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17歳の時、レッド・ツェッペリン“You Shook Me”を聴いて覚醒した

――前衛ヴォーカルがやりたかったとのことですが、なぜそう思ったのでしょうか? 具体的に影響を受けた音楽やミューシャンはいますか?

「人がやっていないことをやりたかった。17歳の時、レッド・ツェッペリンの“You Shook Me”(69年)の最後のヴォーカルとギターの掛け合いをTBSの深夜ラジオ番組「パックインミュージック」火曜日の福田一郎さんの番組で聴いて、夜中に覚醒した。それからアーサー・ブラウンの“Fire”(68年)もショックだった。

レッド・ツェッペリンの69年作『Led Zeppelin』収録曲“You Shook Me”

クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンの68年作『The Crazy World Of Arthur Brown』収録曲“Fire”

高校でバンドをやり始めた。ひとつは先輩のバンド。ギタリストが生徒会の副会長でジェフ・ベックそっくりだった。ギターの腕はそれほどじゃなかったけど。もうひとつの同級生のバンドで学園祭に出演した時は、バンドが10分間(ローリング・ストーンズの)“Satisfaction”のリフを繰り返して、オレはずっと叫び続けた。本当はクリームやテイストをやりたかったけど、高校生には無理だったからね。

その後に教師から呼び出しをくらって、英語と音楽の成績が2段階落とされた。特に音楽の先生はそれまでオレの声を認めてくれていたから、バンドでオレのヴォーカルを聴いてショックを受けたみたいだ」

――その頃の衝動がロスト・アラーフ加入に繋がったわけですね?

「自由劇場でブルース・クリエイションに飛び入りした時、おそらく富士急〈ロック・イン・ハイランド〉の関係者のひとりだった宇佐美さんという人が観てくれたみたいで、その後に〈ロック・イン・ハイランド〉に出演しないかと電話が来たんだと思う。で、前衛ヴォーカルをやりたい、と言ったらロスト・アラーフを紹介してくれたんだ。ロスト・アラーフがいなかったら、ソロで出演していたかもしれない。ソロでやったら一瞬で引きずり降ろされただろうね」

 

オレはどこにも属さなかった

――71年8月の〈三里塚幻野祭〉をはじめとして、この時代のロック・コンサートには学生運動や政治が関わっていることが多かったと思いますが、灰野さんはどう感じていましたか?

「社会を批判しているくせに、奴らは自らも飲酒や喫煙など社会の悪習慣に染まっていた。そして権力に対しての憤りをドラッグで自ら沈静してしまっていた。今になって煙草をやめたという人がいるけど、どうして煙草を吸い始めたのか自問自答してほしい。

オレはどこにも属さなかった。誰とも付き合いはない。集団や共同体は大嫌いだった。学生団体、ヒッピー、演劇集団、新興宗教、人が集まればろくなことをしない。だからフォーク・ソングは大嫌い。個人として好きな人はあらゆるジャンルにいるけどね」

――髙橋廣行さんとの対談で当時の灰野さんはコンサート荒し(潰し)で有名だったと言っていますが、なぜそんなことをしていたのですか?

「彼らのコンサートのやり方は自分にとってはロックじゃないと思っていたから。当時はコンサートに警備員はいなくて、バンドの関係者のふりをして潜り込むこともできた。もしかしたらオレがコンサート荒しをしたせいで警備員がつくようになったのかもしれないね」

 

望む音楽は即興演劇

――自分で歌詞を書き始めたきっかけは? 

「初めの頃は究極の言葉は叫びだと思っていた。その後自分の言葉が見つかって、歌詞が溢れてきた」

――活動を続けるにつれて即興でありながらも曲構成が出来てきたとのことですが、構成のあるロックの方向へ転換しようという意図はあったのでしょうか?

「それまでも完全にフリー・フォームだった訳ではなくて、最初の何分はドラム、その後全員で何分、といった感じで時間的な流れは決まっていたし、CD2の3曲目“LAW OUT”ではドラムとピアノがリフを作っていた。組曲“1999年の微笑”はみんながアイデアを持ち寄って作った。

オレは元々役者志望だから、演劇性を求めた。オレが望む音楽は言ってみれば即興演劇、(定型を)なぞらない演劇だから」

『LOST AARAAF』トレイラー

――“1999年の微笑”の歌詞は、かなり露骨で過激な言葉が出てきますが、インスピレーションの元は?

「その頃のオレは、今よりも言葉や文学にも近づいていた時期だった。観念的になっていて、いわゆるダダにも興味があった。それで“1999年の微笑”で言葉をたくさん使った。すべての色を使った。

その後、自分にとってすべての色の素と思う黒に近づいていった。フランスのある作家が、東洋に傾倒し、たったひとつの世界に溶けていくことを描いている。オレは最終的に言葉をひとつにしてしまいたかった。シュールレアリズムやダダには興味がなくなった。

だから不失者では言葉をできるだけ使わないし、固有名詞を使わない。使う言葉は同じで組み合わせを変えているだけ」