INTERVIEW

KONCOSがようやく辿り着いたスタート地点―ライヴハウスの熱や空気詰まった新作『Colors & Scale』までの長い旅路

(左から)古川太一、佐藤寛、紺野清志
 

Riddim Saunter(以下、リディム)の2人――古川太一佐藤寛のデュオとして2012年より活動をスタートし、今年に入ってドラマーの紺野清志が加入して3人組になったKONCOS。彼らが現編成での初作となるサード・アルバム『Colors & Scale』をリリースした。鍵盤を中心に据え、室内楽/ポスト・クラシカル的なポップスに取り組んでいた前2作とは打って変わって、紺野によるパワフルなビートと勇猛なホーン・アレンジに胸が躍る、パンキッシュなソウル・ミュージックに仕上がった新作に驚くリスナーも多いはずだ。

思えば、KONCOSは最初から〈挑戦〉のバンドだった。リディムでドラマーだった古川はそれまでほとんど弾いたことがなかった鍵盤に向かい、ギタリストだった佐藤は自身初のメイン・ヴォーカルに。そして、不慣れなパートを習得すべく、初作『ピアノフォルテ』(2012年)のリリース後に、47都道府県を回るツアー〈旅するコンコス~みんなのまちとぼくらのおんがく~〉を敢行した。さらに2作目『街十色』(2014年)時のツアー〈旅するコンコス~まちといろ 100のいろ~〉では、ライヴハウスやクラブのみならず、カフェやお寺など全国100か所以上で演奏。それら数年間をバンドは〈修行〉と語るが、あえて遠回りをしてきたような彼らの足どりが、日本各地で熱狂的なサポーターを産み出したのは間違いない。

『Colors & Scale』は、KONCOSにとって最初のピーク・ポイントと言えるだろう。このアルバムで発せられている音には、これまでの彼らが取り組んできた数々の〈挑戦〉が隅々にまで息づいている。だからこそ、彼らがいまこの音楽を鳴らすことの説得力は尋常じゃない。その理由を探るため、メンバー3人に結成当初から振り返ってもらった。

KONCOS Colors & Scale AWDR/LR2(2016)

“Sweet & Still”以上の曲は作れなかった

――2011年のリディム解散後、太一さんは大学時代にお世話になっていた坪口昌恭dCprGRM jazz legacy)さんからピアノを習うようになったそうですね。ドラムから鍵盤へと向かった動機は?

古川太一(キーボード/ヴォーカル)「リディムのときから僕と(佐藤)寛で曲を作っていて、僕が〈こういう曲をやりたい〉とレコードからネタ出しをして、寛がそれにコードを付けていた。メロディーとコード進行については、2人でずっと話し合っていましたね。でも、なんかワンパターンになってきちゃって、〈これじゃもうダメだな〉と思っちゃったんです」

――その作り方ではそれまで以上のものを作れないと思った?

太一「そうです。だから、僕もコードとかを理解して、自分でも表現できるようになりたいと思った。楽典的な理論を習得するには、(自分にとっては)鍵盤がいちばんわかりやすいんだろうな、ということにはうっすら気付いていたんです。そこで、ピアノを練習する一環として、寛と2人でカヴァーを始めて」

佐藤寛(ヴォーカル/ギター)「その頃は、ソフト・ロックとかを2人で演奏していました。ロジャー・ニコルスポール・ウィリアムズのデモを集めたアルバム(2002年発表の『We've Only Just Begun -Songs Composed By Roger Nichols & Paul Williams』)があるんですけど、ほぼピアノとギターと歌だけの作品ながらポップスとしてすごく完成されている。そのあたりの楽曲を、おもしろいねと言いながらピアノとギターでカヴァーして、コード進行についての研究をしていた」

太一「そうだね。そこがKONCOSのスタート地点」

「太一はピアノを始めたばかりで、まだコードがそんなにわからなかったから〈うわー!〉と苦しみながらやっていました(笑)。ただ、太一がピアノに向いていたのは、たぶんピアノは打楽器……ではないですけれど、叩くと音が出るじゃないですか。それが良かったんでしょうね。サクサクとはいかなかったですけど」

――太一さんが寛さんを誘ったんですか?

