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SWUNG FROM GUTTERS, DRUMS AND...
〈ポスト・ロック〉の台頭はロック・シーンに何をもたらしたのか?

 レディ・ガガは売れているポップスターかもしれないけれど、あなたの周りの多くの人が彼女のヒット曲を知っているわけではない。しかし、ビートルズのヒット曲なら、まあ、たいていの人は知っている。さて、どうしてこういうことが起こり得るのか。

 ビートルズが天才的なバンドだったこともある。が、それに加えて、誰もが知っているヒット曲の生まれた背景には、ロックの時代における音楽産業の単一的なフロウがある。大よそ英米中心で、メインストリームというものはレコード会社を発信地とし、ラジオ、TV、雑誌を使って形成しやすかった。

 しかし、インターネットが普及した現代社会では、音楽の消費のされ方が変わってきた。多様な個人個人の趣味性をひとつにまとめ上げるのではなく、多様なまま受け止めるようになったのだ。こうして、ひとつのヒット曲の共有は阻まれ、他方では、メインストリームに対抗するサブカルチャーが旧来的な意味での少数派/下位文化ではなく、グローバルに交流する新しい少数派となった。それは音楽性にも影響する。つまり、USのバンドは、必ずしもアメリカ人好みの音を作る必要がなくなった。メタルをやる必要もなければハードコアを貫く必要もない。リスナーは世界のどこにでもいるのだから。

シーフィールの1995年作『Succour』収録曲“Fracture”

 

ガスター・デル・ソルの1998年作『Camoufleur』収録曲“The Season Reverse”

 

 ポスト・ロックの〈ポスト〉とは、言うまでもなく〈それ以後〉〈後の〉という意味である。ポスト・ロックを訳するなら〈ロックの後〉ということ。60年代的な意味でのロックが成立しづらくなった時代におけるロックのあり方、それを最初に顕在化させたのが、90年代後半のポスト・ロック・ムーヴメントだった。トータスはその代表だ。彼らにはかつてのロック・バンドに必要だった〈顔役〉がいない。音楽的にも多様な要素が投げ込まれている。エレクトロニカ、クラウトロック、ジャズ、現代音楽……。また、トータスは〈インディー・バンド〉だが、ライヴハウスを拠点とする昔ながらのインディー・バンドではない。クラブ・カルチャーともコネクトしながら、彼らの音はグローバルに発信された(ヨーロッパではトータスの初期作品をワープがライセンス・リリースし、98年にはオウテカとも12インチのスプリット盤を発表)。

 もちろんその〈ロックの後〉には、旧来のロックへの批判も含まれている。例えばステージ上のスターとそのファンたちというフロウはなくなった。フェイスレスなロックにおいて重要なのは演者の容姿(キャラ)ではなく、音そのもの――。これは初期のDJカルチャーのスローガンでもあったわけだが、ロックというジャンルでそれを実践した最初のバンドがトータスではないだろうか。それは時代の裂け目だ。そして、その裂け目の向こう側こそが、今日のグローバルに交流するインディー・シーンである。〈ロックの後〉とは始まりだった。 *野田 努

 


【PEOPLE TREE】トータス

★Pt.1 コラム〈トータスの足跡〉はこちら
★Pt.2 ディスクガイド〈トータスを知るための6枚〉コラム〈メンバー紹介〉はこちら
★Pt.4 ディスクガイド〈トータスをめぐる音楽の果実〉はこちら