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学びと模索の大学時代、Splendore結成と上京

――高校卒業後は芸術大学の音楽科へ進学されたとのことですが、なにを専攻されていたんですか。

「ジャズボーカルです。副科にはギターを専攻して、ちょこっとですけどジャズギターも教わっていて。私にとって大学時代は、ジャズに触れ合えた期間でした」

――ジャズの勉強と並行して、バンド活動をしていたんですね。OLIASは、どのような音楽性だったんですか。

「自分たちでは〈ジャパニーズ・プログレッシブ・ポップ〉を名乗っていました。メンバーを集めた時点ではテイラー・スウィフトさんのような爽やか路線を想定していたんですけど、ギターの方がプログレやミスター・ビッグさんが好きだったので、そういう仕上がりに。普通のポップソングもありましたが、映画音楽のようなプログレ要素の強い曲もやっていたので、ちょっと変わったバンドでしたね」

OLIASの2018年のシングル“心の星”

――YUIをルーツに持つKanaeさんが、プログレのバンドを組むのは面白いですね。

「私自身の〈こうしたい〉が、ハッキリしていなかった時期なんだと思います。主軸になっていたYUIさん的な音楽性から抜け出したい気持ちもあったし、ジャズを学びながらちょっとずつ自分の視野を広げているタイミングだった。大学時代は〈どういうジャンルをやろう〉と、常に模索していたんじゃないかな」

――その模索期間から抜け出したのは、いつ頃だったんですか。

「実は本当に最近で(笑)。2、3年前くらいに、ドラマーのhisayaとギターボーカルでSplendoreというユニットを始めてから、生楽器とMASCHINEを使ったループパフォーマンスのスタイルになっていったんです。アリアナ・グランデさんをきっかけにトラップミュージックにも興味が出てきて、そういう路線に進んでいきました」

Splendoreのパフォーマンス動画

――先ほど、Splendoreのおふたりで一緒に上京してきたとお話されていましたよね。そのときは、なにが目的で都内へ出てきていたんですか。

「ぶっちゃけメンバー探しだったんですよ(笑)。ただ、いろんなライブハウスやセッションに顔を出してみたものの、メンバーを見つけるのってなかなか難しくて。

そんな状況でコロナ禍に突入し、出産の時期も迫っていたので、ひとまず実家へ戻ることにしたんです。都内で音楽をやりたいし帰りたくなかったのが本音だけど、あの頃は本当に生きるのにギリギリな生活をしていたので……。里帰り出産から2か月後に、私が旦那の実家へ引っ越し、今の生活が始まりました」

 

家族の協力のもと、死ぬ気で勝ち取った〈音プロ〉1位

――〈「音楽で、生きていく」project〉には、どのようなきっかけがあり挑戦したんですか。

「Instagramで見つけて、なんとなく応募したのが最初でした。でも、本エントリーするかどうかは、すごく迷いましたね。安部潤さんからの楽曲提供もBillboardでのライブもすごく魅力的な特典だったんですけど、オーディションによって参加条件やルールって全然違うじゃないですか。どういうオーディションなのか不安で。

そんなとき、(〈音プロ〉やライバー事務所〈percent〉を運営する)キャリーの根本朱里さんが直接ご連絡をくださったんです。お電話で〈心配なことありませんか〉といろいろ相談に乗っていただき、不安もほどけたので参加することにしました。あの時、根本さんから電話がなかったら、あのまま放置していたと思います」

――これまでにも、オーディションを受けてこられたんですか。

「中学生のときにはデモ音源を送ったことがありましたし、OLIASを組んでいたときにもライブ配信型のオーディションを受けましたね。あの時は、会場へ出向いてステージで演奏している様子を配信して審査される形式でしたけど。

今回のライブ配信は、現地に行く必要もないし長期にわたって審査が行われるので、私でも参加できました」

――〈音プロ〉は、Kanaeさんのライフスタイルにもハマっていたと。

「配信できる環境が整っていたのが大きいですね。家族が全面的に協力してくれて、私が配信をしている間は義父母が娘の面倒を見てくださっていたんですよ。だからこそ、死ぬ気でいけたっていうのはあります」

YouTube動画〈音プロ結果報告〉