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すごく才能のある人

 そもそもライヴの必要に迫られたことから生まれたプリンスのバンドは、78年4月のデビュー作『For You』のリリース後、夏から秋にかけてメンバー募集が行われた。当初からプリンスはスライ&ザ・ファミリー・ストーンのような人種も男女も混合の集団にしたい構想があったことを明かしており、結果的には幼馴染みのアンドレ・シモーン(ベース)、デモ制作時から知り合っていたボビー・Z(ドラマー:『For You』のエンジニアを務めたデヴィッド・Zの弟)、プリンスの従兄弟の友人だったというゲイル・チャップマン(キーボード)、プリンスのマネージャーの薦めで応募したマット・フィンク(キーボード)が選ばれている。そこに募集広告を見て加わったのがデズ・ディッカーソン(ギター)だった。友人知人の縁からオーディションに合格した面々が揃ったなか(ちなみにジミー“ジャム”ハリスは落選している)、デズだけが普通に広告を経由して採用されたわけだ。彼はこのように振り返る。

 「当時のプリンスのマネージャーが地元の娯楽紙に〈ワーナー・ブラザーズのアーティストがメンバーを募集している〉という広告を出したんだ。その頃ミネアポリスのアーティストでワーナーと契約しているのは一人だけだったから、誰のことかはすぐにわかった。僕は他のバンドでプレイしていたんだけど、オーディションに応募したんだ。15分ほどジャム・セッションをして、彼といろいろ話をして……その後OKの返事をもらったのさ」。

 初対面したプリンスの印象についてデズはこう説明する。

 「すごく才能のある人だと思ったよ。さっきも言ったけど、彼はミネアポリスでは唯一ワーナーと契約しているアーティストで、マルチ・インストゥルメンタリストのソングライターということでけっこう有名だったんだ。地元では〈ヤング・スティーヴィー・ワンダー〉と呼ばれていたよ。会った印象は、静かな男だと思った。若いけれど、思慮深くて、すごく大人っぽい感じだった。僕への質問も的を得ていたしね」。

 55年生まれのデズはプリンスの3つ上。すでにいくつかのロック・バンドで演奏した経験があり、当時はロメオというバンドを率いて活動していた。

 「僕はそれまでずっとリーダーとして自分のバンドでプレイしていたから、そのバンドを辞めて一緒に活動していく気があるのか、ツアーにも同行してもらうけれどそういう覚悟はあるのか、というようなことを質問された。それは僕がキャリアを新しくスタートさせようとしているかということだ。そしてそれが実現したのさ」。

 プリンスのプロとしての初ライヴにしてバンドの初舞台は79年1月5日、ミネアポリスのカプリ・シアターにおいて300人の観客を前に行われた。その出来が芳しくなかったからかライヴはしばらく行われず、プリンスは6月に一人で手早く『Prince』を録音し、そこから生まれた“I Wanna Be Your Lover”のヒットが以降のキャリアを上向きにするきっかけとなった。

 なお、録音やライヴの機会も与えられないメンバーたちの不満を和らげるためか、7月にプリンスはコロラド州ボルダーのスタジオで2週間かけてバンドとのレコーディング・セッションを行っている。レベルズと呼ばれたこのプロジェクトはデズやアンドレの書いた曲も含み、彼らが曲ごとにリード・ヴォーカルを取る形を想定されていた。後にマット・フィンクは、プリンスがソロとは別バンドを作る意図で録音に臨んでいたことを明かしている。当時のプリンス名義作よりもロック寄りでデズの影響が強かったと思われるこのプロジェクトは結果的にワーナーの反対で自然消滅したものの、覆面バンド/別ユニットというアイデアはこの後のザ・タイムなどに受け継がれていったものと言えるだろう。