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彼らの5枚目のシングルは“All or Nothing”。スティーヴ・マリオットとロニー・レーンが作曲し、UKチャート1位のスマッシュヒットのみならず、世界各国でのチャートで高い評価を得た。この曲はテレビ番組でも起用され、数多くカバーされている。しかし、バンドがイギリスで非常に高く評価されていたこの頃、北米での彼らはほぼ無名のアーティストだった。当時、まだUKチャートとUSチャートの内容は全く違っていて、ネットもなかったため噂も広がらない状態。バンド自体はUSを意識していて、ママズ&パパスの北米ツアーに同行しようとしていたが、マクレガンが麻薬により逮捕されビザの問題が発生。マネージャーやレーベルに失望したバンドは、両方との契約を解除することとなった。

レーベルとの契約解除後、彼らはすぐに、ローリング・ストーンズの元マネージャーだったアンドリュー・ローグ・オールダムが創立したイミディエイト・レコードと契約。67年6月、移籍後初めてリリースされたシングルは、サイケデリック風の“Here Come The Nice”で、UKチャートで12位となった。歌詞にドラッグについての内容は何も書かれていなかったが、バンドは取材陣からドラッグについての追及を受けた。その後、すぐに新レーベルで出したアルバム『Small Faces』は、この曲の成功にもかかわらず、そこそこの売上にしかならなかった。

このアルバムのすぐ後にマリオットとレーンが作曲した“Itchycoo Park”をリリース。これが、UKで3位、USで16位になり、USで初めてチャートインしたシングルとなった。バンドはこの曲でフランジャーと呼ばれるエフェクトを使い、フランジャーはその後流行りとなる。この曲のタイトルになった〈イチクー公園〉の場所はいまだに議論の種で、イチクーの語感が日本語の〈イチョウ〉と似ているため、イギリスにあった銀杏の木がある日本庭園だという説もあるが、最も有力なのはイルフォードのヴァレンタインズ公園のことだと言われている。