ディス・イズ・ザ・キットのアフリカンな躍動感
岡村「それこそ、ディス・イズ・ザ・キットがそうですよね。彼女はイギリス出身でパリに住んでいますが、ナショナルのアーロンとブライス・デスナー兄弟と交流が深い。
ちなみに、ブライスもパリに住んでいて、彼の奥さんはフランス人シンガー・ソングライターのミナ・ティンドルです」
――ディス・イズ・ザ・キットの新作『Off Off On』はいかがでした?
高橋「僕は先に相棒のロジ・プレイン※のことを知って、彼女からディス・イズ・ザ・キットを知ったんです。ケイト・ステイブルズもサム・アミドンのように、ベースに〈バンジョーを弾くフォーク・ミュージシャン〉ということがありつつ、いろいろなことをやっている。
交友関係がすごく広いんですよね。パリに移住してフランスのミュージシャンと一緒にやっているのもおもしろいし、一方でブライス・デスナーやナショナルと交流している。その中心にディス・イズ・ザ・キットというバンドがいるのはおもしろい」
岡村「ケイト・ステイブルズの出身はウィンチェスターですね」
高橋「ウィンチェスターでロジ・プレインと高校時代まで過ごして、一緒にブリストルに移住したんだよね。
ブリストルは港町だから、ジャマイカンやアフリカンが多い。今回のアルバムを聴いて、アフリカンなミニマルのリズム感を感じたんです。それは、ブリストルで生活していたことからきているんじゃないかなって」
岡村「私もアフリカンなものを感じました。チューンヤーズ(tUnE-yArDs)に近い感じがしましたね。チューンヤーズが取り入れるアフリカ音楽は必ずしもフィジカルでエネルギッシュなものだけではなくて、室内楽的な要素もある。そこがディス・イズ・ザ・キットに通じるところです」
高橋「アフリカンということでは、去年ケイト・ステイブルズはフォーク・シンガーのアナイス・ミッチェルと(アフロ・ロック・バンドの)オシビサのカヴァー・シングル(“Woyaya”)を出しています。たしかに曲はオシビサなんだけど、アンサンブルはアメリカーナ/フォーク的。
いろいろな音楽をフォークにできちゃうフレキシビリティーが、いまのフォークの感覚だと思う。フォークっていうと、凝り固まっちゃった形式があるんだけど、それをもっと柔らかく使えるミュージシャンが出てきた。僕はそこにエッジを感じる」
女性バンジョー奏者たちの活躍
高橋「あと、アコースティック・ギターよりもバンジョーを持つほうがかっこいい時代になってきたと思う」
岡村「そのとおりですね」
高橋「初期のスフィアン・スティーヴンスがバンジョーを持っていたことも大きいけど、いまは女性がバンジョーを持つようになってきた。ケイト・ステイブルズもロジ・プレインもリサ・ハニガンもレイチェル・ダッドもバンジョーを弾いている。そんな状況は、20世紀では見たことがなかったですよ。
ケイト・ステイブルズはそのあたり、すごく意識的みたいです。インタビューで、20世紀初頭のイギリスに女性だけのストリングス・バンドがいてその写真が残っていること、そこにバンジョー奏者がいることに言及していたりする。いっぽうアメリカにはリアノン・ギデンズがいて、アワ・ネイティヴ・ドーターズという全員バンジョーの女性4人組バンドを組んでいる。
白人の太ったおっちゃんが弾くものって思われていた楽器を女性が取り上げているんです。バンジョーって、もともと武器じゃないですか。そういう戦闘的な楽器を女性たちが持っている、という」
岡村「実は私、昔バンジョーを弾いていたんですよ」
高橋「おお、リスペクト!」
岡村「弦が硬いし、指痛くなるからフィンガー・ピッキングが大変。高校1年生のとき、〈女性には無理だ〉って言われましたもん。ずっと弾き続けていればよかったなあ(笑)」
――ミュージシャンたちがいま、バンジョーに立ち返る意味とはなんなのでしょう?
