暮らしている空気ごと録音した『See-through』
――『See-through』は2016年から自宅で、それもバスルームで録音作業が始まったと聞きました。なぜバスルームだったのでしょうか?
「やっぱり宅録にはこだわりたかったので、自宅で録音しようとは思っていたんですが、家の中でいちばん静かな場所はどこだろうと探しているうちに見つけたスポットがバスルームだったんです。他の場所だと窓の外から音が入ってきてしまうんです」
――事前に譜面に曲を書いてから録音作業をしていったのでしょうか?
「いや、譜面には書いてなかったですね。あんまりオタマジャクシのイメージで作ってしまうと、想定内の音楽にしかならないんです。なんとなくフワッとあるだけのイメージで音を重ねていって、譜面とは別のところで作曲できるのが、多重録音の魅力だと思っていて。
なので一人遊びみたいなものでもあるんですけど、〈あ、これを重ねたらこんな響きになるんだ〉と発見しつつ作っていきました。その場で音を重ねたり、消したり、繋げたり。クラシックよりも、いわゆるバンドマンのやり方に近いかもしれないです」
――自宅で制作したデモをもとに、音響設備の整ったスタジオで録音し直そうと思ったことはありましたか?
「まったくありませんでした。整った環境での録音は十分やってきたので、一貫して一人の空間で、あくまでも個人的な作品として作りたいというのがあったんです。暮らしている空気ごと録りたかったし、それができるところに宅録のロマンを感じます。
実は制作期間中に3回引越しをしているんですね。なので最初のバスルームだけでなく、いろいろな部屋で録った音がアルバムには入っているんです。聴き返してみるとまるで日記帳のようで、〈この音はこの場所でこんなときに録ったな〉というのがすぐにわかってしまう。
フィールド・レコーディングも入っているんですけど、それは旅先の旅館のストーブの音をiPhoneで録音したものだったり、海に出かけたときの波の音だったり。(この作品には)いろんな記憶が音として混ざり合っているんです」
私小説的な作品に余白を残すためには
――ヴァイオリン以外の楽器は、もともと演奏していたのでしょうか?
「ピアノは並行してずっと演奏していました。それとヴィオラもヴァイオリンと似ているので弾くことが多かったんですけど、チェロとコントラバスは録音作業を始めてから〈やっぱり低音が欲しいな〉と思って、買い集めていって。だんだん楽器に埋もれた部屋になっていきました」
――他のミュージシャンに依頼するのではなく?
「そうですね。もちろんライブやコンサートだとお願いすることもあるんですが、今回のアルバムに関しては、自分の内側に目を向けていたこともあって、あんまり外の誰かにお願いしようとは思いませんでした」
――ということは逆に、ミックス/プロデュースを手がけたausさんとThe Boats、ピアノで参加されている渡邊智道さんは、ある種特別な存在だったと。
「そうですね。個人的な作品にしようとは思いつつ、私小説的になりすぎて聴き手が共感できる余白がなくなってしまうのが嫌だったので、作品として落とし所をつけるためには、どこかで外側の要素も必要だったんです。でもオープンな制作にはしたくなかったし、そのバランスが難しいところでした。
ausさんは、今回リリースさせてもらったレーベル、flauのオーナーでもあるし、初期のデモ曲を作っている時点から絶妙な距離感でずっと制作に関わってくれていたので、プロデュースに関しては、自分の内側に招いたうえで、風通しをよくするための換気を手伝ってもらっていたような感覚ですね。9曲目の“Tide”は何度も手直しをしていちばん時間をかけたのですが、曲自体が漂流していたようなときからたくさんのアイディアを投げてもらっていました。3曲目の“Nostalgia”も元のイメージをしっかり尊重してくれているので、他人の手が入ったようには思えないくらい。
逆にThe Boatsのお二人の手を借りた7曲目の“Chant”と10曲目の“Log”は、曲を手放しで委ねたような感覚で、それができたことで、このアルバム全体を客観視できるようになったと思います。新鮮な空気と新しい発見をもたらしてくれているので、そういう意味ではこの2曲は要でした。どちらにせよ音楽家としての絶対的な信頼ありきですね。
渡邊さんは、私がクラシックを弾いていた頃から共演経験があったのですが、彼の音色は特別なんです。ピアノの音はタッチの差で大きく印象が変わってしまうと思う。特にクラシックのピアニストとなると、もはや職人のように、そうした1音を出すためにずっと研究をしているようなところがあって。3曲目の“Nostalgia”と6曲目の“Kai-kou”はピアノが非常に重要だったので、特別な響きで録りたくてお願いしました」