COLUMN

「サティ・スフィクション - エリック・サティとともに歩む」 変わり者と称された作曲家の足跡辿るドキュメンタリー映像

エリック・サティ~変わり者と称された、彼の足跡を辿るドキュメンタリー映像

VARIOUS ARTISTS サティ・スフィクション - エリック・サティとともに歩む Accentus Music(2015)

 このDVDは、シュヴァンクマイエルの近年の作品を一瞬思い出させるようなモダンな作りをしている。それがこの作品に似合っていて、観やすくしている。作曲家エリック・サティ自身が書いたイラストに基づくショート・アニメ、サティの作品に基づくイメージ映像のショート・フィルム、その上にサティ自身が書いた言葉が朗読される。また、彼を知っていたコクトーオーリックマン・レイがサティについて語る昔の短い映像も含まれている。サティの研究家、ロバート・オーリッジのインタヴューも重要だ。これらがサティの音楽が演奏されている場面やダンスの場面と共に編集されている。

 本作は、彼が成功した1910年代から後の時代が中心となって構成されている。ここで使われている音楽は、《パラード》、《幕間》、《家具の音楽》、《ヴェクサシオン》等の後期の曲が多いが、今作られた作品といわれても不思議ではないほど新鮮に聴こえて来る。

 彼は“変わり者”として自分を演じた。彼は外に出かける前には自分の決めた姿をしっかりと作り、自分の家には誰も招待せず、自分の本当の姿をあまり見せないようにしていた。人生の殆ど、彼は貧しく、パリから少し離れた屋根裏の部屋に住んでいた。そして、彼にとって人生はつらいものだった。『人生はいよいよ耐え難くなり、自分の土地に引篭もって、象牙の塔の中で過ごす決心をしました』とサティは自分について書いていた。彼はよくカフェでイラストを書いたり、中世時代のような字を含んだ譜面を書いていた。1910年代からラヴェルは彼の《ジムノぺディー》をいろいろな演奏会で弾いてポピュラーにした。1917年のコクトーが企画した『パラード』でやっと作曲家として知られるようになった。彼はすでに55歳。そして、若い次世代の作曲家達、フランスの六人組から時代の先駆者として認められるまでになったのだ。

 それまで、どうやって生きていたのだろうか? オーリッジはそれについてこう書いている。30年間近く、サティは1週間のうち1回から3回は必ずドビュッシーの家に行き、そこでドビュッシーが手料理を作り、音楽、芸術、世間話等しながら、チェスやバックギャモン等のゲームをした。ドビュッシーには音楽や芸術についての話し相手が必要だったからだ。ドビュッシーはサティをシンプルな曲を書くアマチュアとして見ていたところがある。サティの方は、自分の気持ちを隠すようになっていた。作曲家の人生体験や個人的な気持ちを、その人の作る音楽と切り離して考えてしまう人も世の中には多くいるが、このように、彼の本当の気持ちを知る事によって、その人の音楽の演奏はより豊かになると私は信じている。 

関連アーティスト
LOCAL GREEN FES
pagetop