どんな時代に生まれても、この人生の中で自分のことを信じていたい
by 真舘晴子(The Wisely Brothers)
四角くて重い日本のリズムマシンの音を初めてスタジオで聴いた時の、これなら何でも作れるかもしれないという気持ちを思い出した。
音楽を作ることに出会い、初めての気持ちに鳥肌が立つ時もあれば、自分でも気づかないくらい日常的な当たり前のように、伸びやかにいることを小さく細かく否定されるタイミングも多くある。日本にいる女性でまだ若いと言われる年齢で、自分の音楽をどんな風に思っているのか。人生をどんな風に思っているのか。そのことは、自分が心地いいと思う音楽を作ることで伝え続けるしかない。音楽以外で伝えられないからこそ、音楽を見ていない人は容赦なく論点が別の場所へ行く。音楽の使われ方が知らないうちに変わっていく。
バンドの当たり前、女性アーティストの当たり前、商業的なものの当たり前、時代の当たり前。売れるか売れないか、という目線。誰かの言う常識というものは、知らないところから侵食していく。作品と私が一体となっていなくては、音楽を作る本来の目的から何かが少しづつ遠ざかっていってしまう。
この映画は1978年のパリに住むアナの一日、
隣には2021年の東京にいる私の一日を重ねる。
アナが日本のリズムマシンで作った音楽に、たまたま出会った女性の生まれかけのことばが乗っていくシーンで、ほろほろと鳥肌が立つ。身体に満ち満ちていく音に反応して、自分のことばが勝手に、音を追うように生まれてくることの楽しさ。これまで先人たちが作り上げてきた音は、新しいものを作る力を与えてくれる。変わらないものは変わらないだけ。アナは伸び伸びと変わっていきたいんだ。
手と足で、目と耳と鼻で、自分が出会うものからこうして手触りを受け取ること。そしてそれを大切にしたいと思うのは、どんな時代に生まれても、この人生の中で自分のことを信じていたいという気持ちだ。
あと、良いレコードを教えてくれる友人は本当に最高!