太一「いや、どちらからでもなく、自然な流れでした。たぶん2人とも、それまでリディムで残した楽曲では、終わらせられない気持ちがあったんです。ネオ・アコースティックへの衝撃で作った“Sweet & Still”まではやれたと思うんですけど、その方法も手癖になってしまっていたし、あれ以上の楽曲が出てこなかったんですね。僕は“Someday Man”やトッド・ラングレンの転調感を採り入れたかったんですけど、あのときはもう能力の限界に達していて。過去のレコードからサンプリングして、そこにメロディーを乗せるという、それまでの作り方から離れようとしたんです」

Riddim Saunterの2009年作『Days Lead』収録曲“Sweet & Still”
ロジャー・ニコルス&ポール・ウィリアムズの2002年作『We've Only Just Begun』収録曲“Someday Man”
 

――KONCOSの最初の2作、『ピアノフォルテ』(2012年)と『街十色』(2014年)は譜割りとコード進行にフォーカスした作品という印象があって。

太一「そうですね」

――『ピアノフォルテ』はピアノによるポップス的な側面が強くて、『街十色』は現代音楽やインディー・クラシック的な要素がより出ています。これら2作はどんなコンセプトで制作されたのでしょう?

太一「『ピアノフォルテ』はリディムをさらに洗練させたものというか、あのままやっていたらこうなっていたのかな、という作品ですね。ちょっとピアノを弾けるようになったことで、コード進行は鍵盤から派生しつつ、手癖もまだ残っていたし。『ピアノフォルテ』の頃は、歌詞を日本語にしたいという気持ちが強くて、日本語のポップスをたくさん掘っていました。あとハワイアンAORの流れも好きで、Delmonico’s森(隆男)さんにそういう音楽を日本語でやっている人――二名敦子さんとかを教えてもらったんですけど、それもすごく新鮮で」

※下北沢にあるバー。1万枚近くのアナログ盤を揃えている。

『ピアノフォルテ』収録曲“ムスカリンリン”
 
二名敦子の84年作『LOCO ISLAND』収録曲“カラパナ・ブラック・サンド・ビーチ”
 

――うんうん。

太一「『ピアノフォルテ』のあとに、『日常』(2013年)というサウンドトラック的な作品を作ったんですけど、そのあたりはポスト・クラシカルとかピアノが中心の音楽――ダーティ・ビーチズがピアノのみで作った『Hotel EP』(2013年)とかをすごく良いなと思っていました。それからニルス・フラームゴンザレスなどインディー・クラシックを熱心に聴いて勉強して。インディーR&Bの流れでも、ライブラッド・オレンジはピアノを採り入れていましたよね。あとサンパドレイクの曲を作ったり、ヒップホップはもうずっと好きなので、そっちの流れも見つつ。『街十色』に関しては、そのあたりの動向を気にしなあがら、自分たちのポップスとして上手い着地点を探していました」

 

ダーティー・ビーチズの2013年作『Hotel EP』収録曲“Danseur De Ballet”
ニルス・フラームの2012年のパフォーマンス映像
 
『街十色』収録曲“銀河鉄道がトンネルを抜ける Part 1からPart 2”
 

――『ピアノフォルテ』のリリース直後には、47都道府県を回るツアー〈旅するコンコス~みんなのまちとぼくらのおんがく~〉をスタートさせて。

太一「僕がピアノを弾くことも寛がメイン・ヴォーカルで歌うことも始めたばかりだったので、とりあえずがむしゃらにやってみるというスタンスでした。寛も僕もヴォーカリストとして歌ったことはなかったし、人前でワーワーやるのもまだ恥ずかしくて。ただ、これをやらなきゃダメだという気持ちだけがあって、毎日が修行でしたね」

――そして『街十色』のあとには、全国100か所へのツアー〈旅するコンコス~まちといろ 100のいろ~〉をスタートします。〈47都道府県〉からさらに数を増やしたという(笑)。

太一「〈47都道府県〉のときはリディムの残りの風がまだ吹いていて(笑)、解散したバンドの人がやっているという受け入れられ方だった。その頃はマネージメントに一人付いてくれていたから、ブッキングの部分でちょっと口出ししつつ、甘えている部分があったんです。そこがなんか引っ掛かっていて。〈100か所〉のときは、マネージャーがいなくなったこともあり、ブッキングから移動まで、すべて2人で動いた。そこで、いろいろな人に出会うことができたんです」

――〈47都道府県〉のときに引っ掛かっていたというのは、どういった点ですか?

