Page 2 / 3 1ページ目から読む

見える現実で結論を出さず、見えない世界を想像

――最初からいまと近いアンビエントっぽい電子音楽を作られていたんでしょうか?

「最初の頃はビートを入れていたんですよ。ボーズ・オブ・カナダとかオヴァルとかを意識していましたね。ビートを作るのも好きだったんですけど、あるときビートがないほうが個人的にしっくりくるなとなった。ビートがないだけで拍や小節にとらわれないですむし、譜割りとかももっと自由になれた。適当なポリリズムを入れてみたり(笑)。クランキー(・レコーズ)とかあのへんの音楽も聴いていたけど、当時の意識としては、ギターを前面に出したアンビエントってあんまりないなと思っていました。でも、自分はギター弾けるし、それを加工してビートなしでやってみたらおもしろいんじゃないかなって」

2006年にクランキーから発表された『Minima Moralia』収録曲“Bonfire On The Field”
 

――僕が最初に畠山さんの音楽を聴いたとき、マイブラ的なシューゲイズ感と同時に、クラブ・ミュージックの文脈のチルアウトというか、テクノやハウスなどのダンス・ミュージックと補完関係にあるアンビエントだという感じもしたんです。クラブ・ミュージック体験は畠山さんの音楽にどういう影響を与えていますか?

「そうですね……。作りはじめた頃は、ボーズ・オブ・カナダやオヴァルは、クラブ・ミュージックから出てきた感じもしつつ、それを逸しているというか乗り越えた、新しいアンビエントだという感じがしたんです。僕も作るときはそのへんを参考にしていたんですが、実際はクラブ・ミュージックの影響も強くて。大学生の頃、知り合いのバイト先の店長がDJをやっていて、その人はミックスマスター・モリスの来日をオーガナイズしたりもしていたんですよ。僕も遊びに行ったんですけど、そこでホントにいいアンビエントとかチルアウトに出会えた。そのパーティー、すごくよかったんですよねー。

あと、僕の地元は神奈川の藤沢なんですけど、藤沢ってヒッピーおじさんみたいな人が多くて、彼らがグレイトフル・デッドのアンビエント版のようなバンドをやっていて、それも超よかったんです。だから、そういうのが僕の初期のアンビエントには、そういうテイストが〈あまり表に出したくないけど出ちゃう〉みたいな感じで出ていたんだと思う(笑)。『Mirage』くらいになると、それから15年くらい経っていたし、そういう感じが素直に出せるようになったんだと思います」

――畠山さんは2006年に、さきほど話題にあがったアメリカのクランキーからデビューしていて、その後は世界各国のレーベルから何十枚という音源をリリースされてきたわけですよね。その結果、世界中に畠山さんの音楽のリスナーがいる。そういうご自身のキャリアをどう捉えられていますか?

「音楽を始めたとき、インストがいいなと思ったんです。せっかく音楽なんで、(言語で限定せずに)いろいろな人と共有できたほうが楽しいと思った。だから、最初から日本だけでなく海外も視野にあったんだと思う。

はじめてCDを出した頃、デビューはしてみたけど、別にそれでライブにお客さんがたくさん来るようになったわけでもなかったんですよ。そこで挫折する人も多いと思うんです。日本のお客さんにチューニングしようとした音楽をやるようになったり。でも、僕はなぜかそこで、いまは見えてない未来を見る、このライブに人はいないけれど、実はいるってことにできたんです(笑)。この場所にはいないんだけど、どこかにはいるんだと信じられたことが、いま振り返っても大きいですね。見える世界だけで結論を出すのじゃなく、なぜか見えない世界を想像できた。そこをぶれずにやれたから、いまがあるというのは感じますね」

 

冬から春への移ろいを表現した『Late Spring』

――そろそろ新作の話も訊いていきたいんですけど、今回はギアボックスというUKのレーベルからのリリースです。レーベルのカタログはジャズが多くて、しかもわりとオーセンティックなものがメインだというイメージがあったので、そこから畠山さんの新作が出るというのは新鮮な感じがしたんです。リリースにいたるいきさつを教えてください。

