いていても、ある種の視覚的イメージが同時に生成されるような錯覚を生む。逆に池田のヴィジュアル作品を見ていても、勝手に頭の中に虚音のようなものが感じられる。コンテンポラリー・ダンサーの金森穣に、池田の音響による作品があるが、音響が身体的座標軸に見事に投影されていて感嘆させられたことがある。池田のヴィジュアル/音響作品の観衆/聴衆の中では、金森のダンス・パフォーマンスほど具体的でも正確でもないにしても、ある種そのような共感覚による自動的生成が行われているのではないだろうか。