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LAで学んだ音楽とコミュニケーション

――その後、本場のアメリカに渡っていますが、おいくつの時だったんですか?

Risa「20代前半ですね。当時、父が花の事業をしていたこともあり、フラワーデザインの専門学校に通っていたんです。それでオランダに留学する話もあったのですが、あまり惹かれなくて……。せっかく海外の言語を学ぶならアメリカに行きたいし、それなら音楽を学びたいと思い、LAのパサデナに行きました。

パサデナにはプライベートで教えてくれる学校があって、作詞作曲、レコーディング、ミックスをガイドしてもらいながら実習しました。ボーカルも磨きたかったので、ゴスペルの上手い先生にも習ったんです。でもパフォーマンスとアドリブのコツを教えてもらったら、〈あとは自分でやりなさい〉という感じでしたね」

――特に学びになったと思う科目は何でしょう。

Risa「レコーディングです。日本では身内で何となくやっていましたが、実際に先生に見てもらうと〈口でしか歌ってないよ。自分の歌詞なんだから、伝えたい想いを体から声を出して録った方がいい〉とアドバイスをもらいました。

ディレクターはケー・シー&ジョジョのバンドの方々。そういう人たちが突然ヘルプに来てくれて〈リズムとキーはどんな感じ?〉と訊いてくるんですが、〈こんなのだよ〉とちょっと教えただけで〈はいはい!〉といきなり弾きだすんです。〈めっちゃカッコいい!〉と驚きましたね。

私が伝えた感じに上乗せして独自のリズムとメロディーを鍵盤で弾くのを見て、〈こういう風に自分を表現していくのか!〉と。言われたものを弾くだけでなく、他人の演奏を聴いてキャッチしたものを出していかなきゃいけないんだと理解しました。それが一番の衝撃だったと思います」

――他にもカルチャーショックだったことなどがあれば訊きたいです。

Risa「たくさんありましたね。私はシャイで現地の人たちと遊ぶ時もみんなの話を聞くのに精一杯で、あまり輪に入れなかったんです。でも彼らは救いの手を差し伸べてくれる訳ではなくて、〈Risaは静かにしたいんだな〉とほっとかれる感じ(笑)。友達からも〈助けがないと話せない人だと思われるよ〉とアドバイスされたので、〈とりあえず何か言わなくちゃ〉と思いました。それからコミュニケーションが取りやすくなりましたね。日本だと輪に入れてない人にも気を遣ってくれますが、アメリカでは何も言わなかったら透明人間になってしまうので、それはカルチャーショックでした」

 

帰国後に気づいたアイデンティティー

――今回の“FREE”にも〈日本〉というご自身のナショナリティーが表れていますが、それについてはどう感じていますか?

Risa「英語でも日本語でも歌っているので〈この人、何者なんだろう?〉と思われるかも知れませんが、私は日本人でそのアイデンティティーや自分の味を出したいと思っていて、今回のジャケットも和装にしました。

“FREE”ジャケット

MVでもスピリチュアルな要素や次元間をトラベリングする〈自由〉、生命のエナジー、ネイチャーとの繋がりといった私らしさを表現しているんです。予想以上の作品を作れたと思っています」

“FREE”ミュージックビデオ

――アメリカでアイデンティティーを再確認しましたか?

「逆に日本に帰ってきてから気付いたことが多かったですね。帰国してからカルチャーショックバックがあって、〈なんで私は日本のこういったことに興味がなかったんだろう?〉と改めて考えましたね」

 

多国籍な音楽に触れた沖縄時代

――帰国後は沖縄で活動されていますが、なぜ東京に行かなかったんですか。

Risa「実は最初に東京へ行ったのですが、アメリカとの温度差で鬱になりかけたんですよ(笑)。電車のなかでネガティブなエナジーを感じてしまったんです。スーツ姿の人は疲れた様子でしたし、若い子たちの会話は意味のないものばかり、そしてみんな携帯を見つめている……それが私にとっては世にも奇妙な光景で。あとは視力が悪いのもあって、街に出ても道に迷うんですよ。自分がどこにいるかわからず、新宿駅を半日くらい歩き続けたこともあります。

そんな時にLAで知り合った沖縄出身の友人がイベント出演の声をかけてくれて、沖縄に行ったんですよ。そこで色々な方に声をかけてもらって、その後も何度かライブ出演で沖縄に行き来していたら、〈こっちの方が楽しいし、海も好きだし、音楽も盛んだし、自分に合ってる〉と思ったんですね。それに父が〈自分が馴染める場所でやった方が伸びると思うよ〉と言ってくれたこともあって、沖縄に拠点を移したんです。米軍基地のフェスやクラブ、クルーズ、ウェディングチャペルなどで歌わせてもらって、充実した日々でした。5年くらい居たと思います」

――沖縄で活動されていた頃の音楽性はどんなものでした?

Risa「ジャズやR&Bを歌っていましたが、沖縄の音楽をラウンジっぽくアレンジして歌ったりもしてました。現地の方々はご当地の音楽が好きで、違うバージョンで歌っても喜んでくれるんです。

自分とは別のカルチャーを受け取って、それを自分なりに表現する私のスタイルの原点は沖縄にある気がします。沖縄といえばロックが有名ですが、米軍ベースの人が集うイベントも盛んで、ヒップホップやスパニッシュ音楽、レゲエなど多国籍な音楽を楽しんでいました」

――沖縄はヒップホップシーンが盛り上がっていますよね。

Risa「そうですね、沖縄出身のAwichさんとは以前イベントでご一緒したことがありました。その時は、娘さんも一緒で、素敵だなと思った記憶があります。今とはまた違うスタイルのヒップホップをされていましたが、すでに現代日本のヒップホップシーンで注目されるほどに成長されていて素晴らしいです。沖縄のヒップホップシーンも先導されていますね」