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 左から、矢澤直紀、前田哲司、角舘健悟

 

May

――5月頭に立て続けにライヴが3本あって、その最後の〈VIVA LA ROCK 2015〉で松田(光弘)さんが脱退されます。

角舘「みっちゃん(松田)が抜ける前の3本はもう完走直前のランナーみたいな感じで、5日をゴールとして一回走り切った。その次の〈SPACE SHOWER Presents SPRING BREEZE〉のライヴまでは意図的に3週間くらい空けたんです。だから休んで走って休んで走ってみたいな。俺らはその連続ですね」

――(松田が参加した)最後のライヴはどのように覚えられてますか?

角舘「俺がしっかりしてないといけないという長男的感覚に陥ってたから、ちょっとそっけなかった気がする」

矢澤「もう次に入るサポート・ギターもある程度決まっていた気はするから特に心配はなく、人もすごく来てたし、楽しむ気しかなかったですね。会ったときのこととかいろいろ振り返りながら演奏したことを覚えています。この日はみっちゃんのことしか考えずに演奏してた」

前田「たまらないね」

角舘「“Listen”のときに〈哀愁たっぷりに聴け〉と歌う部分があるんすけど。“Listen”はギタリストのためのと言うか、ロックスターになってね、みたいなギターが入ってる曲だから。そこで言葉を発したときに〈みっちゃん行っちゃうんだな〉と気付いた」

前田「全然実感がなかったです。みっちゃんとは大学の1回生のときから一緒にバンドをやってて、ずっと一緒にやると思ってた。だから本当に信じたくなかったんじゃないかな。残り3本とかも意識しないようにしてた。〈VIVA LA ROCK〉が終わってからもう本当にいないんだと思って、実際次のライヴに行ったらいなかった。そうなるまで実感がなかったです。想像以上にショックだったんですね」

――松田さんが抜けてからしばらくは、DYGL下中洋介さんがサポートに入ってましたね

角舘「(下中は)もともと俺とはすげえ仲良かったんですよ。彼もヨギーが結成した当初から知ってくれて、俺らの音楽をずっと好きでいてくれてた。でも彼はメタラーですからね(笑)」

前田「1人だけノリが違うと言われてましたね。ヨギーの3人はすごく横揺れなのに彼は縦すぎると(笑)」

角舘「そのなかでも彼は上手くやってくれてましたけどね。俺と2人でスタジオに入って〈俺はこう弾くぞー、お前はどう弾く!? もっと来いよー!〉みたいな、すごくフィジカルに擦り合わせた」

前田「いやー、でもこの時期は結構きつかったなー。なんかバンドの初めての苦労という感じでした。いままで辛いことがあっても楽しいと言って誤魔化せてたのが、ここでもう騙せなくなって絶望している時期でもあった」

角舘「ここで俺らが歯を食いしばれた理由には、周りのバンドがすごく気にしてくれてたというのもある。Yogee New Wavesというバンドへの期待値みたいな。〈絶対みっちゃん抜けないほうがいいよ〉とか言われてたしね。そのなかで俺らは周りの期待と自分たちの期待をどっちもクリアするにはどうすればいいかを考えた。そのハードルはすごく高かった」

前田「真面目な話し合いが増えた時期でしたね」

 

June

――高円寺AMP caféでの〈にんじん展〉で、角館さんがジンを出展されました。そのタイトルが「LIKE SIXTEEN CANDLES」という『SUNSET TOWN e.p.』の冒頭曲と同名ですね。

角舘「その頃から曲もあって、弾き語りでずっとやってました。人間と人間のまぐわいと言うか1個の細胞になりたいんだけど、それは溶けきるまで、つまり生きてるかぎりできない――これくらいの時期から、〈LIKE SIXTEEN CANDLES〉という概念が僕の人生のテーマみたいなものになってますね。1つになることは無理だとわかっていながら1つになりたいと思う矛盾性みたいなものに愛おしさを感じた。そこから書き始はじめたんです」

 

July

――7月は2日に“CLIMAX NIGHT(Super Mellow ver.)@IMAGE CLUB”の映像が公開されました。

角舘「Yogee New Wavesが3人になっちゃったというのもあって、新しい音を取り入れるという研究的な姿勢になったんですよ。新しい音楽をやりたいというより、おもしろい音を出したいというシンプルな反応でした。この〈Super Mellow ver〉も、僕がキーボードを入れてやりたいと言った。そのなかで〈これはないだろう〉〈いや、これが良いんだ〉とか試行錯誤があった。『PARAISO』で採り入れたチルウェイヴは、川や海で太陽が沈むのを眺めながら酒を呑んで最高だね、気持ち良いねという感覚に近いと思うんです。いわば、旅行みたいな都市から離れた体験というか。でも、俺はAORが似合うラグジュアリーでゴージャスな体験みたいなものもすごく好きで、この〈Super Mellow Ver〉ではAOR的な鍵盤を入れて都会的にやろうとしたんです。俺らはここらへんで無鉄砲な現実逃避をやめた。〈海を見に行って楽しいね〉というのは、大人がすることじゃないだろうと。海に行ってもいいけど、都市のなかでどれだけ楽しく過ごすかというのが大人の楽しみ方だと思ったんです」

角舘「このビデオの監督は佐藤大という、いまもミュージック・ビデオを作ってくれている奴なんですけど、ジャングル奥地のラグジュアリーな別荘にヨギーが女の子たちと遊びに行っているという設定なんです。この頃、俺と大ちゃんのなかで共通言語になってたのは〈セクシーさ〉。どんどんセクシーになろう、どんどん色気を出していこうとなった」

前田「全員の意見として大人な部分を持っていたいよね、というのがあった。音楽だけじゃなくて〈もっと大人なカッコイイ服着ようぜ〉みたいに服装とかも話し合った。でも、すべて自然な流れなんですよ。みっちゃんの脱退やメンバーが働き出したことで現実と向き合っていった」

