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■9月5、6日 〈Niubi Festival in Helsinki〉

先述した通り、病み上がりのタイゲンも急遽フィンランドでの撮影を無事終了。少し変わった趣向のフェスティヴァルで、参加したバンドは中国、インドネシア、マレーシアなどほとんどがアジア圏から。われわれも〈From Japan〉という括りで参加しました。最後に中国のCHUI WANというバンドの子らと話しましたが、中国の音楽シーンも覗いてみたいなと思いました。
北京での再会を願って。

さてフィンランド後、メンバーはそれぞれ独自の行動へと移ります。
自分は友人のニッサ・ニシカワフリッツ・ストルバーグの二人が監督するショート・フィルムへ出演のため、翌朝から6日間イギリスはジャージー島へ撮影の旅に。

■9月7~13日 〈ジャージー島での撮影〉

「From This World To That Which Is Come」というタイトルのショート・フィルム。主にジャージー島の自然とその島の歴史的背景をベースにした超現実的世界を描いたもの。全貌はまだわかりませんが、各シーンの経緯を見ていて、アレハンドロ・ホドロフスキー監督的な世界観になるのではないかと。自分はローブをまとった洞窟に住まう、怪しい精霊のような役。他にも、100歳近いおばあさんや平均年齢10歳ほどのバイク・ギャングたち、ポルトガルはマデイラ島の民族音楽を演奏する人たちなど興味深いキャスティング。渋谷WWWでの灰野敬二氏との共演も記憶に新しいシンガー・ソングライター、ジョセフィン・フォスターも洞窟に住まう者として出演します。

【参考動画】ジョセフィン・フォスターの2005年作『Hazel Eyes, I Will Lead You』収録曲
“Hazel Eyes, I Will Lead You”

 

ジャージー島訪問は、BO NINGENとして4年前に〈ブランカージ・フィルム・フェスティヴァル〉で演奏して以来でしたが、前回同様宿泊先はこんなところ。

 

根城

 

もともとは防衛用の小さな砦として使用されていたものを、現在はアコモデーションとして貸し出しています。

1LDK
シャワー、トイレ、洗濯機、ベッド12人分完備
日当り、ほぼなし
海まで徒歩1分
屋上からは海を一望できる好物件

撮影場所も洞窟、森の中、岩壁、ストーン・サークル、ジャガイモ畑、牧場、動物園、海岸沿いの岩場などさまざまで、毎日がまったく別の世界にいるように錯覚するほど。大自然すぎてもはやインターネットも使えません。ショート・フィルムとはいえ1週間の撮影スケジュールはかなりタイトで、最終日に自分の最後のシーンを撮影し終えると、即空港へ連行されました。

 

洞窟へ

 

洞窟で見つけた戦後の落とし物を演奏してみる己

 

ニッサ、己、ジェイミー(サウンドレコーディング担当)

 

撮影を見守るジョセフィン

 

マデイラ島の人々

 

ミーアキャットと私

 

そしてロンドンへ。
長い間自然のなかでの生活が続いたためか、いままで慣れ親しんでいたはずの地下鉄の匂いやら音、光、建物の巨大さに激しい嫌悪感を覚え、都会に放たれた野生動物のような気分がしばらく抜けませんでした。
翌日14日もそんな自然児化が抜けぬまま、南ロンドンはニュー・クロスにあるバード・ネストというところでXaviersのライヴ。久しぶりに即興演奏で汗を流し、現代とのバランスが程良い感じに。

■9月17日 GRIMM GRIMM 7インチ・シングル・ローンチ・パーティー

お馴染みコウイチくんのGRIMM GRIMM。自分はドラムで2曲参加し、ユウキもギターとコーラスで5曲。他にもレーベルメイトのセラフィーナや元レース・ホーシズメイラレ・ヴォリューム・コーベシャーロットらがゲストとして参加していました。

【参考動画】GRIMM GRIMM“Last Word Is Mine” 当日のライヴ映像

 

そしてこの日の夜、時を同じくして日本から友人がロンドンに舞い降りました。もともと渋谷の街頭ヴィジョンでわれらの日本ツアー告知をやってくれたProfound TVで働いていた、通称かっつん。彼はBO NINGENのツアーも同行して、われわれを支えてくれた人物(主にテンション面を、精神的な部分で)。そして今回アメリカ・ツアーに同行してドキュメンタリーを撮ってくれています。こんな素晴らしい夜は、言うまでもなく酒を浴びないわけがない。結局朝6時まで宴は続きました。いや、途中で帰ったのでさらに数時間は続いていた模様。それにより彼の時差ボケはほぼ皆無だったようです。