太一「自分が(ライヴをさせてもらう)お店の人とちゃんと繋がってない部分があったんですよね。なんとなくマネージャーがやりとりをして、あくまで僕らはアーティストとして会場の人と繋いでもらっている感じが、自分に合っていない気がした。だったら自分で繋がったほうがいいなと。そっちのほうが早いし、ストレスもなかったんです。ブッキングの時点でやりとりしているから、お店に行ったときも〈はじめまして〉じゃないから、話がしやすいし。だから、2人でやってみようと思った」

――特に〈100か所〉の会場を見ていくと、大きなライヴハウスよりも個人で運営されているカフェや喫茶店でライヴをしていた印象が強くて。浜松では手打ち蕎麦のお店でやられていたり。個人で場所を作られている方と、より深くコミュニケーションしたいという意識を持っていたのかなと思ったんです。

太一「そういう個人の店にはそれぞれのこだわりがあるんですよね。大きいライヴハウスがない街にも〈100か所〉で行けたことは大きいな。新幹線が走ってない街とかだと、ライヴをやる場所がライヴハウスじゃないことも多くて。お店の人がすごくがんばって街の人たちを繋げているさまを見られたのは素晴らしい経験でしたね」

――あくまで僕のイメージなんですけど、そういうお店はそれぞれのやり方で続けるための創意工夫をされている気がして。KONCOSのこれまでの活動も〈長く続けていくには〉をテーマに動いてこられたような印象があるんですよ。

太一「あー、確かにそうですね。音楽を生活にするにはどうすればいいか、とは考えていたよね。〈47都道府県〉をやり、〈100か所〉するにあたって、毎日ライヴをしながら活動できたら良いよねって。そこで、宿泊とかを含めてお金のことも、より自分たちで考えるようになった。そういうことを考えながらやってはいたんですけど……」

――はい。

太一「けど……からが結構なんかね(笑)。実際はこれじゃダメだなという感触もあったんです。いろいろなところに行って、その街の人と繋がってという経験は何物にも代えがたいことだったんですけど、その一方で大都市での集客力がないと、小さな街に行ってたところで人は来ないというのも痛感した。ライヴもなんかほんわかして終わる、みたいな。僕らは椅子のあるところでライヴしたかったわけじゃないし、大きい音でワーっと叫んで汗をかいてダンスしてとか、そういうライヴをやりたかったのに、みんなからの見え方も違ってきて。もうちょっと何かできるんじゃないかなと思いはじめたのが『街十色』を出した頃ですね。〈47都道府県〉での修行の成果として、ほぼピアノとギターだけで作ったアルバムにもかかわらず、そのツアー初日からバスドラとシンセ・ベースを加えたんですよ。一時期の僕のスタイルはここからですね。右手で鍵盤を弾き、左手でシンセ・ベースを弾き、足でバスドラを叩くという(笑)」

――あの忙しないスタイル(笑)。初めて観たときは〈太一さん、すごい所に来たな〉と思ったんですけど、もがいていた面もあったんでしょうね。

太一「もがいてましたね(笑)。2人だけでやることには頑なにこだわりつつ、これじゃダメだと感じていた部分があった。決定的だったのは〈100か所〉の前半ファイナルと銘打った下北沢SHELTERでのライヴ。忘れもしない2014年7月15日だったんですけど、お客さんが本当に少なくて……。でもSHELTERでは入んないけど、カフェとかだともっと集客できていたんです。そこで、これはやりたいことと違っていると思った。なんとなく危機感もあったから、SHELTERをツアーの折り返し地点にしたんですけど、完全なる失敗でした。PINK POLITICSThe Restroomsといった近しいインディーのバンドに出てもらっても伝わらなくて。あー、ライヴハウスにいないとこうなるんだ……と。僕がずっといた場所なのに、離れちゃったんだなって」

――それは悲しい発見ですね。

太一「ただ、そこで音楽のことは音楽の場所を中心に回っていて、その場所でしか伝わらないことがあると気付けた。ライヴハウスも、僕らがやらせてもらった地方のお店と同じ目線で凄いということがわかったんです。それからライヴにめっちゃ行くようになりました。なるべく目当てのバンドの対バンも観るようにして。いまどんなバンドがいて、どんなシーンがあるのかを知りたいと思ったんです。それが本当におもしろかった」

――ライヴハウスの空気に以前と変化を感じた面はありますか?

