【参考音源】清水悠 “Fortress Of Light”


会見が終わり庁舎の外に出ると、秩父前衛派のもう1人のギタリストである清水悠が待っていてくれた。早速話を聞いたところ、これから自身のソロ作品の制作に入るという。笹久保と同じくクラシック/現代音楽やフォルクローレの素養を持ちつつも、ロックやジャズ、アイリッシュ・トラッドなど幅広い要素を消化した独特の音楽性を追求する彼の作品がどのような仕上がりとなるのか、いまから楽しみだ。
 


 


ここでお昼時ということもあり、『秩父遥拝』をはじめ多くの笹久保作品を録音している秩父のスタジオ〈STUDIO JOY〉の腕利きエンジニア・山口典孝らスタッフ数名と共に、市役所の隣りにある〈だんござか珍達〉へ。某TV番組の影響ですっかり有名になってしまったというB級グルメ(?)、珍達そばをいただくことに。ほんのりとゴマ油の香る煮込みラーメンのようなとろみ、そしてネギの山! 店内には昔の武甲山の写真も飾られていた。
 


すっかり胃袋も満たされ、清水の運転で秩父巡礼を開始。車内では発売されたばかりの藤倉大と笹久保伸によるコラボ・アルバム『マナヤチャナ』が流れる。アブストラクトで無骨なアンビエント……さすがに秩父の風景とのシンクロ率が凄い。上の写真は笹久保と清水が講師を務める〈秩父ギター教室〉。将来的には、ここから秩父前衛派のメンバーが生まれるのだろうか?
 


まず向かったのは、中津川の滝沢ダムを見下ろす位置にかつて存在した滝ノ沢集落の跡地。秩父市街からは東へ数十kmほどの地点にある。『秩父遥拝』に収められた機織歌/麦打ち歌などの仕事歌は、産業自体が衰退し、その姿を消した。この集落にもそういった歌があったのかもしれない。
 

 

 
秩父にはいまも稼働している鉱山がある。ニッチツ鉱山ではかつて数千人の労働者が働き、険しい山腹には彼らが居住する町が存在した(現在は立ち入り禁止の廃墟になっているとのこと)。鉱山へ向かうトンネルはまるで異界への入口のようだった。またここには、笹久保が監督した映画「犬の装飾音」にて、秩父前衛派のサンポーニャ奏者・青木大輔が神と話そうとしたシーンに登場する電話ボックス(?)がある。
 


 

 
上にあるのは、〈天空の禅寺〉と称される太陽寺での写真。秩父十三仏霊場のひとつで、秘境感たっぷり。ちょうど山の稜線に手前の山の稜線が重なる時間帯だったようで、スケールの大きな景観に息を吞んだ。
 


日も傾き始めたため、最後の訪問地・石間(いさま)の天空集落へ急ぐ。太陽寺にも増して急勾配の山腹にあるこの集落は、自由民権運動の影響を受けた日本史上最大規模の民衆蜂起とされる秩父事件の首謀者たちが暮らしていた一帯でもある。はるか遠方には武甲山が望めた。このような険しい山村からなぜ強力で反骨的なエネルギーが生まれたのか、本当の理由は分からないが、そういった途方もないエナジーは表現方法こそ違えど、秩父前衛派にも受け継がれているように感じた。

今回の探訪で、山間を走っている最中に見知らぬ脇道があった際、すかさず笹久保が「こっちの方に行ってみよう」と提案するシーンがあった。その先には小さな集落があり、彼は「村人がいたら話しかけてみよう」と意気込んでいたが、結果的には残念ながら人と会うことは叶わなかった。彼らはきっと、こうしたフィールド・ワークを日常的に行っているのだろう。そこで気付いたのは、たとえばセルジュ・ゲンスブールがラヴソングを書くために恋愛をしたり、ハード・ディガーなDJたちがトラックメイクのためにレコードを掘ったり、ヴェイパーウェイヴのクリエイターたちがYouTubeをネットサーフィンすることと、大枠では同じ性質の作業を、秩父前衛派は秩父の山々を駆け巡ることで積み重ねているのだ。研究でなく、エッジ―な創作のソースとして歴史や文化を消化するのは容易な行いではないだろうが、それを目の当たりにした気分だった。
 


すっかり日の落ちた秩父の中心街に帰ってきて前述のSTUDIO JOYにお邪魔させてもらった。あの久保田麻琴も認める若きエンジニア、山口典孝にもいつか話を聞いてみたい。最後は、秩父前衛派の面々はもちろん、美術批評家の椹木野衣や音楽評論家の湯浅学も舌鼓を打ったという〈高砂ホルモン〉でシメ。レバーの新鮮さに驚愕! 秩父再訪の際にはまた訪店することを心に誓いつつ帰路に着いた。