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【Day 4】

ついにパフォーマンスの日となり、みんなの士気も高まるばかり。
まずはコーヘイ君と2人で、これもまた先のオーストラリアにおける〈ビッグ・デイ・アウト〉で知り合ったトロ・イ・モワのベーシスト、パトリックが参加するペインテッド・パームスのライヴへ。
トロ・イ・モワと同じく、これも絶対イギリスでは生まれないタイプの音楽。内陸なのにサーフ、聴こえないはずの波の音。サイケデリックの違い。

【参考動画】ペインテッド・パームスの2014年作『Forever』収録曲“Forever”

 

というか、よりくっきりしていますね、アメリカの音楽は。
いつだったか、コウヘイ君と話していて、イギリスのサイケデリックフォーク・ミュージックが源流なので、一等分かり易い例だと、やっぱりニック・ドレイクだという話になり、続いて初期のピンク・フロイド、〈やっぱターナーなんだよね〉という彼の一言が印象的でした。

【参考動画】ピンク・フロイドの67年作『The Piper At The Gates Of Dawn』収録曲
“Astronomy Domine”

 

つまり、ぼんやりしていて、どこかはっきりしない、靄がかかったような質感。
対してアメリカのそれは、なんといいますか、非常にくっきりした、晴れた感銘を受けます。簡単に言うとより明るく、キャッチー。話が思いきりずれました。

 

 

パトリックと一枚。
おもしろいやつ。暑い場所でしか会ってない気がする。
ベーシストとしても素晴らしいです。

機材の運搬はたいげんともんちゃんに任せ、先に街に出ていたわれわれ2人はパトリックと別れた後、空腹を満たすため、メキシカン以外の食べ物を!と意気込み、コウヘイ君が下調べしておいたラーメン屋〈だるま〉へ。救済。

これがだるま

 

 

 

 

オースティン産のペール・エール。なかなか美味しい。
イギリスのペール・エールほどコクがなく、オーストラリアで愛飲していたクーパーズと似たすっきりした味わいのペールでした。

2人して黙々とラーメンを流し込み、至福の時間を満喫した後、この日の会場であるホテル・ヴェガスへ。
先述の通り、どの会場にどの時間に行っても、誰かしらバンドが演奏しているので、ビール片手に音楽がいつでも楽しめるという点は素晴らしいことです。会場に着いてまずは元エメラルズマーク・マグワイアのソロ・ライヴを満喫。

【参考音源】マーク・マグワイアの2014年作『Along The Way』収録曲“The Instinct”

 

天候にマッチした、〈爽やかなマニュエル・ゲッチング〉とでも形容できそうな、多層的なレイヤーが心地良いギター・プレイでした。ガーデンにもステージがあり、ここで太陽を浴びながら無論呑み続けたわけですが、ここではテンプルズブラック・リップスなどが演奏。夕方5時に差し掛かり、この時点で早くも酩酊の危険があったので、酔い覚ましにとあたりを散歩。
このあたりはいわゆるイーストエンドで、中心部から少し離れた静かなエリア。フェスティヴァルの喧噪を束の間忘れさせてくれる、本来のテキサス、本来のローカル、本来の街の姿でした。

 

アメリカ

 

テキサスはアメリカのかの星条旗とは別に、こんなふうにテキサス州の旗を掲げています。
ローカルのコミュニティーが強く根付き、テキサス人であることに誇りを置いている証拠です。
ブリテン島のそれと似た感覚を覚える。

 

テキサス・フラッグとぼく

 

会場に戻り、機材を搬入してくれた残る2人と、マネージャーのレイチェルと合流、出番の10時までガーデンにて団欒。
ようやく暗くなり、心地良い酔い具合と共についにアメリカ、初ライヴを迎えます。
ほとんどがわれわれのことを知らないはずなのにもかかわらず、大勢のお客さんが集まってくれて、テンションはピークでしたが、
それ故、もはやジンクスと化したように、イントロでまず弦を切ってしまいました。
そんなに問題ではないのですが、続いて激しさの余りストラップが千切れる始末(外れたのでは、なく)、これには抗えず、サーカスの曲芸師のように、片足で弾き倒していたところ、なんとボッツのステージ・テックの人がささっと直してくれました。
本当に助かりました、ありがとう。