高橋「リアノン・ギデンズはアフロ・アメリカンだから、白人のカントリー・ミュージックで使われる楽器っていうバンジョーのイメージを変えようとしている。
しかも、彼女が使っているのは、ナイロン弦を張った19世紀のミンストレル・バンジョーなんだよね。ケイト・ステイブルズが弾いているのも、イギリスに古くからあるツィター・バンジョー。ヘッドがクラシック・ギターみたいな形をしています。みんな、より古いものを掘り下げているように思う」
岡村「女性がバンジョーを持つようになったのは、どうしてなんでしょうね?」
高橋「女性のフォーク・シンガーといえば、ストレートの長髪の人がアコースティック・ギターをつま弾いている、っていうイメージがあったじゃないですか。ジョーン・バエズとかジュディ・コリンズとか初期のジョニ・ミッチェルとか。そういう型にはまらない、戦闘性を示すアイテムなんじゃないかな」
岡村「たしかにそうですね。いま名前が挙がったジョニ・ミッチェルの『Ladies Of The Canyon』(70年)を、また最近よく聴くんです。単なるフォークでもロックでもない、すごく越境した音楽ですよね。エイドリアン・レンカーやケイト・ステイブルズのような新しいフォーク・シンガーの予感は、すでにあのアルバムにあると思うんです。実際、ジョニの音楽に改めて立ち返る若手女性アーティストも多いようです」
高橋「ファースト・アルバム(68年作『Song To A Seagull』)から、すごく越境的ですよね。
ジョニはさ、20世紀のミュージシャンのなかでもマイルス・デイヴィスと並ぶくらいすごいから。彼女の影響を受けていない女性SSWってまずいないけど、でもジョニが持っているなにかを自分のものにできている人ってほとんどいない。ジョニはすごすぎて、フォーク・ミュージシャンの枠のなかには入らないかも」
テイラー・スウィフト『folklore』が与えたインパクト
――今年の最大の話題作として、アーロン・デスナーやボン・イヴェールが参加したテイラー・スウィフトの新作『folklore』があります。お2人はどう聴きましたか?
高橋「ものすごく強い影響力を持った時代のアイコンが、あえて〈folklore〉というタイトルでアルバムを作った。しかも、ジャケットはモノクロ写真。そのインパクトは大きかったと思います。つまり、いまなにがいちばんファッショナブルか、時代のフロントラインかを示している。さっき言ったように、ロックは時代の最先端でかっこいい音楽、対してフォークは心優しいエコな音楽、っていう関係がずっとあったんです。でも〈いやいやそうじゃない、『folklore』がかっこいいんだよ〉と、もっともメジャーなポップ・アーティストが宣言した、そのインパクトを感じました。
ただ僕は、本当のフォーク・ミュージシャン――バンジョーを持つ人が好きだからさ(笑)。コロナ禍の2020年にあのアルバムが出たという、時代の出来事としてはおもしろいと思うけどね」
岡村「海外では〈テイラー・スウィフトがインディー・フォーク化した〉という評価が多いですね。
ただ、スタジオを使えなかったから急場のひらめきでアーロンに連絡してリモートで作ったというから、一作限りのものじゃないかと思います」
高橋「COVID-19でステイ・ホームを強いられたことは、ある意味でフォーク・ミュージックを後押ししたところはあると思う。ミュージシャンはソングライティングとパーソナル・レコーディング以外やることがなくなっちゃったわけだから。バンドで集まることには限界があるけれど、フォーク・ミュージシャンは一人でいくらでもできる。
今年、やたら作品を出す人が多いじゃないですか。ビル・キャラハンなんて、今年に入って何枚出した(笑)? ギリアン・ウェルチも、ブートレッグ・シリーズなどを3作出している。今年はそういうモードなんでしょうね。
フォーク・ミュージシャンって、毎日誰かの前で歌うのが基本なわけです。それをできない状況が、録音に向かわせているんじゃないかな。今年リリースされたほとんどの作品から、そういうことを感じます」