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東日本大震災のときは被災地でナンを焼いた

――じゃあ、隣にあるタイ料理屋さんで働くことはできないんですね。そもそも、なんで日本に来ようと思ったんですか?

「やっぱり、自分の国にはあまり仕事がなかったんですよね。ネパールにいるときはお金の面でとても大変でした。でも私の友人の何人かが先に日本に来ていて、〈日本で働くのはいいよ〉と聞いていたんです。それに、私の奥さんのお姉さんが日本でカレー店を何店舗か営んでいたこともあり、日本の話はよく聞いていました。ちなみに宮城県で働いていた場所も、そのお姉さんの経営するカレー店でした」

――日本にトゥラシェさん周りのコミュニティーがすでにあったんですね。日本に来て、まず大変だったことはなんですか?

「やっぱり言葉ですかね。全然わからなくて、おはようの挨拶もできなかったです(笑)。私は英語も話せますが、日本人は英語を話せる人が少なくて、コミュニケーションが取れなくてとても苦労しました。ある日体調を崩して病院へ行ったんですが、先生に悪いところを説明できなくて苦しかったことを覚えています。ただ、普通のお店の業務ははじめから問題なかったです」

――確かに、日本では英語が普通に通じる場面は少ないです。

「はい、私の子供たちはネパールにいますが、その理由の一つに、日本はインターナショナルスクールの授業料が高い、ということがあります。英語教育をさせたいと思っても、お金の壁がありますね」

――なるほど、お子さんたちと離れて暮らすのは寂しいですね……。いまでは日本語がとてもお上手ですが、どうやって身につけましたか?

「お店で接客をしているうちに、自然と身につきました。語学のスクールなどに通ったことはありません。友達を作って話をしたり、本を読んで会話の練習をしたりして、習得しました」

―すごいですね。いまは超GOODスピーキングですよ!

「ありがとう(笑)。(携帯のカメラロールを見せながら)これ、私が宮城県にいたときの写真です。これね……地震(東日本大震災)のとき」

――うああ。大変でしたよね、本当に。

「大変でした。お店があるのは仙台空港から2キロほど離れたところでしたが、被害が大きく、大きな車道も全部通行止めになって。この写真でも、車が全然走ってないでしょう。(店内の時計を見ながら)あのときもちょうどいまと同じ時間、午後2時40分くらいでしたね。お店のランチタイムが終わろうかというときでした。ほら、これお店」

――素敵なお店ですね。行ってみたいです。ネパールでも大きい地震はありますか?

「あまりないですね。(別の写真を開きながら)これね、私がそのときのことを書いて、ネパールの新聞に寄稿したんです。この地震のとき、ネパールはおろか、東京にいた家族にも連絡が取れなくて、だいぶ心配をかけました。震災のあった日から数日間は、お店の中にあった食料を、近所の人に配ったりしながら過ごしました。ガスも水道も止まっていたし、みんなお腹も空いて不安だったと思うんですよね。私のお店はプロパンガスだったので、ナンを焼いたりして配ったんです。チャーハンも作りましたね」

――素晴らしいエピソードですね……。

「電車が動いてすぐに東京へ戻って、これからどうしようかととても悩みましたが、やっぱり自分はお店をもっとがんばりたいと思って、もう一度宮城へ行ったんです。結局2013年まで宮城のお店で働きました。そして、その後この店の社長(オーナー)さんと出会い、この職に就きました。社長さんは南インド人で、この店を始める際、日本語のできるスタッフを探していたんです。そこで私に白羽の矢が立ったわけです。いま思うと、日本語を身につけていてよかったですね。このお店で日本語を話せるのは私だけなんです。私もまだまだですが、このくらいでやれちゃうんですよ」

――トゥラシェさんがいなければこのお店はオープンできなかったんですね。

「そうですね。シェフも紹介しますよ。彼の名前はロビン。インドのケララ出身です」

ロビンさん「こんにちは。よろしくね。あなたがいま食べているマトンカレーはこのスパイスを使っています」

(厨房内を見せてくれた)

――わおー! これって公開しちゃまずいですよね? 秘密ですか?

ロビンさん「YES、YES、シークレット(笑)。写真もダメよ(笑)」

 

いまの暮らしをそのまま続けることが夢

――ですよね(笑)。あなたが作るカレーは最高なので、こうしてスパイスの配合とかを知れて嬉しいです。ありがとうございます。ちなみにいまって、店内のBGMが何もかかってなくて無音の状態なんですが、それにも理由があるんですか?

「ああ、(流すのを)忘れてました」

――(笑)。いつもはどんな音楽をかけてるんですか?

「普段は、〈Tropical〉というキーワードでセレクトした欧米の音楽をかけています」

(ブリブリのダンス・ミュージックがかかる)

――(笑)。

「でも、リクエストに応えたりもしますよ。そういうときはインドの音楽などよくかけます。これはケララでとても有名な映画の音楽をリメイクしたものです」

――最高です。トゥラシェさんが普段聴いている音楽はどんなものですか?

「私? 自分の国であるネパールの音楽を聴きますよ。こういう、〈Old Folk Song〉というジャンルがあるんです。ネパールの村の音楽です」

「こっちは〈New Folk〉」

――いいですね。初めて知りました。次にここへ来るときはネパールのフォーク・ソングをリクエストしますね。それでは最後の質問になりますが、トゥラシェさんには将来の夢とか、この先、やりたいことなどはありますか?

「うーん。それは、こうしていまの暮らしをそのまま続けられるということですね!」

――わおー、素敵です。いまが楽しいっていうことですね。最高ですね。今日はありがとうございました!

 

トゥラシェさんとの会話を経て

〈タウンページデータベース〉によると、日本国内のインド料理店の数は、2008年の569件から2017年の2,162件と、10年で4倍近くも増加しているらしい。その背景には、インド・ネパール移民の増加や、国際的なインド料理人気があると考えられるが、トゥラシェさんのように、東日本大震災を経験してもなお日本で生活を続ける人々がいるということに、いろいろと考えさせられた。

果たして自分が逆の立場だったとして、彼らと同じように、遠い異国の地でここまで頑張れるだろうか? 愛する家族や友人と離れて、言葉が通じない世界で。生活のため、人生のため、背負うものは人それぞれ。この日のカレーはやはりスパイシーで、そして、なぜかいつもよりも深みのある味わいだった。