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エネルギーがなくなっていって

――やがて曲が事務所やレーベルの目に留まって、上京されます。今回の『13』でも再録される楽曲が世に出ていくこととなり、まずメジャー・デビュー・シングルだったのが“屋上の空”(2005年)ですね。曲の背景などは前に『WACK & SCRAMBLES WORKS』リリース時にも伺った通りですが(2017年12月号に掲載)。

松隈「はい。Buzzにしちゃ珍しいミッドテンポの曲でしたけど、ライヴで披露したり、デモテープを送った時に、もう引っ掛かりが明らかに違ったんですよ。プロデューサーのCHOKKAKUさんや後に拾われる事務所の方たちからもavexさんからも好評だったので、当然の如く“屋上の空”で決まりました。まあ、後出しですけど、本当は3枚目に持ってきたいと思ってたんですよね」

井上「言ってた。Buzzの王道的な激しめのロックをボンと出して、次にまた違うテイストの出して、最後にトドメとばかりに良いバラードを……って言ってた気がする」

松隈「そう、煮えてからじゃないと、〈いきなりは無理じゃない?〉って思ってました。ただ、当時は意見できるアレもないし、出してもらえるだけでありがたかったんで」

――でも思い通りの結果は出ず。

松隈「ビックリするほど売れなかった。いまだから言えますけど、福岡で感じてた手応えと違いすぎて、〈ダメなんだ〉とも思わなかった。例えば福岡のライヴハウスではELLEGARDENと同じぐらい動員があったので、自分らが東京に来たら同じランクになるもんだと何の疑いもなく思ってたんですよ(笑)」

井上「あと、福岡では自分たちだけでやってたので、〈これおもしろくない?〉っていう思い付きがそのまま形にできたんです。イヴェントを企画したり、すぐ動けたのに、リリース日に予定が何もなかったりして。松隈は周りの人に感情露わにそれを伝えてたのに、俺は〈何でだろうねえ〉ぐらいの感じでした」

松隈「〈リリースするのにチラシ作ってくんねえ〉とか言って、むちゃくちゃ大喧嘩しよったもんね(笑)」

井上「そう考えると俺は甘かった。メジャー・デビュー=ゴールみたいになってた」

松隈「でもそれは逆よ。いまは裏方に回るけんわかるけど、そんなうるさい奴いたら大人がやる気なくすのは当然で(笑)。でも我々はあくせくやってきた田舎者なんで、〈こんなんで大丈夫?〉って不安になってしまって」

――ただ、リリース自体は順調で、2006年1月には次のシングル“太陽賛歌”が出ていて。このあたりの曲はいちばん松隈さんっぽい感じがします。

松隈「そうっすね。U2とザ・フーを足した感じで考えて作ってて、やっぱこの頃のほうが俺の好みがいっぱい入ってますね」

――この“太陽賛歌”とか“光の射す方へ”のようなライヴ映えする曲がBuzzらしさの核という感じで。

松隈「はい、“太陽賛歌”は1曲目とか最後にやる、ライヴの鉄板曲で。やっぱライヴには自信があったし、福岡で対バンとかやってる時は、前のバンドを観た人が誰も帰らなかったんですよ。だからライヴをやればやるだけ客が増えるってシステムになっとったもんね?」

井上「うん。曲の良さだけじゃない何かを超えた勢いみたいなのがあって。それが何なのか?って訊かれたら、僕もいまだにわかってはおらんのですけど」

松隈「東京でいろいろ揉まれて、その良さがなくなってきちゃって」

井上「挫折というか、どんどん〈ああ、俺ダメなんだ〉って勝手に思い込んでいった」

――そういう上京後の状況の変化と、バンド内の軋轢は繋がってたんですか?

松隈「いま考えると比例してました。そしてハルの声がだんだん出なくなり」

井上「東京に来て僕がいちばん変わったんですけど、自分の中から出るエネルギーがなくなっていって。自分がちょっと一線退いてバンド界隈を見て思ったんですけど、やっぱりそういう悲壮感みたいなのって、刺さらないんですよね。〈こんな思いしてる俺はつらい……けど、歌う〉みたいな、そこに酔ってたのかな」

松隈「スタジオなんか狂気だったね。もう、空気悪すぎて」

井上「松隈は松隈で頭ん中のイメージを必死で僕に伝えようとして、僕は僕でそれがわかんないから、松隈にノーって言われ続けて、結局は被害妄想になるし、どんどんバグっていきましたね」

松隈「まあ、やっぱり4人だけでやってれば違ったんですよ。別に俺メジャー行ってからも、曲作りとかディレクションのスタンスは変わっていないと思うので。ただ、僕らは周りの方々に恵まれてて、プロデューサーのCHOKKAKUさんも、スタッフさんもみんな良くしようと思っていろいろ意見をくださるんですけど、僕がワーワー言ってハルが凹んでレコーディングが飛んだらマズイじゃないですか? なので〈ハル、大丈夫だよ、ケンタの言うことは気にしなくていいよ〉っていう声も増えてって。ここでお互い正解がわかんなくなって、さらにバグったと思うんですよね。別にハルの声が潰れたらマズイのは俺もわかってるし、声がガラッとしたとしても俺はそれがカッコイイと思ってたし。だから、ハルから〈いや、松隈の言う通りも試してみたいんですよ〉って一言あれば僕は救われたんですけど、〈ああ、そっちに行っちゃうんだな〉って悲しくなって」

井上「うん、やっぱ楽なほうに逃げ込んだ記憶はあるし、そこにモヤモヤは残ってた。いま歌うと物凄いわかるんですけど、Buzzの曲っていうのは総合的な楽曲っていうか、声も楽器としてハメていくような曲で。それは『13』のレコーディングで松隈とディスカッションしながら改めて感じたんですけど、ディレクションの理解を深めながら、それを再現する能力もついた自分が歌うと、やっぱり手応えがあった。昔はレコーディングが嫌で仕方なかったけど、今回は楽しかったんですよね。だから、凄く思いが詰まった一枚になりました。その意味で、最初は新曲を作る案もあったんですけど、松隈が〈昔の曲だけで一枚作ろう〉って言ったのは良かったなって思います」

松隈「もっと売れてたバンドなら過去の曲をやって喜ぶ人も多いと思うけど(笑)、我々はホントに自己満に近い感じで考えてます。リハビリじゃないですけど、メジャーまで行って俺たちがバグってしまった原因を紐解いていったら、良くも悪くも人がいるからそうなったわけで、じゃあ4人だけでやろうと。そこで〈4人だけで過去の曲を演奏してみたらどうなるんだろう〉となりましたね。なんで、WACKの(渡辺)淳之介が手伝ってくれたり、タワレコさんに流通をお願いしてますけど、音楽の部分は4人だけにこだわりました。シンセも入ってなければ、ループもサンプルも使わず。コーラスも全部メンバーの声ですし」

井上「とても良かったね。おもしろいのは、やっぱ感覚的にも無駄を省こうっていうことで、中間イントロとか縮めたり。〈ここはいらん〉とか言って(笑)」

松隈「〈何だ、この変なギター・ソロ、カットしちまえ〉とか(笑)。過去の自分たちをプロデュースしてるイメージでしたね」

――当時そうあるべきだった方法で改めて作ってみたっていうことですね。

松隈「はい。メジャーの曲もインディー時代の気持ちで作り直した感じですね」