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二人の女子が始めた〈LUCfest〉

――そもそも、なぜ開催地として台南を選んだんですか?

「台南は時間の流れがとてもゆったりした場所なんです。台北よりも、東京よりも、ソウルよりも遅い。そして台湾で最初に作られた街です。このような雰囲気の中で私たちがキュレーションした音楽をさまざまな国の人たちに紹介し、味わってもらうことを目的としています」

2019年の〈LUCfest〉の模様

――要するに、このフェスでは台南市それ自体がステージだと捉えてもいいですね。

「その通りです。アジアのみならず、さまざまな国の人々がこの街に心惹かれています。このような場所で音楽フェスを行うことによって、音楽のみならず、台南という街の楽しさに気づいてもらう。そして、世界各国のアーティスト、そして音楽関係者を招くことで、台南市を〈刺激的な音楽が見つかる〉場所、アジアを代表する都市として位置付けたいのです」

――ということはあなたのアイディアは、台湾のみならず世界に発信することですか?

「そうです、私たちはインターナショナルな視点を持っています」

――これはやはりあなたがポスト・ロック・バンド、APHASIA(阿飛西雅)のベーシストとして活動し、WWRを立ち上げた経験があってこそ、実現したのでしょうか?

「そうかもしれませんね。私にはWeining(Hung)というおもしろいパートナーがいるんです。私たちは女子二人で〈LUCfest〉を共同設立しました。私は台湾に住んでいますが、彼女はほとんどの間、ヨーロッパにいます。それでもフェスのほとんどのプランを一緒に練り、実現させました」

――実はWeiningさんとはまだそんなに話したことがないので、気になっていました。KKさんが彼女と出会い、一緒にこのフェスを計画するまでに至った経緯を教えてください。

「もうだいぶ前のことなので、忘れかけているのですが……(笑)。以前、彼女はヨーロッパでスタートアップの企業を経営していたんです。そしてある日、私のところにやってきて、ビジネスの提案をしました。その企画については実現性が低い、という結論に至ったのですが、その約1年後、今度は〈LUCfest〉の開催を持ちかけてきました。彼女の提案を聞き、私は即座に〈ワオ、これは実現できる。すごくおもしろそう。今すぐやりたい〉と伝えました。

ほどなくして私たちは台北で会い、〈LUCfest〉をどう実現していくのかを話し合いました。そのとき、私たちは不思議なくらい波長が合ったし、気持ちの準備ができていました。その日、私たちは偶然にも同じバッグを持っていたんです。そこで初めて、私たちの考えや好みが似ていることに気付いたんです。そんなこともあり、私たちは〈LUCfest〉の開催を決めました」

――そこから実際にフェスが開催されるまでどのくらいの時間をかけたんですか?

「参加者や協賛を募るのに4、5か月費やしました。そうやって実現のための基盤を固めたのち、出演者の交渉や会場の確保などを2か月で行い、開催に漕ぎつけました」

――たったの2か月ですか?

「そのときの私たちはちょっとどうかしてたんです……(笑)」