「イギリス人のニックさんという方が日本に引っ越してきて、彼が日本でギアボックスの仕事をするにあたって社長のダレル(・シャインマン)さんに僕のことを推薦してくれたんだと思います。ニックさんは前から僕の音楽をチェックしてくれていたみたいで。よかったらレコードをリリースしないか?と連絡がきました。僕も最初は〈ジャズじゃないけど大丈夫ですか?〉と訊いたんですけど、今後は電子音楽やアンビエントも出していきたいということで最初に声をかけてくれたらしく、じゃあ出してみたいなと。イギリスのレーベルというのも僕にとっては魅力的でした。UKは、自分がライブをやっても結構人が来てくれる国だし、好きなバンドも多いし。自分のBandcampでもUKから買ってくれる人が多いんですよね。〈じゃあぜひ出してください〉となりました」

――なるほど。リリースが決まってから本作を作りはじめたんですか?

「いや、ちょうど出来そうな状態だったんですよ。なので、〈最初にこういう感じでやっているんだけど、どうですか?〉という85%版くらいのものをレーベルに送ったんです。そこで出すことが決まり、最後にマスタリングしてもらってという流れでした」

――作っていた時期とレーベルからリリースの話がきたタイミングがちょうどハマったという感じなんですね。

「『Late Spring』は、2017年くらいから作っていたんですよ。その頃、ギターの録音のやり方を変えてみようかと思って、新しいギター・アンプを買ったんです。フェンダーのストラトとフェンダーのアンプでちょっとモチベーションを高めながらやってみようかなって。〈フェンダー同士から自然と出てくる音色〉というのがスタート地点でした。その流れで、モジュラーシンセとかもギターのアンプから音を出してみて、それをマイクで録音したり」

――畠山さんの作品にはアルバムごとに特定のテーマや雰囲気があると思うんですけど、あらかじめそれらがあったうえで完成に向かっていくのか、だんだん作りながらテーマが浮かび上がるものなのか、どっちですか?

「両方あるっちゃあるんですけど、どちらかというと最初にイメージみたいなものがあって出来上がっていくことが多いですね。そこをイメージしないで作っちゃうとボツになるんですよね(笑)。単体でいいなってのもあるんですけど、そういう音源をデジタルで気軽に出したくて〈Void〉シリーズを始めた面もあります。

質問に戻ると、両方のパターンがあるんですけど、今回に関しては“Sound of Air”という曲もありますが、冬が終わって、肌にあたる空気感が痛い感じから柔らかな感じになり、だんだん爽やかになっていく――その移ろいをアルバムを通して表現したいというのが最初のきっかけでした。だから、最初のフェンダーの録音も3月か4月にやったんじゃないかな」

『Late Spring』収録曲“Sound of Air”
 

――じゃあ2017年の春から完成にいたるまで、春の感じというのを音で表現することに集中というか、そこに意識を合わせてきたって感じですか?

「最初にラフスケッチを作って、そこからミックスしたりほかのアルバムを作ったりとか、いろいろと並行してやっていて……。このアルバムに関しては、ある程度作ってみて、似たような曲ばっかりになっているなーと思っていたんです。で、スパイスじゃないけど変化球みたいなのをどう入れようかなっていうのを考えながら、年月が経っていた。いくつかの曲は、2019年の夏くらいにラフスケッチを描いていましたね。それはシンセサイザーのProphet-5を使ったものなんですよ。音色もカッチリしていて」

――今回、自分的には6曲目の“Spica”という曲がすごく新鮮だったんです。フレーズや輪郭がはっきりしていて、途中にちょっとグリッチするような展開もある。畠山さんの楽曲では珍しいというか。

『Late Spring』収録曲“Spica”
 

「それがProphet-5でやった曲ですね。グリッチみたいなものはモジュラーで加工しています。Make NoiseのPhonogeneを使いました」

――この曲はすごく印象的でした。

「デヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス The Return』(2017年)に触発されて作った曲ですね。なので映画音楽っぽい」