時差ボケでお悩みの方、パーティーをしましょう。

数日の楽しい宴を経て、いよいよ1か月以上に渡るアメリカ・ツアーのスタートです。といっても皮切りはベルギーのブリュッセル。〈オースティン・サイケ・フェスティヴァル〉でも一緒だったゴート、そしてムーン・デュオホワイト・ヒルズというなかなか聴き応えのあるラインナップで、前述のコルシカ・スタジオに出ていそうな面々。実際ホワイト・ヒルズは良く目にしますし。

【参考動画】ゴートの2013年作『World Music』収録曲“Goat Man”

 

【参考動画】ホワイト・ヒルズの2014年作『Glitter Glamour Atrocity』収録曲“Spirit Of Exile”

 

しかしこの日(正確には前日)最大の事件は、日本に一時帰国していたタイゲンとベルギーで落ち合うことになっていたのですが、彼のスーツケース(機材込み)がドバイで不意に降ろされ、届いていなかったということ。ご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、前回ユウキのフライト・ケースがアメリカの乗り換え時に降ろされていたのを思い出しました。なんとか当日空港に届いたものの、わざわざ取りに行く肉体的疲労と心労。

やれやれだぜ、です。

しかしアメリカに行くまで約3日の休暇でベルギー・ビールを可能な限り身体に流し込みました。普通に観光もしてますけどね。

■9月24日 アメリカ・ツアーに向けて始動

いざ出発。しかしネイティヴ・アメリカンの呪縛か何かの陰謀か、アメリカはそう容易くわれわれを受け入れてはくれませんでした。

まず早朝、ブリュッセルで空港行くために予約したタクシーが来ず、待ちぼうけ。その後乗り換え先のロンドンはヒースロー空港で飛行機の到着が遅れ、乗り換え時間30分。まあ間に合うはずもなく乗り継ぎ便をミス! 1時間半待って、次のフライトに乗るも機内で2時間近く待たされる。そして極めつけはNYはジョン・F・ケネディー空港でわれわれの荷物が3つも届かず。さらに1時間待たされる。
しかし無事に今回のツアー・マネージャーのローレンと合流して、宿泊先である馴染みのブルックリンのグリーンポイントへ。結局落ち着けたのは予定よりも5時間以上遅れ、夜10時でした。1日を移動に費やしたわけです。

まさに待ち人。うー、まだかなー、な1日でした。

しかし何はともあれ、やはりNYは居心地が良い。

 

行きつけのデリ

 

空港で落ち合うはずだったかっつんとも合流し、みんなで再会を祝い乾杯。その宴により、今日のわだかまりは解けていきました。

そして25日早朝、興奮も冷めやらぬまま、かっつんがニュージーランド式(?)ブレックファストをみんなに振る舞ってくれます。目玉焼きがカリカリなのがポイント。

 

興奮状態のかっつん

 

便乗する己

 

インタヴューなどをこなして、その後しばし観光気分。

 

デヴィッド・レターマンの収録スタジオ

 

■9月26日 カサビアン サポート・ツアー

いよいよカサビアンのサポート・ツアー初日。まずは……

 

困難を極める搬入、機材テトリス

 

ボストンのパラダイス・ロック・クラブ到着。前回のボストンで演奏した時はお客さんが5人ほどだったことを考えると、今回はその200倍以上。カサビアンの力の凄さを感じました。メンバーは素晴らしく気さくで、言葉も馴染みのイギリス英語なのですごく親近感を覚えます。

 

 

そして9月27日。

 

Photo by Adela Loconte

 

NY、ターミナル5。キャパシティー3000人クラスの大きな会場。観にきてくれた人たちがとても盛り上がってくれていて、われわれのテンションも最高潮。その後ローレンの知人のパーティーへ誘われるも、疲弊しきったわれわれは参加を断念。結局彼女は朝まで呑み明かしたようで次の日、遅刻。うーん。

 

Photo by Adela Loconte

 

9月28日。でもなんだかんだで前夜も結構呑んだ面々ですが、当初この日が同行最終日のはずのかっつんが、急遽もう2つのライヴにも同行する意志を表明。つまりカナダのトロントとシカゴまで来るということに。でもパスポートを友人宅に置いてきたので一緒に取りに行こう!と早朝にワサワサしはじめ、まだ宿酔状態にもなっていないユウキは眠い目を擦りながら彼を連れてその友人宅まで同伴。かっつんは嵐を巻き起こします。しかし全然憎めない、才能です。

さてライヴです。ワシントンDC、9:30 CLUB。
初めて降り立った地でありますが、自分たちが訪れたエリアがそうなのか、意外なほど〈首都感〉はなく、道端で就寝なさっている方が多数。ですがヴェニュー自体は音がとても良く、やりやすい環境でした。

