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【IN THE SHADOW OF SOUL:ソウル・ミュージックの光と影】[第103回]栄光のプライド

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プライドに見い出されたシルヴァーズ、その後進への影響

 “Apache”が定番ネタという意味で後世に影響を残したとしたら、本人たちがブレイクして影響力を発揮していったのがシルヴァーズだと言えるだろう。ジャクソン5やファイヴ・ステアステップス、MGM所属のオズモンズといったファミリー・グループと活動時期も重なった彼らだが、もともとメンフィス出身の兄弟姉妹4人で活動を始めた50年代末にはまだ幼児~小児だった。LA移住後に兄弟は増えるも父親が出奔してしまい、貧しいなかでレコード・デビューの機会を窺っていた彼らは、曲作りに才を発揮した長兄のリオン・シルヴァーズ3世を軸に実力を磨き、やがてタレント・ショウでMGMの目に留まることとなる。そうしてプライドから世に出たのが6人組のシルヴァーズだった。

 J5人気が絶頂の頃だけに少年の歌声をキーにした狙いは明白だが、そこに青年の男声や女声も入り交じる個性が彼らをバブルガムには終わらせなかった。また、最初から自作曲メインだったことを思うと、リオンの才能は周囲も認めていたのだろう。弟フォスターのデビュー・ヒット“Misdemeanor”もリオンの作で、同曲の印象的な導入部はDOC“It's Funky Enough”やシャイン“That's Gangsta”、ゲーム“Bompton”など多くのヒップホップ名曲に転用されてきた(日本では小沢健二の手掛けた渡辺満里奈“バースデイ ボーイ”が微笑ましい)。

 やがて弟妹も加えて9人組に拡大したシルヴァーズは、プライド離脱後の75年に“Boogie Fever”が全米1位を記録して一気にブレイク。一方、78年に脱退したリオンはソーラーでプロデューサーとして活躍し、80年代前半にはシャラマーやウィスパーズ、ダイナスティらを手掛けて一世を風靡している(近年はファンクの偉人としてデイム・ファンクとも共演)。そこまでをプライドの功績と呼んでしまうのは乱暴だが、その原点がどこにあるのかは明らかだろう。 *出嶌孝次

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