INTERVIEW

KiliKiliVilla安孫子真哉:超ロング・インタヴュー(後編)改めて問うパンクの意義やメディアへの提言、そして〈特別な2年間〉

KiliKiliVilla安孫子真哉:超ロング・インタヴュー(後編)改めて問うパンクの意義やメディアへの提言、そして〈特別な2年間〉

Mikiki史上最長規模の約25,000字にして、特濃の内容となったKiliKiliVillaを立ち上げた安孫子真哉と、彼をバックアップするレーベル・スタッフの与田太郎へのインタヴュー。その後編をお届けしたい。ここでは、KiliKiliVillaの魅力や美学にさまざまな角度から斬り込みつつ、いま鳴らされるパンクの新しさやおもしろさ、そしてMikikiや音楽メディアへの提言まで、ますます刺激的な言葉が並ぶ内容となった。ちなみに、本記事の趣旨やインタヴューに至るまでの詳しい経緯などは前編をご参照いただきたい。

※前編はこちら

 


 

KiliKiliVillaという名前は、僕のなかではカウンターというよりも〈関係ないもの〉という捉え方です。もう会いたい人としか交わらなくていい 

――〈KiliKiliVilla〉という名前は、井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」に由来しているんですよね。

安孫子真哉「ネーミングをどうする?ってときに、安易かもしれないけど皮肉的だったり謎めいてる感じのものは、ぼんやりとイメージしていました。もう引っ越しもして東京も離れて、また音楽に関係ない普通の生活をしようとしていたから、都市の文化について〈関係ない〉って思いもあって。もともと中学の頃に先生に教えてもらった〈吉里吉里人〉は好きで、そこからだいぶ時間が経って実家に帰ったときに本棚で見つけたんです。〈あ~懐かしい!〉というのと同時に、〈キリキリっていいな〉と思って。じゃあ〈キリキリ〉に何をくっつけるかという課題を持ち帰って3人でディスカッションしているうちに、〈ヴィラ〉に落ち着いたというわけです」

――東北の寒村が日本政府から独立する、という小説のあらすじはいままでのお話からするとうってつけのストーリーですね。

安孫子「ほかの世界のことは関係ないんだ、という思いです」

与田太郎「運営方針も含め、いまの有り様に対するカウンターでもありたかったし、いい名前だと思いましたね」

KiliKiliVillaのレーベル・ロゴ

 

安孫子「僕のなかではカウンターというよりも、もっと単純に〈関係ないもの〉という捉え方です。もう会いたい人としか交わらなくていい」

与田「でもその〈関係なさ加減〉は本当に大事だよね」

安孫子「Twitterを始めたときに、レーベルとは別に練習用で作ったアカウントを持ってて、そちらで世間のいろいろな情報収集を昼休みにするのが日課なんですが、だいたい(Twitterで見る情報に対して)イラついて、逆に仕事が捗るという感じです(笑)」

――それは具体的にどういったことに対してイライラするんですか?

安孫子「マスの音楽メディアやミュージシャンの話が多いですかね。あと〈音楽で食うためには〉とか〈大型フェスについて〉とか、そんな話ばっかりなんですよ。あれは本当にぐったりする。気持ち悪い自己顕示欲の塊。何もおもしろさを感じなくて。また〈こんなご時世だから、業界を生き抜く術〉みたいな記事を見ても、まったくドキドキワクワクさせられない(笑)!」

――KiliKiliVillaの最初のリリースは90年代に活躍したLIFE BALLの編集盤『If I Were Your Friend』でした。

与田「実はファクトリーをお手本に(KiliKiliVillaの)レーベル・ロゴを品番の〈001〉にしてて、ウェブサイトを〈002〉にしているんです。いま〈003〉が空いているのは、そこで予定しているバンドから音源が上がってきてないから」

――そうだったんですね。

安孫子「楽しみにしててください!」

――そんななかで、音源のリリースとしてはLIFE BALL(品番はKKV-005)を最初に持ってきたのはなぜですか?

