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〈メイトリオ〉と〈メイとトリオ〉――ZA FEEDO前史

改めて、ZA FEEDOの活動を振り返ってみます。
良かったらお付き合いください。
まず、活動休止を決めたのは今年、2019年の6月末ごろ。

私にとって、その6月は自分の誕生日やドイツ帰国からのウブちゃんの死、そしてバンドの今後についての決断をしたという意味で、とても大きな変化の波が押し寄せた月でした。

そこから今日までの日々は、今まで生きてきた中で一番、人との縁や温かさを感じて、つながりに感謝した日々でした。


Photo by Kana Tarumi
沖メイ(ヴォーカル、シンセサイザー、エフェクト)

ZA FEEDOには前身バンドがありまして、メイトリオ→メイとトリオ→ZA FEEDOという遍歴があります。

はじまりは大学時代。
当時仲の良かった先輩であるドラマーの松下マサナオ(現Yasei Collective)がLA留学に行く時に、〈帰国したらなんか一緒にやろう〉と言い残して行ったことがきっかけでした。

そして2年後に帰国したマサナオと、同じく帰国してきたギタリスト・山口豊くんと3人で、洋楽をひたすらアレンジして私が歌うという3人組で始めたのが〈メイトリオ〉(2010年頃だと思う)。
当時は誰かの家で深夜に集まって音を出して、小さなバーやジャズ・クラブで演奏していました。

その後、ベースの中西道彦が参入して〈メイとトリオ〉になり、アース・ウィンド&ファイアーの“September”をアレンジしたり、スティングの“Seven Days”、キャロル・キングやシンディー・ローパーのアンセム、そしてユーミン、ビートルズなどの曲をアレンジしたりして、演奏していました。


Photo by Kana Tarumi
中西道彦(ベース)

そうした活動の中で次第にオリジナルをやりたくなり、私は初めてのデモ音源を作ってみんなに渡したのです(2011年か2012年の初め頃だったと思う)。
みんなで家に集まって作った“WGO”や“Ubu's Chirp”などはこの頃の曲で、“Ubu's Chirp”は愛鳥ウブちゃんに関する曲第1作目。
当時はMyspaceに登録して音源をアップしていたのもいい思い出ですね(この頃自主制作で作ったCDはまだ手元に少しあるよ)。

道くんこと中西道彦がZA FEEDOで最初に作った曲。
ソバカスのように蓄積する心と想い、過去からどんどん離れて大人になることについて歌詞を書きました

私たちが初めて野外で演奏したのは、長野県下伊那郡は根羽村にある観光交流施設のネバーランド。
建築家であるマサナオのお父様によって設計された施設でもあり、山に囲まれた大きなステージは最高のロケーションでした。

Photo by Kana Tarumi
松下マサナオ(ドラムス)

 

〈暇な時間〉は〈意味ある時間〉

大学のジャズ研究会で出会ったギタリストの斎藤拓郎(大学の同級生/現Yasei Collective)とマサナオとは、学生の時からそれぞれ一緒に演奏したり遊んでいて、マサナオがアメリカにいる間も私と拓郎は同じバンドで一緒に演奏していました(大学の先輩であるGentle Forest Jazz Bandのベーシスト・藤野俊雄が主催していたバンドで)。

マサナオをアメリカに送り出すとき、拓郎と私は彼を泣かせようと思って「紅の豚」の“時には昔の話を”を2人で演奏しました。
その後、アメリカにいる本人から<俺がアレンジした変拍子の曲の譜面送るわ!〉と連絡があったので、2人でFAXか郵送を待っていたけど、いつまでたっても来なかったなぁ。

私も拓郎もその頃から曲を書いてはいたけど、実際にその曲をライヴで披露してはおらず、それぞれYasei CollectiveとZA FEEDOでそれを実現したのでした。

Photo by Kana Tarumi
沖メイと斎藤拓郎(ギター)

マサナオはアメリカで一緒に過ごしていたベーシストの道くんこと中西道彦(現Yasei Collective)を紹介してくれました。
初めて会った道くんは、とても大きかった!

大きな道くんは、みんなをよくドライブに連れて行ってくれました。
私たちは近所に住んでいたので、深夜になると道くんの運転する車でみんなが突然迎えにきてくれて、神奈川の山奥で野生のシカを見に行ったり、真っ暗な山道で車を停めてみたり、車の窓を全開にして笛ラムネを吹いたり……。
今思えばすごく贅沢な、ただそれだけの時間を過ごしました。

深夜の無目的ドライブの後は、いつも空が白んできた頃に帰宅して、正社員で働いていた私は、そのまま仕事に行ったこともありました。

そんなある日、〈みんなで遠出をしたいね!〉ということになり、初めて計画した遠征は演奏ツアーではなく、長野への山菜狩りの旅。
タラの芽があまりにも美味しかったから、以降は毎年恒例で採りに行っていました(〈タラの芽〉にかけた“Tell no may”っていう曲を道くんが書いたことも)。

マサナオはその辺を飛んでいる蝶々や、道端の植物の名前を全部言えて、古墳と丘の見極めや、石器探しもうまかった。
道くんと2人で「ジャッカス」を観ながらワイルドターキーのボトルを一晩で空にしたり、〈買ったばかりの新しいカオシレーターを自慢するから遊びに来い〉って拓郎が言うので遊びに行ったら、ウィスキーを肴にして本当にすごい自慢をされたりしたことも面白かった。

みんなでグルメシティというスーパーに買い物に行って、飲み会や鍋会などは何回やったかわかりません。

私のソロでブレッド&バター”ピンク・シャドウ”をカヴァーしたときのアレンジを、そのまま歌詞を変えてZA FEEDOのオリジナル曲にした思い入れのある曲です。
インコと猫を思って書いた歌詞で、〈ずっとそこにいたのに、今君が本当に大切なんだって確信したよ!〉という曲です

当時の道くんはバンドをいくつかやっていて、マサナオはいろんなジャズ箱で演奏していたのを辞めてバンドに集中しはじめ、拓郎はYasei Collectiveのために曲をたくさん書いていました。

私はメイとトリオをやりながらも、そんな彼らを見ていて本格的にそういう世界へ――音楽をやるということに本格的に没入したくなってしまい、大学卒業後に勤めた会社を辞める決意をしました。
当時の私は23歳か24歳くらい。
みんなで楽しく過ごす時間は、私の気持ちを音楽を作ることへと駆り立てるには十分過ぎたのです。
会社をやめると決断したときは、〈これが人生の岐路なんだ〉という気持ちと、どうなっていくかわからない恐怖と希望が満ち溢れていましたが、〈やるぞ!〉と決めてから今日まで生きてこれているのですから、この道を選んで良かった。日々感謝です。

とある1日に飲んだ酒の空き瓶

〈俺ら、暇だなぁ〉なんて笑いながら、深夜ドライブや山菜狩りに行っていた時期も過ぎ、それぞれの活動が本格化するにつれてそういう時間は次第に少なくなり(それでも年1で山菜は行くのはやめなかった!)、憧れや探究心、金策に苦労しながらも、そんな状況が明日の自分を作ってくれましたし、それができたあの頃の〈暇な時間〉は、意味ある時間でした。

Photo by Kana Tarumi
2016年、シンガポールにて