角舘「〈楽しけりゃいい〉というのが終わったのは、絶対にみっちゃんが抜けた瞬間ですね」

前田「そこで、昨年からの無限大最強イケイケみたいなムードはなくなった。そして自分たちのペースでやるというのをすごく考え出した」

矢澤「シーン的にインディー・バンドが台頭してきたのもこのあたりじゃないかな。3月までのヨギーはぶっちゃけ何やっても良いと言ってもらえた時期。それが終わって、シーンにいろんな良いバンドが出てきた一方、俺らは現実の味も知り、変化しなきゃとすごく模索していた気はする」

角舘「バンド的には移行していこうという感じになりつつ、俺はもっと楽しめたらいいじゃないって気持ちがあったな。メンバーから〈鍵盤なくても良くない?〉という意見もあったんだけど、〈俺らは音楽家だし何がいけないの? 楽しくて素敵な音楽やりたいんだったら頭堅くなるのは良くないよ〉とメンバーを仕切ってた」

前田「うん、そうだったかもしれない」

角舘「まあメンバー落ち着けよ、絶対楽しいから安心しろよと」

前田「そこまで言うならやってみるか、という感じだったよね」

――バンドのモードが次に進んでいくなかで、ライヴのやり方も変化していったのでしょうか?

角舘「ただ、それまで培った〈ガキのグルーヴ〉って言ったら変だけど、〈やっぱ最高〉みたいな気持ちは……」

前田「ベースには持ってたな」

角舘「どんなに大人を意識したところでまだ抜け出せない。大人になりたいけどなりきれない青年たち、みたいな感じ。結局うんこちんこで笑えちゃうみたいな」

前田「でもそのうんこちんこにちょっと責任感あるみたいなね。大人のうんこちんこ(笑)」

 

August

――7〜8月は〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015〉や〈SWEET LOVE SHOWER 2015〉、角舘さんがDJで出演した〈TOKYO ISLAND〉など大きなイヴェントへの出演が多いですね。

角舘「俺は〈ROCK IN JAPAN〉からオファーが来たとき〈絶対に出よう、これに出ないのはおかしい〉と強く志願したんです。いまはメジャーとインディーのハイブリッドになりたいバンドが多いじゃないですか? インディーで終わりたくないバンドが多いなかで、俺らが一歩先に〈ROCK IN JAPAN〉に出ることは功績になると思ったんです。誰も出られなかったらハイブリッドにはなれないわけで、もっと後に続いたらいいなと思ってる。来年never young beachD.A.N.Suchmosの誰が出たっていいはずだし。全体の幅を広げる意味として〈ROCK IN JAPAN〉には出たいと思った」

前田「〈TOKYO ISLAND〉で角館がDJをした日に、俺も遊びに行ったんですよ。そこでSPECIAL OTHERSの人たちとゆっくり話す機会があって、それが本当に良かったんです。スペアザってどこかメジャー感覚がありながらもやりたいことをやってるし、すごくカッコイイと思うんです。そんな彼らが〈やりたいことやったらいいよ〉と言ってくれたんですよ。〈俺らはやりたいことしかやってないし、結果こうなったからお前らもなれるよ〉と。〈そのためにこういうでっかいところにも出るし、そうしつつ自分たちのやりたいことをやるのが長くやれる秘訣かもね〉と話してくれて、すごく感動した。そこだな、そのラインに乗りたいなと思った。今度オリンピックをやる場所で夕日を見ながら、健悟と俺とスペアザのメンバーで煙草を吸いながら話したんですよね。俺のなかで、その日にバンドをどういうふうに持っていくかが決まった気がした」

――ヨギーとスペアザ、音の柔らかさや色気は似てるように思います。

角舘「それは嬉しいですね」

――でも、大きな場所だと社会や大人の事情みたいなものともいっそう直面しますよね。そういう場で居心地の悪さを感じたり、あてられたりした経験はありませんでした?

角舘「それがですね、俺らはわりとどこでも楽しめる、柔軟に対応できちゃうゴキブリみたいな奴らなんです」

一同「ハハハ(笑)!」

角舘「〈ROCK IN JAPAN〉のバックステージに子供用のプールがあるんですよ。たぶん俺らがメジャーだったら事務所の人に申し訳なくてそこに入ったりできないと思うんですけど、俺らはなぜかメンバーみんなが海パン持ってきてるんですよ。で、メジャーなミュージシャンの子供たちが遊んでるなかに飛び込んでいった」

前田「普通は力関係とかで身を引くだろうし、〈あいつら空気読めよ〉みたいな周囲の雰囲気もあったけど、子供と混ざってどんちゃん騒ぎしちゃいました」

角舘「ただ子供の親が実は信じられないようなロックスターで、そのパパがプールに入ってきたときは〈やべえ〉と一瞬で出ましたけど(笑)」

――タフに楽しめるのはすごく良いですね。

角舘「なにをそんなに大人ぶってんだ、なにをそんなに子供ぶってんだって思いますよね」

 〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015〉でのYogee New Waves

 

――サポート・ギターが下中さんから吉田巧さんとなったのは夏頃からですか?

角舘「吉田が入ったのは7月12日の〈OUR FAVORITE THINGS〉からですね。俺とは高校の頃からの知り合いで、彼はもともとPARADEというバンドをやってたんです」

矢澤「昔、対バンしたよね」

角舘「僕らがヨギ―以前にやっていたThe Alien Hipsで何回か対バンした。ギターのリヴァース・ディレイでソロを弾けるようなサイケな奴なんですよ。それに俺は惹かれてたんです」

 吉田巧が在籍していたPARADEの2012年のライヴ映像