終演後はたくさんの人に話しかけてもらい、アメリカ初ステージは大盛況にて幕。

 

【Day 5】

尋常ならぬ筋肉痛を引きずって、ホテルからふたたびダウンタウンへ。
この日は2回ライヴがあり、フェスティヴァル自体は終盤にもかかわらず、われわれはむしろこの日から加速していくスケジュール。
まずはお昼の2時より、テリブル・レコード/サイベリア・レコードというオーストラリアのレーベルのショウケースに出演。
ロンドンではもはや演奏することのないような、非常に小さいバーのステージでの演奏となりました。
少し前にレディオヘッドのサポートを果たしたのも記憶に新しいコナン・モカシンも観に来てくれました。

【参考動画】コナン・モカシンの2013年作『Caramel』収録曲“I'm The Man, That Will Find You”

 

そして夜、ノー・レコーディングスのショウケース・パーティーに出演するため、
中心部から少し離れたオースティン大学のあるエリア、学生寮や学生運営のバーやスペースがある建物内のウェアハウスのようなところで、先日知り合った同じくノー・レコーディングスから作品をリリースするエンプレス・オブと共に出演。

【参考音源】エンプレス・オブの2013年のシングル“Realize You”

 

BO NINGENのライヴは昼間とは打って変わり、若き学生たちのエナジーが炸裂する拳と汗の行き交う嵐のようなハードコア・ショウへ。
最近では珍しく激しいモッシュが起こり、初期を想起させるライヴでした。
終演後の学生たちによる〈sick!〉〈awesome!〉〈dude!〉と、なんともアメリカン・ティーン英語のお手本のような言葉が次々に飛び交い、まるでラリー・クラークの映画をその場で撮影して観せられているような、不思議な感覚に陥る。
エンプレス・オブをはじめ、この日は良いアクトが多く、大いに酔っぱらい、気付けばホテルで卒倒。

 

【Day 6】

この日もライヴは2本。明朝4時にホテル発という辛辣極まるスケジュールのため、事実上この日が〈SXSW〉の滞在最終日となりました。
軽い宿酔または100ほどの天使を見据えながら、1本目、われわれも出演した〈ビッグ・デイ・アウト〉、それに〈サウンドウェイヴ〉と並ぶオーストラリアの大型フェスティヴァル、〈レーンウェイ・フェスティヴァル〉のキュレーションするステージへ。もはや会場到着と同時に〈beer o'clock〉の鐘が鳴るのは言うまでもありません。ツアーやこういう旅先では儀式化します。身体の緊張をほぐした後、ステージへ。

なかなかに良いライヴができたと思います。われわれの後に演奏したのが、最近もっぱらハイプの最中にいるファット・ホワイト・ファミリー
さまざまな人が噂し、賛否両論を巻き起こしている何かと話題のサウス・ロンドンを拠点にする彼らですが、意外(と言っては失礼なのは承知のうえで)にもすごく良いライヴでした。パフォーマンスもさることながら、機材のトラブルにうろたえつつも、やってまえ、もうええわ、といったような怒りに満ちた芸人魂を感じました。多くのミドルエイジ(主に50代後半)のリスナーにとっては、ピストルズを彷彿とさせるある種の傲慢さがエナジーとなり、ステージを支配しているような印象。昨今のロンドンのバンド・シーンのなかでは、かなり異端なのではないでしょうか。

【参考動画】ファット・ホワイト・ファミリーの2013年のシングル“Cream Of The Young”

 

このあたりから記憶が曖昧(おそらくは度重なるアルコールの痛飲による)でして、最後のステージ、NMEがキュレーションを務めた〈ブリティッシュ・ミュージック・エンバシー〉と題されたショウケースについては、割愛させていただきます。
このショウケース、文字通りイギリスのバンドだけを厳選していて、われわれは日本人にもかかわらずロンドンのバンドとして演奏できたのは、大いに光栄なことでした。
外には長蛇の列、結局入場規制がかかるほど大盛況で〈SXSW〉を締め括ることができました。