INTERVIEW

90年代生まれがジャズの未来を切り拓く! 石若駿×井上銘、伝統と革新を背負う新世代トップランナーが抱く思い

石若駿『CLEANUP』

90年代生まれがジャズの未来を切り拓く! 石若駿×井上銘、伝統と革新を背負う新世代トップランナーが抱く思い

いま日本国内でもっとも注目を浴びている若手ドラマーといえば、石若駿をおいて他にない。若干24歳ながらもその実力は誰もが認め、2014年にはテイラー・マクファーリンが来日公演の際に共演者として指名したのも記憶に新しいところ。昨年は若きポップ・マエストロ、北園みなみのミニ・アルバム『Never Let Me Go』に参加するなど、ジャンルを越えて注目を集めている。そんな彼が、ついに初のリーダー・アルバム『CLEANUP』をリリースした。〈JAZZ JAPAN AWARD 2015〉の〈アルバム・オブ・ザ・イヤー〉ニュースター部門、〈jazzLife DISC GRAND PRIX 2015〉ニュースター賞、〈ミュージック・ペンクラブ音楽賞〉ポピュラー部門のブライテスト・ホープ賞と各アウォードの新人賞をトリプル受賞した本作には、〈当代随一のドラマー〉という看板から連想しがちなイメージとは少し異なる、コンポーザーとしての魅力がたっぷりと詰まっている。ストレートアヘッドなジャズのサウンドを軸としながらも、多様なジャンルの断片が絶妙に埋め込まれた、唯一無二の個性的なアルバムに仕上がった。

そこで重要な役割を担っているのが、石若と同世代である91年生まれのギタリスト、井上銘だ。過去に2枚のリーダー作をメジャー・リリースしている彼もまた、新世代のトップランナーとして早くから注目を浴び続けている存在であり、『CLEANUP』に宿るレンジの広さや多彩なカラーリングをもたらしている(この2人が参加するモダン・ポップ・バンド、CRCK/LCKSもこれから注目すべき存在だ)。今回は『CLEANUP』の制作エピソードを軸に、日本のジャズの将来を背負う2人のキーパーソンが考えていることをたっぷりと語ってもらった。10代からの付き合いであるだけに、取材は終始和やかなムードで進行。2人のバックグラウンドやJ-Popへの興味、海外のジャズ・ミュージシャンとの交流や日本のシーンへの問題意識など、会話の内容も多岐に渡った。

石若駿 CLEANUP SOMETHIN' COOL(2015)

※試聴はこちら

 

駿くんも普通のジャズメンと同じように、
地道な道も通ってきているんだなって(井上)
 

――以前、井上銘くんが高校生の頃のライヴを観たことがあるんですよ。代官山でOOIOOとの対バンで。オマさん(鈴木勲が〈俺のバンドのギタリストは高校生なんだよ、すげーんだよ〉ってMCで自慢していた(笑)。それで(井上の)演奏がすごくて、会場全体がどよめいていたのを覚えてる。

※1933年生まれ。伝説的な〈幻の銀巴里セッション〉や名盤の誉れ高い『ブロー・アップ』(73年)など、多くの名盤を残しているジャズ・ベースのゴッドファ―ザー。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズサン・ラ・アーケストラに参加するなど、海外へも進出していた。近年はスガダイロー丈青小沼ようすけなど数多くの若手を発掘したり、KILLER-BONGとの『KILLER-OMA @BLACK TERROR』(2012年)やDJ KENSEIとの『New Alchemy』(2014年)といったコラボ作をリリースするなど刺激的な活動を続けている。

井上銘「実は駿くんに初めて会ったのも、オマさん繋がりなんですよ。17~18歳の頃かな」

石若駿「僕はオマさんのバンドに飛び入りしに行ったんですよ、新宿のJ(ジャズのライヴハウス)かどっかに。それで、オマさんから〈いいな、お前〉って言われて。それ以来、たびたび電話がかかってくるようになった。で、〈今度、中村恵介と井上銘とスタジオに入って曲を作りたいから〉と呼ばれて、そこで知り合ったんです」

井上「その時のことはよく覚えてますね。オマさんが目の前で弾いて(メロディーやコードを)教えてくれるんだけど、自分のペースでどんどん進んでいくから、俺が付いていけなくて〈え、え、え……〉ってなってたんだけど、その5分後くらいに駿くんが〈出来ましたー〉って譜面に書いていて(笑)」

石若「オマさんは口頭でいろいろ伝えるから、とりあえずそれをメモっておこうと思って、五線譜に書いていたんですよ」

井上「それを見て、〈ここのところは二拍三連ですか?〉ってオマさんに訊いたら、〈あー、そんな感じ〉みたいなね」

石若「すごくオリジナリティー溢れる曲が出来てたよね。それが高2くらいかな」

石若のドラム・ソロ・パフォーマンス映像。井上もこのライヴに参加

 

――早いなぁ。ちなみにオマさんのバンドって、どのくらいやってたんですか?

