バンド・ブームやユーロビートの影響で、86年あたりから脱・歌謡曲を図ったサウンドを聴かせるアイドル・ポップが目立つようになるのですが、彼女の楽曲には憂いを孕んだ歌謡曲テイストのものが多く(萩田光雄のアレンジによるところ)、硬質で不器用な歌声と混ざり合いながら、新しい感覚を打ち出していきました。