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この曲こそがプリンスそのもの

 スザンナによれば『Originals』所収の“Nothing Compares 2 U”で聴けるプリンスの歌唱は、ザ・ファミリーで録音する前に聴いたデモと同じものだという。

 「まさにこれよ。私が聴いたのはこれに間違いない。私がスタジオに入っていくと、デヴィッド(プロデューサーのデヴィッドZ)がそこにいて〈こんな美しい曲があるなんて。聴いてみてくれよ〉と再生ボタンを押した。もちろん、まだ私のバック・ヴォーカルは入っていないし、後から足したプリンスのバック・ヴォーカルも入っていない状態——つまり彼が歌う主旋律だけのヴァージョンで、もう、本当に感動したわ。私はこの曲こそが〈彼そのもの〉だと思っている。初めて聴いた時も〈ありのままの彼〉がそこにいると感じたし、あまり偉そうなことは言いたくないけれど、その歌が私に向けられているということが……誰のことを歌っているか私にはわかっていたから、いろんな意味で胸がいっぱいになって、ものすごく……とにかく感動してしまった」。

 喪失感を切実に歌い上げる荘厳なラヴソングが、当時の彼女にどう響いたかは想像に難くない。ただ、彼女がこの歌を大切に思う理由はそれだけではないという。

 「この曲で私は初めて、自分の本当の声で歌うことができた。当時、私は歌い方を状況に応じて変えることを求められていて、それが私の能力でもあったんだけれど、例えばアポロニア6のレコードでも、バック・コーラスというのは仮にソロを歌う力があっても自分を出すのではなく必要に応じて声を提供するのが仕事でしょ、そうやってレコードの一部になることが。それがこの“Nothing Compares 2 U”で初めて自分の声で歌うことを許された。そのこと自体が私には本当に嬉しくて、いまだにあのレコードを聴くと自分の声にその感動が表れているのがわかる。この曲は私と彼だけで歌ってるんだ!って……こうして話していても泣けてきちゃう。あの時のスタジオでの様子は、いまでもはっきり思い出せるわ。私はミネアポリスから前日に飛行機でスタジオ入りして、その時はまだ曲のことは何も知らなかった。スタジオに着いて初めて聴かされて、その感動のままマイクの前に立って歌って、終わったのは夜中の1時とか2時とか、とにかく遅い時間で、もうその日のフライトでテープをミネアポリスのプリンスの元へ送ることはできなくて、確か翌日の便に載せたんだと思う。受け取ってすぐ聴いてくれたらしいプリンスから電話がきて、〈It’s beautiful〉って一言。それだけだったけど、彼にそれを言ってもらえることって滅多にないのよ。しかも彼から電話してきてそう言ってくれるなんて」。

 そう語る彼女がこの曲を〈プリンスそのもの〉だと感じる理由は、やはり親密だった人間ならではのものだ。

 「勝手に自分の気持ちをぶつけるのではなく、彼が自分の内なる世界を音楽という言語で綴っている、というのがこの曲の本質で、それは彼にとってもっとも雄弁に語れる言語でもあったのよね。喋りまくって説き伏せようとするのではなくて——そもそもお喋りな人じゃなかったけれど、曲は雄弁。この曲を聴いてすぐ、私にはそれが彼自身だってわかった。本当に美しい曲」。

 ただ、ファミリー自体の歩みはすぐに終わってしまった。アルバム発表を翌月に控えた85年8月に一度きりのライヴが行われた後、プリンスはスザンナらを伴って映画「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」撮影のために渡仏。アルバムのプッシュもなく、そもそも傀儡的な扱いに不満を抱いていたリード・シンガーのポール・ピーターソンはプリンスに電話で脱退を告げ、MCAとソロ契約を果たしている。

 「ポールはバンドのリーダーでもあったんだけれど、若くして家族持ちで、その彼に大金を投げてよこしてソロ・キャリアの話を持ちかけた人がいて。私たちは最初のシングル(“The Screams Of Passion”)がTOP10入りしてそれなりに結果を出してはいたものの、それを後押しするサポートを得られずに、この先は世界に出ていけるのか、どうなるのか……みたいな状況だった。正直、具体的にどういう段取りがあったのかは知らない。というか覚えていないんだけれど、とにかくポールはソロの道を選んだ。私としては、“Nothing Compares 2 U”を後押しできなかったことが心残りで、この曲が日の目を見ずに終わるのは受け入れ難い……と思っていたところに舞い込んできたのがシニードからの話だった」。