安孫子「去年の夏かな、10月にレーベル発足のアナウンスをする前からいろんな構想を練っていて、〈早く始めたいな〉という気持ちが強くなるなかで〈LIFE BALLの再発がいいかも〉ってアイデアがドーンときた。原体験でありど真ん中という意味では、僕のなかでは象徴的なバンドだったんです」

LIFE BALLの編集盤『If I Were Your Friend』収録曲“Love Me”

 

――LIFE BALLは93年から96年までの短い活動期間のバンドでしたよね。でもGOING STEADY時代にはLIFE BALLの“Because I Love It”をカヴァーしていたり、安孫子さんの活動を追ってきたリスナーにとっては唐突なチョイスでもないというか。

安孫子「僕が上京する前の年(95年)に解散してるんですよね。だからリアルタイムでは体験してなくて。大学受験で上京したときに行ったライヴでは、一部のメンバーでもうDiSGUSTEENSになっていたので」

――安孫子さんがLIFE BALLを知るきかっけは何だったんですか?

安孫子「DOLL(DOLL MAGAZINE、2009年まで発刊されていたパンク系マガジン)の広告ですね。あの頃、ものすごく小さい広告から情報を得てCDを買ったりしてましたからね(笑)」

与田「いまはないよね(笑)。DOLLにレコード屋が出す7インチの広告とかチェックしてたな」

安孫子「〈岐阜メロディック〉だけで買うとか(笑)」

与田「いまはネットの検索でいくらでも情報が出てくるけど、昔はそれしか情報がなかったから。当たりを引いたときの衝撃ったらなかったよね」

安孫子「国内のバンドでいったら90年代の半ばから後半は〈メロディック・パンク〉〈ポップ・パンク〉って書かれたレコードはコンプリートしてたんじゃないかな(笑)。そのなかでもLIFE BALLは特別な存在だったので。サウンドや背景、意味合いも含めて」

――その次に、品番的には〈006〉のCAR10のアルバム『RUSH TO THE FUNSPOT』がリリースされるんですね。

安孫子「企画が立ち上がったタイミングで品番を振ってるので、どうしてもズレてくる部分はありますね。CAR10はさっき(前編で)言ったように大澤(啓己)くん(OSAWA17SEVENTEEN AGAiNのベーシスト)に音源をもらって知って、その後のSEVENTEEN AGAiNのレコ発に出たときに、彼らは群馬だからライヴ帰りに車に乗せてもらって一緒に帰ったり。それから食事もするようになって〈おもしろい子たちだなぁ〉としみじみ思うようになったんです。年齢と育った場所は違えど、なんだか地元の同級生と遊んでる感覚に非常に近くて、すぐに親近感が湧きました(笑)」

CAR10の2014年作『RUSH TO THE FUNSPOT』収録曲“RUSH TO THE FUNSPOT”

 

――KiliKiliVillaのオフィシャルサイトに載っているCAR10のインタヴューのノリもめちゃくちゃですもんね(笑)。

安孫子「あれはギターの櫛田(英邦)くんの実家でやって……ヤバイですよね(笑)。でもいまの若いバンドに対する知識は、ヴォーカル/ベースの川田(晋也)くんに〈周りのバンドいろいろ教えて〉って聞いたところから始まってるんです。SEVENTEEN AGAiNからはパンク・サイドを教えてもらって、CAR10には同世代のインディー・バンドの繋がりから教えてもらったりして。僕の情報収集の最初はその2バンドの存在が大きかったですね」

――その頃のCAR10は、すでにジャンルを超えていろんな人たちと絡み始めていたんですか?

