PCOの功績は前衛にポップを持ち込んだこと

ミイラ取りがミイラになるというのはよくある話だけれど、おそらくサイモン・ジェフス自身もそれを自覚していたのだろう。87年の『Signs Of Life』では、それまでに築き上げられた彼らのポップなイメージが保持されつつも、以前にはなかった音色/音響の実験が繰り広げられていた。そして93年。サイモンにとって生前最後のスタジオ・レコーディング作品となった『Union Cafe』では、ポップであることよりもまず、ミニマリズムをとおして弦楽器やピアノの響きを聴かせること、そしてそこから逆説的に静けさそのものを聴かせること、すなわち不明瞭であるということに重点が置かれており、ファースト以来の尖鋭的な試みが為されている。

象徴的なのが“Cage Dead”と題された4曲目で、これは前年に亡くなったジョン・ケイジに対する追悼だろう。ここで思い出すのは、かつてPCOのファーストとおなじシリーズとしてリリースされたオブスキュアの第5番が、ジョン・ケイジの名の下に発表されていたことだ(奏者はロバート・ワイアット)。そういう意味で『Union Cafe』は、PCOがどういう文脈から現れてきたのかを改めて思い返させてくれる作品なのである。

とはいえ、たんに原点回帰という言葉で片付けることもできないのがこのアルバムのおもしろいところで、PCOはけっして80年代の自らの歩みを否定することはせずに、しっかりとポップな側面も残している。そのことは1曲目の“Scherzo And Trio”や7曲目の“Organum”に表れているが、極めつけは霊歌“When The Saints Go Marching In(聖者の行進)”のカヴァーである11曲目“Discover America”だろう。アヴァンギャルドに関心の薄い層に対する訴求も怠らないこと――すなわち『Union Cafe』は、ファーストとそれ以降の取り組みの双方を継承した、ある意味でもっともPCOらしさの滲み出たアルバムと言うことができる。

PCOの功績は、ポップに前衛を持ち込んだことにあるのではない。逆である。前衛にポップを持ち込んだこと、それによって改めて音楽とは何かを再考するきっかけを用意したこと、それこそがPCOの偉勲だろう。ポップとは言うなればわかりやすさの追求であり、わかりにくいものの排除ないし縮減である。音楽が斜陽産業と言われ、であるがゆえにとっつきにくい曲であればあるほど毛嫌いされ、〈アヴァンポップ〉の〈アヴァン〉も切り落とされて消費されてしまうような風潮のなかで、PCOの『Union Cafe』は、かつて音楽を前進させてきたものがなんだったのかをふたたび考えさせてくれる。