夢見るフォーク少年だった、若かりし日々の日記が書籍化!

 

 というように、いま改めて渡さんが描く夜について思いを巡らせているのは、このたび刊行される「マイ・フレンド―高田渡青春日記 1966-1969」を読んだせい。これは若かりし頃に書いていた日記を書籍化したものなのだがこれがバツグンのおもしろさ。人生のほとんどをフォーク・ミュージックにしがみついて生きた彼のルーツが垣間見られることもあり、高田渡研究における重要なテキストとなるはず。この書には酔いどれ吟遊詩人ふうな、タカダワタル的な彼は登場しない。詩集『個人的理由』を書いた頃の彼ともやはり違う。本物のフォーク・シンガーになるためにはどうすればよいのかと家族が寝静まった真夜中に薄暗い台所で〈ともだち〉に語りかける蒼白い顔をした渡少年がいるだけ。当然ながら彼の頭のうえに広がっている〈夜〉は、のちの作品で得られる感触とは別種のものだ。近いものがあるとすれば、URCレコードの2枚目であり、実質的なデビュー作と言える『汽車が田舎を通るその時』が漂わせている雰囲気だろうか。女の子との他愛のない(でも妙に魅力的な)会話が挿入されていくあの不思議なアルバムだ。フォーク・シーンの先頭ランナーになったものの徐々に集団から離れていき、他とは異質な枯れた表現へと向かっていったベルウッドの作品群と比べると、『汽車が田舎を通るその時』に並んでいる曲はやけに青くて湿っている。が、あの繊細でか細く、穏やかで淡々とした彼に惹かれない高田渡ファンなどいないように、夢見るフォーク少年だった『マイ・フレンド』の渡くんのことも愛おしくてしょうがなくなるはず。

高田渡,高田漣 マイ・フレンド―高田渡青春日記1966-1969 河出書房新社(2015)

 押入れの奥に長いこと仕舞われていて、近しい仲間しかその存在を知らなかったというこの日記を読んで、本の編者であり息子である高田漣は「そら恐ろしい」と思ったそうだ。

 「音楽に人生をかけていたんだな、と。10代の誓いを生涯ずっと胸に秘め続けたその一途さにおいて、わが父ながらそら恐ろしさを感じましたね。17、8の若僧が書いたものなので若さゆえの無茶なこととかたくさんあり、馬鹿だなぁって思うわけです。だからそんなに熱くなったってアメリカへ行くにはビザが必要なんですよ!とかいちいち注意したくなる。そんな蒼さ丸出しな彼の日記を、遥か年齢を超えてしまっている僕が、息子の目線で読んでいるというその不可思議さは何とも……。でも父が生きていたならあまり快く思わなかったかも。きっと空の上で苦笑いしてますよ、〈あいつめ〉って(笑)」

【参考動画】高田渡の71年作『ごあいさつ』収録曲“銭がなけりゃ”の
70年頃のパフォーマンス