〈無意識〉の部分があるからいい

――ところで、大石さんは以前から大韓ロックは聴いていたんですか?

大石「あくまでも基本的な、シン・ジュンヒョン&ヨプチョンドゥルやデヴィルス、サヌリム、キム・ジョンミさんはCDを買ったりして聴いていましたけど、ただその作品がどういう背景があって作られたのかとか、バック(・バンド)はどういう人たちなのかとか、そういうのは100%長谷川さんに教えてもらって。この本を読む人は初めて見るアーティスト名ばっかりだと思うし、実際僕もそうだったので、最低限の説明は入れました」

シン・ジュンヒョン&ヨプチョンドゥルの74年作『シン・ジュンヒョン&ヨプチョンドゥル 第1集』
収録曲〈ミイン(美人)〉
キム・ジョンミの73年作『Now』収録曲“Wind”

――名前がね……なかなか覚えられないんですよ(苦笑)。それはともかく、私の場合だと、韓国のいまのインディー・バンド――チャン・ギハと顔たちやスルタン・オブ・ザ・ディスコを聴いた時に、それらの音楽の成分にはルーツが見える部分もあるんですが、それだけではない未知の成分が含まれているのが結構気になっていたんです。で、以前ソウルでジャケ買いしたソンゴルメ(*4)のベスト盤を聴いて、わ~これだ!という気付きがまずあって。でもそのソンゴルメがどういう人たちで、また長谷川さんに以前担当していただいたbounceのウェブ連載に登場したシン・ジュンヒョンという人が実際にはどういう立ち位置の人で……みたいな大韓ロックの背景とかも謎で、つまり縦の線も横の線もよくわからなかったんですよね。そういった地図が何となく把握できたという意味でも個人的にタイムリーな一冊でした。

(*4)ソンゴルメ:79年にデビューし、91年まで活動した、こちらも当時を代表するロック・バンドのひとつ

ソンゴルメの79年作『ソンゴルメ 1集』収録曲〈世上万事〉 パフォーマンス映像

大石「あと大韓ロックって、長谷川さんも本のなかでおっしゃってますけど、ここに影響を受けた人がどうしてこうなっちゃうんだろうというのがあちこちに仕掛けられているのがおもしろいんですよね」

――本書中の〈70%のルーツに対する知識と、それをデフォルメした30%の無意識〉という話に繋がるところですね。

長谷川「スルタン・オブ・ザ・ディスコや僕らチャン・ギハと顔たちもそうですけど、いままたちょっと無意識加減が戻りつつあるというか、ソンゴルメとかの後の世代はちょっと〈意識〉しすぎてしまっていて、そこがあまりおもしろくなかったというか、音楽的には優れていたけど、どこか〈無意識〉の部分がないんですよね」

スルタン・オブ・ザ・ディスコの2013年作『The Golden Age』収録曲“Suspicious”

――より本場、本物に近付けようとしていたと。

長谷川「うん。欧米を意識したりとか、情報を意識したりとか、すごくしていたんですけど、いまはそれを超えて情報を整理できるようになったというのがあって、そこからまた無意識が生まれてきたというか。その無意識具合が良くて、ギハなんかも当然ロキシー・ミュージックは聴いているだろうと思ったけど、〈それ何ですか?〉って言っちゃう、その無意識具合が嬉しかったんですよ」

――そこがオリジナリティーですからね。

長谷川「そうなんですよ。ギハのなかではロキシー・ミュージックが歴史上ないものとなっているなかであの音楽ができているわけですから、そこの無意識がおもしろくて、無意識でこういうことができるなら、もっとおもしろいものができるだろうと。あんまり意識させてもおもしろくないから」

――長谷川さんの〈顔たち〉のなかでの役割としては、その交通整理をするというか。

長谷川「ちょっと塩足りないなとか、醤油足りないな、という世界ですよね。その天然な部分を活かして、〈でもこれを足すともっと美味しくなるよ〉と僕が意識を振り掛ける感じ。無意識は活かさないといけないんですよ。昨日(取材前日が顔たちの来日公演だった)在日ファンクのホーン・セクションと共演しましたけど、1度リハーサルをした時に、ギハが〈こういうふうにやるのはどうか〉と提案したら、在日ファンクのメンバーは〈これでいいの?〉となった。その〈これでいいの?〉というのがおもしろいんですよね。僕もサヌリムに参加した時に、最初は〈これでいいのかな?〉と思ったし、〈顔たち〉でも同じようなことがあったけど、それが実はいちばんいい」

チャン・ギハと顔たちの2013年作“I Almost Had It”

――独特の感覚なんですね。

長谷川「理論とか理屈じゃないところなんですよね。理論的に〈これはおかしい〉と言ったらそれで終わっちゃう。だけど彼らはやっちゃう(笑)。コーヒーにケチャップ入れたら当然マズイんだけど……入れちゃう、みたいな(笑)。これは絶対ダメだという意識がまずないわけです」

――本のなかにもそういったエピソードがたくさん出てきますが、長谷川さんが韓国に長くいらっしゃる理由は、こういった韓国の方の人柄を愛おしく感じているからなのかなと思いましたよ。

長谷川「やっぱり〈剥き出し〉なんですよね。〈可愛い〉という言葉に説明を特化しているところがあって、国民性とか人柄に対して〈可愛い〉って思うことはそんなにないと思うんですよ、普通。嫌だなとか素敵だなと思っても。国と国の間にはいろいろあるけど、人だけを見ると非常に可愛いんですよね。昔、地図を広げて道端で困ってると、向こうからワーッと人が飛んできて〈どうした?〉と声をかけてくれて、で、なんやかんや最終的に黒山の人だかりになって道案内してくれたりするサーヴィス精神とか(笑)」

大石「長谷川さんがこうやって韓国の人の日本と違う部分を〈可愛い〉と肯定するところ、前向きに捉えるところに、僕はグッとくるんですよね」

――どんな話をされていても〈そこに愛がある〉感じですよね。

大石「日本以外の国の文化や音楽との距離の取り方という点ですごく勉強になるんです。自分との違い、他の国との違いとどう向き合っていくか、とか」

長谷川陽平, 大石始 『大韓ロック探訪記』 DU BOOKS(2014)

――なるほど。……ちなみに全然話が違いますけど、私はこれまで〈シン・ジュンヒョン先生〉までを一塊として認識していたりして(笑)、大御所の方を〈先生〉と呼んだり、アルバムを〈1集〉〈2集〉とカウントしたり……これも独特ですよね?

長谷川「あ~確かにそうかもしれません。でもこの本で〈ストーン・ローゼズの1集〉と書いてしまったことは後悔していてね……」

一同「(爆笑)」

大石「(笑)。でもあれが〈ファースト・アルバム〉になってたら赤入れてたと思いますよ。すべて〈○集〉で統一、みたいな(笑)」

PROFILE:大石始

旅と祭りの編集プロダクション〈B.O.N〉のライター/エディター。さまざまなメディアでの執筆活動のほか、「関東ラガマフィン」(2010年)、「GLOCAL BEATS」(2011年)をはじめとする書籍の監修/執筆などを手掛けるほか、2012年発表のコンピ『DISCOVER NEW JAPAN 民謡ニューウェーブ VOL.1』をプロデュース。最近ではマヌー・チャオのアートワークを担当しているパリ在住のイラストレーター、ヴォジニアクによるヴィジュアル・ブック「MANU & CHAO」の監修を務めた。