太一「いや、若くなったと思 うけど、ずっとやっている人はちゃんといるし、ライヴハウスはやっぱりこうなんだなって。ライヴが格好良かったら〈かっけぇじゃん!〉と声をかけるし、ライヴがダメだったら仲良くなんないし。そういう厳しいルールがあるうえで、バンドとバンドがビール呑んで音楽の話をしたり、ライヴハウスの店長……例えば(京都・二条nanoの)モグラさんが〈お前ら良いじゃん、呑もうよ!〉とか出演者に声をかけていたり。そういうのが最高だなと思ったし、あ、コレだなと思った。とにかく楽しかったんですよね」

――そして〈100か所〉の終盤で、清志さんがメンバーに加わって。

太一「あのSHELTERのときに清志も遊びに来ていたので〈もうこれじゃダメだから、ドラム叩いてくんない?〉と誘ったんです。〈100か所〉の最後の10会場から清志が叩いていますね」

紺野清志(ドラムス)「最初は付いていくだけで精一杯でしたね。どうやらリズム感が僕と太一さんとでは正反対みたいで、僕はかなり後ろ寄りなんですよ。KONCOSに加入してから気付いたんですけど」

太一「もともと清志は、ハードコア・パンクミクスチャーとか重たい音楽をずっとやっていたからね」

――清志さんが加入した際、太一さんがブログで〈200本くらいライヴをして、やはり必要だったのはドラムだったと気がつきました〉と書かれていて。その説得力たるや、半端ないなと思ったんですよ。

太一「ハハハハ(笑)! どれだけかかったんだって話ですよね。お前ドラマーだし、早く気付けよって」

 

自分たちのこれまでの活動とそこで会えた人によって出来たアルバム

――そして、今年5月に3人編成での初シングル“Magic Hour”をリリースしました。

太一「“Magic Hour”は、2人編成での最後に、それまでの作曲方法を葬るべく作った曲なんです。あれを出すことによって、第1期KONCOSだけでなくリディムにもやっとピリオドが打てた。とりあえず“Magic Hour”を出しておかないと先に行けなかったんです。その先にあるものとして、この『Colors & Scale』というアルバムがあって」

――うんうん。

太一「だから“Magic Hour”は僕らと繋がりのある店舗での限定販売にしたんです。2つのツアーで知り合えたお店への〈ありがとうございました〉であり、〈皆さんのおかげでこうなりました〉という意思表明。前2作の曲をバンド・ヴァージョンで収録しているのにも、そういう意味がある。お世話になった人とお店だけに卸すという流通の仕方から、それまでの僕らの活動が見えるようにしたかったんです」

――“Magic Hour” と新作の『Colors & Scale』は、どちらも京都のmusic studio SIMPOで録られていますね。京都でのレコーディングを選んだ理由は?

太一「京都の丸太町METROでライヴをやったときに、リハからすごく気持ち良く演奏できたんですけど、そのときのPAがSIMPOの荻野(真也)さんだったんです。それが頭に残っていて、〈お願いしよう〉と。僕と寛は(ノルウェーの)ベルゲンでレコーディングしたこともあったし、それのいまヴァージョンとして京都に行くのは、おもしろいんじゃないと話して」

荻野真也が録音/ミックスを担当したHomecomingsの2016年作『SALE OF BROKEN DREAMS』収録曲“PERFECT SOUNDS FOREVER”
 

――2人がベルゲンに行ったのはリディムの『Days Lead』のときですよね。あの作品には当時のノルウェー・ポップのムードが落とし込まれていましたが、そういう意味で、今作にも京都という街の空気感は吹き込まれていますか?