安孫子「やりはじめてましたよ。彼らは高校生の時からバンドをやってるから、若いわりにキャリアが長いんです。個人的にはあの感じでSnuffy Smilesから7インチを出してたことに驚いて。僕はやっぱりSnuffy Smilesに特別な思い入れがあったから」

CAR10がSnuffy Smilesからリリースした7インチ・シングルのA面収録曲“I Don't Meet You”

 

――その流れで、次にいよいよレーベルのコンピレーション・アルバム『While We're Dead.:The First Year』が登場すると。まず思ったのが、北海道のNOT WONKOVER HEAD KICK GIRLTHE SLEEPING AIDES & RAZORBLADESをはじめ、名古屋や京都など全国各地のバンドが揃っているなと。

VARIOUS ARTISTS WHILE WE'RE DEAD. : THE FIRST YEAR KiliKiliVilla(2015)

NOT WONKの2015年作『Laughing Nerds And A Wallflower』収録曲“Little Magic”

 

安孫子「ローカル色を出すことは狙いでした。偏見かもしれないけど、昔はローカルのバンドの多くに対して〈ちょっとダサイんじゃないか〉という目も多少はあったと思うんです。でもいまは都市とローカルみたいな物差しはまったくなくて、地方でコミュニティーを作ってそれぞれがおもしろく育ちはじめている。ネットを上手に活用して、デザインが得意でTシャツを作るヤツがいれば、レコードを買い付けてディストロを始めるヤツもいたり。その象徴的な場所として、札幌や足利、名古屋、京都、岡山なんかが目立ってるのかも。僕が現在知っている限りだと」

※パンク・カルチャーで盛んな、リスナーが近しいバンドの音源を自発的に販売していく営み

――名古屋シーンからはkillerpassMILKがコンピに入っていて、同じく名古屋のTHE ACT WE ACTとkillerpassのスプリット作もKiliKiliVillaからリリースされていますよね。ちなみに名古屋シーンの中心になっているようなバンドはいるんですか?

安孫子「まだまだわからないですね。伝統的にやっぱりたくさんのパンク・バンドがいますし。名古屋にはHUCK FINNっていうパンクに強い老舗のライヴハウスがあるけど、そこはディープなパンクの人たちが中心みたいで、(彼らとそれ以外のジャンルのバンドで)スパッと分かれてる。90年代の頭に同じパンクの旗の下から始まってはいるけど、例えばアンダーグラウンドのパンクの人たちとメロコアをやっている人たちはもはや交わらない。いまは東京でもどこでもどんどんそういう流れになっているのかもしれないけど、名古屋が象徴的という印象があります。ハードコアもパンクもゴチャゴチャで、カッコ良いバンドはいっぱいいるんですけどね」

――MILKをこのコンピで知って衝撃を受けたんです。逆説的に〈耳に優しいハードコア〉というか(笑)。


MILKの2014年の7インチEP『MY E.P.』収録曲“MY”

 

安孫子「あれは衝撃的ですよね(笑)」

与田「ライヴがまた本当にヤバイ」

安孫子「ヴォーカルしかPAを通さない! この逆転した発想には心底〈やられた!〉と思いましたね」

――それから、NOT WONKが知られるきっかけにもなったコンピ『生き埋めVA』をリリースした生き埋めレコーズにも携わる、京都のTHE FULL TEENZとはどこで出会ったんですか?

安孫子「彼らもSEVENTEEN AGAiNのツアーの京都公演で知りました。その日はTHE FULL TEENZの企画で」

THE FULL TEENZの2014年作『魔法はとけた』収録曲“Sea Breeze”

 

――もう生き埋めレコーズもスタートしていたんですよね?

安孫子「してましたね。『生き埋めVA』も出てた。そのときに足利でディストリビュートをやってる子がいて、為替レートが安かったときにバーガーのカセットテープをごっそり買ってストックしてたんですけど、それを50本くらい持って行ったら50~60人しか入らない京都のスタジオ・ライヴだったにもかかわらず、ほぼほぼ売り切れましたからね」

――へぇ~!

与田「京都は音楽的な幅も広い街だしね。ネオアコギター・ポップのようなバンドからパンク・バンドまで一緒になって活動している面もあるし」

――まさにHomecomingsなんかがその中間地点にいていい塩梅で活動してますよね。

安孫子「そうすね~」

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