石若「最初にオマさんとやりはじめた時はトリオ編成だったんですよ。銘くんと3人で。KAMOMEとかエアジン(どちらも横浜のライヴハウス)でよく一緒にやってましたね」

井上「その後、僕は自分の最初のアルバム『ファースト・トレイン』(2011年)を作るのに専念することになるんですが。それでしばらく、自分のバンドでオリジナル曲をやってましたね」

石若「その後に銘くんがバークリーに留学して、日本に帰ってきてから、銘くんのセカンド・アルバム『ウェイティング・フォー・サンライズ』(2013年)の時に誘ってもらって一緒に録音したよね。“迷路”という曲があるんですけど。銘くんとレコーディングしたのはそれが最初ですね」

井上の2013年作『ウェイティング・フォー・サンライズ』収録曲“ウェイティング・フォー・サンライズ”

 

――「坂道のアポロン」はいつ頃?

※2012年4~6月放送のアニメ版では、登場人物である川渕千太郎のドラム演奏/モーションを石若が担当した

石若「〈アポロン〉はその2年後ですね。19歳の時なので」

――銘くんがデビュー作を作ったのは?

井上「(当時)20歳でしたね。僕の場合はそれまでビバップばっかりやっていたから、オマさんのバンドではいろんなことをやらなきゃいけなくなって、大変な毎日でしたよ(笑)。それまではフルアコ(フル・アコースティック・ギター)をアンプに直で繋いで弾いていたので、エフェクターの使い方も全然知らなくて。とにかくいっぱいいっぱい」

――銘くんはもともと、宮之上貴昭さんのところでギターを習っていたんでしょ? ジャズ・ギターの世界でもっともオーセンティックな人のレッスンを受けつつ、オマさんのバンドに参加するのは振れ幅がありすぎる(笑)。石若くんは、一緒にやる前から銘くんのことは知ってた?

※日本を代表するジャズ・ギタリスト。オクターヴ奏法の名手で、ウェス・モンゴメリーに由来するオーセンティックなジャズ・ギターのスタイルを追及していたことでも知られる。幻のデビュー作『ホワッツ・ハップンド?ミヤ』(78年)が2012年にリイシューされるなど、和ジャズ・ファンやDJからも人気が高い。

石若「名前を初めて聞いたのは、高田馬場のイントロ(ジャズ・セッション・バー)でしたね。〈すごい高校生のギタリストがいる〉って評判をいろんな人から聞いていて。ベーシストの織原良次さんが〈超ヤバイ奴がいる〉とよく言ってました」

井上「イントロに初めて行った時は怖かったなぁ。〈ジャズでセッションといえばイントロでしょ〉みたいなイメージがあったから、恐る恐る扉を開けてみたんですけど、(出演者)みんなの下ネタもヒドくて(笑)。僕はまだ17歳のピュアな少年だったので、普通にテンパってましたね」

石若「僕もその頃から(イントロに)行ってました。(地元の北海道から)東京に出てきて、ジャム・セッションできる場所を訊いたらイントロを勧められたから、高校の授業が終わったらイントロに行って叩く、みたいな毎日で。でも銘くんとはすれ違いで、なかなか一緒に演奏できなかったんだよね」

井上「たまたま最近、駿くんとも当時の話になったんですけど、駿くんは子供の頃からジュニア・オーケストラで叩いたり、日野皓正さんと共演していたりしたから、普通のミュージシャンが育つ過程と違うところから出てきた人なのかなと思ってたんです。でも、セッションを重ねたり、普通のジャズ・ミュージシャンと同じように地道な道も通ってきているんだなって」

――確かに。普通の過程は飛び越えて、最初からフックアップされ続けているイメージだもんね。

石若「東京に出てきた頃には、まだジャズのことが全然わかってなかったんですよ。ジャム・セッションに行くようになって、〈AABA〉(ジャズの楽曲における基本的な構成の形式)も知ったし、初めて演奏する曲でも、曲のサイズ感を1回やっただけで覚えるといったことも練習することができた。聴いたことはあるけど、楽譜がどうなっているかわからない曲を勉強したり。ジャム・セッションはそういう場所でしたね」

――意外と叩き上げなんですね。ちなみに、銘くんはいつ頃ジャズを始めたの?

井上「まずは15歳の時にギターを始めて、ジャズは16歳になってからですね。高校に入る直前に、親父がブルーノート東京に連れて行ってくれて、マイク・スターンのライヴを観たんですよ。それまでずっとロックをやっていたんですけど、その時のマイク・スターンのスタイルがロック・キッズにも届く感じで、〈これもジャズなんだ!〉と衝撃を受けて、そこから興味を持ちはじめました。そこから(ジャズ・ギターのスタイルを)まっすぐ遡っていったから、高校生の頃はウェス・モンゴメリーとかパット・マルティーノをめっちゃ聴くようになって。そこから宮之上さんに習いに行く、といった流れですね」

井上銘と宮之上貴昭のセッション映像

 

――なるほど。そこから2年後くらいで、イントロのセッションに行くようになったわけだよね。最初に観た時から、銘くんの演奏は上手かった?

石若「上手かったですね。〈これが始めて2年!?〉みたいな感じでしたもん。なんでそんなに弾けるんだろうって感じ」

井上「いま振り返ると、その頃はジャズのソロを弾くことに特化した練習しかしてなかったんですよ。だから、ソロを取ることだけは上手かったんだと思います。ギターっぽいフレージングとか、バッキングはあまりやってなかったから、円グラフにするとバランスが悪そうな感じというか。どちらかと言うと、僕は不器用なんですよ。融通も利かないし、自分のなかで消化しないと弾けないから」 

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