太一「SIMPOに集まる良い音楽の感じというのは入っているんじゃないかな。ベルゲンもベルゲンだから良いわけではなくて、僕らが使ったスタジオの周りに集まるミュージシャンや彼らのスタンスが良かったんです。夜に遊びに行くとアーランド・オイエマティアス・テレスがいて、みんなでセッションをしていたり。今回の京都でも、THE FULL TEENZのみんながスタジオに来てその場で一緒に呑んだり、夜にMETROに遊びに行ったり、超美味いビールを出すBUNGALOWというお店にSONGBIRD COFEEのみんなと集まったり。音楽をちゃんと作ってる人たちが音楽の話をして、じゃあ〈明日何かしようよ〉となり、翌日に急遽SONGBIRDでイヴェントをして、〈またね〉と別れる。その街と人の良い空気感というのがこのアルバムにもすごく詰め込まれていて」

THE FULL TEENZの2016年作『ハローとグッバイのマーチ』収録曲“PERFECT BLUE”
 

――関西のミュージシャンも多く参加されているそうですね。

太一「いちばんキーとなったのは、ライヴでも吹いてくれているユウちゃん(古川雄大Special Favorite Music)とせいぞう(清造理英子三田村管打団)のホーン隊。ここにいる3人と彼らがメイン・メンバーですね。あとはコーラス隊。ずっと歌ってくれている3人のコーラス隊が東京にいて、彼女たちがメロディーを膨らましてくれた。あとはSONGBIRD COFEEで公開録音したのが結構デカくて、来てくれたお客さんたちに、お酒を呑みながら〈Yeah!〉とか歌ってもらったんです。あそこで、みんなが“Magic Hour”と“月待つ島まで”を歌ってくれたときのテンションがアルバムの温度を決めたと思う。あとは京都ではTHE FULL TEENZの伊藤(祐樹)ちゃんや上田(修平)さんに歌ってもらったり。それ以外だと、カジ(ヒデキ)さんやチャーベさんなど、ずっと繋がりのある人に助けてもらいました。」

Special Favorite Musicの2016年作『World's Magic』収録曲“Magic Hour”
カジヒデキの2016年作『THE BLUE BOY』収録曲“Heroes”。KONCOSの2人がバックを務めている
 

太一「あとバンド系の楽曲以外では、HARVARDのヤック(植田康文)くん。ヤックくんと作ったアルバム中盤の曲は、彼のHARVARD的センスが炸裂しています」

――“Mercie”ですね。多幸感溢れるブレイクビーツに仕上がっていて、実にHARVARD印だなと。

太一「僕はHARVARDの大ファンだったから、対等な立場で一緒に作れたのがすごく嬉しくて。あとは1曲目“Palette”のイントロでB.I.G. JOEMIC JACK PRODUCTION)さんの声をスクラッチしたんですけど、ジョージ(B.I.G. JOE)さんに〈使っていいですか?〉とメールしたら〈うん、いいよ〉と返してくださって。それも嬉しかったですね。そこは北海道3人ならではのマナーがあり。ジョージさんの〈Ghetto Boys〉という声のスクラッチから始まるのはルーツに戻れた感じがある。このアルバムには、僕らにとって意味がある人の、意味がある音しか入ってないんです。この楽器が欲しいから入れたという音は入ってないんじゃないかな。その人自身が必要だった」

HARVARDの2003年作『LESSON』収録曲“Clean & Dirty”
MIC JACK PRODUCTIONの2002年作『SPIRITUAL BULLET』収録曲“Cos-Moz”
 

――例えばリディムだと3作それぞれに同時代の洋楽からの参照点があったじゃないですか?

太一「ありましたね」

――そういう点で、今作のインスピレーション源となった音楽はあったのかなと。

太一「いや、それはなくて。ほかの音楽というより自分たちのこれまでの活動とそこで出会えた人によって出来たアルバムだと思う。僕らが直接触れ合ったものを、自分たちなりに音楽で表現することを目標に持っていたのかな。海外の音楽も大好きで聴いていますけど、もう参考にするのはつまんないなとなったんです。いまそういうことをするのは、僕らじゃなくていいかなって」

 

――アルバムへのファースト・ステップは去年の〈RECORD STORE DAY〉にリリースされた“きつねのくに”だったような気がしていて。あそこでバンドのモードが変わった印象なんですよ。

太一「そうそう。あの曲は清志がドラムを叩いているんです。あの楽曲で、ブギーファンクなど自分が好きな黒人音楽の要素を、曲の芯の部分に持っていけた手応えがあった。さらにブラック・ミュージックに寄せていくにはどうすべきかを考えて、“Parallel World”に取り組んだんです。“Parallel World”は3人になってからいちばん化けた曲ですね。完成したときは〈いちばん好きなものをやっと表現できた!〉と思えた。それまでの曲はポップスとしては良かったけれど、僕のいちばんのルーツである黒人音楽的な部分はなかなか表現しきれなかったんです。“Magic Hour”の先の表現をParallel World”ではできた」