その夜、次の土地カナダのトロントに向けて出発。長距離移動なので途中のペンシルヴァニアで宿を取り、そこで1泊することに。

■9月29日 カナダへ

移動日。長い移動の疲れもあるので、今日こそは出発時間までゆっくりできると安堵していると、けたたましいブザーを鳴らす者が……。

かっつんです。
何やら腹が減って昨日は一睡もできなかった! 朝飯を食いに行こう!とベッドに乗っかってきてふたたびワサワサしはじめます。結果……自分とユウキが餌食に。でもおかげで美味しいご飯が食べれてたんですけどね。かっつんは嵐を起こし続けます。

ですが彼のカナダ行きについて掘り下げてみると、カナダの入国はかなり厳しいらしく結局断念せざるを得ないという結論に。その日は国境近くのバッファローという地(映画「バッファロー ‘66」でも有名ですね)に宿泊するので、妥協案としてご当地名物のバッファロー・ウィングを食べて、次の朝はナイアガラの滝を見に行ってお別れにというプランに変更。

バッファロー着。とても雰囲気のある街。
荒廃した感じはありますが、良いくたびれ感と言うか、良い印象でした。

■9月30日 別れ

ですがまた……昨日の到着が遅れた関係で予定がすべて後ろ倒しに。結局ナイアガラの滝は泣く泣く断念することになってしまいました。でも念願のバッファロー・ウィングは食べに。まあ言ってしまえば手羽先のフライドチキンなんですが、スパイスの妙ですね。辛さがマイルド、ホット、スーサイド(自殺)!という3段階から選べます。もちろん、みな迷うことなくスーサイド。その後痛烈な洗礼を受けたことは言うまでもありません……。

 

手羽先自殺

 

辛い! 美味い!と舌鼓を打っていると、かっつんのフライトの時間が迫ってきてしまい、不本意ながら自殺中に別れを告げます。別れを惜しんでいるのか、辛すぎるからなのかわからない、涙ともつかぬ汗とのつかぬ分泌物にまみれながらのお別れ。そしてカナダ国境へ――移動中のヴァンの中はある種、気の抜けた炭酸水のような空虚感に包まれていたわけですが、国境を目前にしてローレンが〈ちょっと左を見てみて〉と。

 

ナイアガラの滝

 

次はちゃんと見に来よう。
かっつんも連れて。

これを書いている間も、事件はひっきりなしに起こっています。この先の珍道中は次回のコウヘイの回でお楽しみください。

BO NINGENはアメリカ・ツアー後、バンド・オブ・スカルズのUKサポート・ツアーが11月初旬からスタート。そして日本語とフランス語、3人のギター、2人のベース、2人のドラムが複雑に絡み合う実験的なサヴェージズとのコラボレーション作品『Word To The Blind』がリリース、さらにそれを引っ提げてのライヴ。それから11月末にようやく(と言っていいと思うのですが)GEZANとの日本ツアーへと繋がっていきます。いまから日本の地を踏むのが待ちきれない。冬ですしね、温泉でも行きたいな。

【参考動画】GEZANの2014年のライヴ会場限定ミニ・アルバム『ストロベリーエッジ』収録曲
“School Of Fuck”

 

これから寒くなります。
どうぞお身体にはご留意ください。

【参考動画】BO NINGENの2014年作『III』収録曲“Slider”

 

PROFILE/BO NINGEN


Taigen Kawabe(ヴォーカル/ベース)、Kohhei Matsuda(ギター)、Yuki Tsujii(ギター)、Akihide Monna(ドラムス)から成る4人組。2006年、ロンドンのアートスクールに通っていたメンバーによって結成。2009年にアナログ/配信で発表した 『Koroshitai Kimochi EP』が現地で話題となり、UKツアーのみならず、日本盤の発表後は日本でのツアーも成功させる。2011年にミニ・アルバム『Henkan EP』、2枚目のフル・アルバム『Line The Wall』をリリース。昨年から今年にかけて、〈フジロック〉やオーストラリアの〈ビッグ・デイ・アウト〉、USの〈SXSW〉〈コーチェラ〉といった各国の大型フェスへ出演し、ますます注目を集めるなか、待望のニュー・アルバム『III』(Stolen/ソニー)をドロップ。そしてあといくつ寝ると……といった感じで11月後半から待望の来日公演が近付いております! 詳細は以下! そのほか最新情報はこちらのサイトでチェックを。

【BO NINGEN HEADLINE LIVES 2014 ~PLAY ALL】
■11月29日(土)東京・代官山UNIT ※ワンマン

【BO NINGEN/GEZAN JAPAN TOUR 2014 ~Tremolo Never Knows】
■12月6日(土)福岡・VOODOO LOUNGE
■12月8日(月)大阪・PANGEA
■12月9日(火)名古屋・CLUB UPSET
■12月14日(日)仙台・PARK SQUARE