――ディスコブギー的なサウンドという点から見ても、今作でのホーンの活躍は大きいですよね。ソウルフルなフレーズだけじゃなく、“Baby”でのアヴァンギャルド・ジャズを彷彿とさせるフリーキーな音も強烈です。ただ、楽器や音数が多くなっても、これまでKONCOSが取り組んできたテクスチャーを意識したポスト・クラシカル的な音作りはちゃんと継承されている感じがあって。

太一「あー、そうですね」

――だから、ガラッと変わったというよりは、過去2作でやってきたことをロック・バンドとしてアップデートした印象なんですよ。

太一「本当にその通りですね。ドラムが入ったことによって、クラシックや室内楽、ブギーやディスコ/ファンク、ロックやパンクといったうるさい音楽――それら全部を組み込んだアレンジをできるようになったから」

――そうした多くの要素を巻き込みつつ、端正に仕上げているという点でアレンジも巧みになっています。

太一「アヴァンギャルドな側面と、自分たちらしいポップな面のバランスを取れるようになった気がします。ただ詰め込むだけじゃなくて、鍵盤がこの場所だから、こことここの間にギターを弾いて入れようとか、じゃあベースはここでとか、そういう話をできるようになった。その結果、音の響き方も変化したんです」

――それはまさにテクスチャーの話ですよね。そういう作り方ができるようになったのは『ピアノフォルテ』と『街十色』があってこそだと思います。

太一「いや、まさにそうなんですよ。あの2作を作っていなかったら無理だった。もうちょっとノリでしか音楽をできなかったんじゃないかな」

――個人的には前2作から今作までのKONCOSの変化には、N.E.R.Dの『In Search Of…』(2001年)を思い出したんですよ。あの作品の、最初に打ち込みのトラックで作ったアルバムが出て、そのあとにスパイモブが演奏し直したものが再リリースされて……という流れに近いような気がした。

太一「それはめっちゃ近いかもしれない。彼らもたぶん人間のグルーヴが欲しかったんでしょうね。当時ファレル(・ウィリアムズ)が打ち込みのドラムが生に替わっただけで全然違うと言っていました。僕らが“Magic Hour”のシングルで前2作の楽曲をを録り直したのもそれをやりたかったからなんです」

N.E.R.Dの2001年作『In Search Of...』収録曲“Things Are Getting Better”(最初のヴァージョン)
同曲の再リリース・ヴァージョン
 

作りたかったのは、ライヴハウスで鳴らされている音楽

――前2作では、自分が見てきたものをテーマに歌詞を書かれていて、『ピアノフォルテ』では帯広が、『街十色』では〈47都道府県ツアー〉で見た数々の街が歌われていた。今作の歌詞には、どんなテーマを設けたのでしょうか?

「今回は、何についてというよりは、自分の内から出てくるものを書いた感じですね。歌詞を書くときは、どんなテーマで書こうかと太一とも軽く話すんですけど、今回はそこもわりと曖昧で。詞が貯まっていくうちに、色というキーワードが多いなと気付いた」

太一「“Magic Hour”と“月待つ島まで”まではしっかりとテーマを決めて書いていたんです。でも、それから先に出来た曲は、コードの響きから見えてくる色彩を取っ掛かりに、これはモノクロ、これは緑とか、僕が言ったことをヒントに寛が書いていった。〈色彩と音階〉というテーマは最初から決まっていて、一曲一曲を色合いとして捉えようとしたんです。そして、最初と最後に、それまでの活動があったからこそ出来た、いまの僕らの説得力になっている大事な曲があり、その間に僕らのこれからを表した曲があって、それらすべてをカラー・チャートのように繋げようと思った」

――今作にはダンス・チューンもあれば、ムーディーなダウンテンポもあって、前2作よりも夜が似合う音楽になっている印象です。ライヴハウスやクラブの空気が反映されているような気がしました。

太一「やっぱり自分はアンダーグラウンドが好きなんですよね。みんながお酒を呑んで、タバコの煙で空気がモクモクしていて、落書きがあるようなライヴハウス。そこで鳴らされている音楽を作りたかったんです。“Parallel World”あたりはそういう曲を作ろうと思っていました」 

 

――“Magic Hour”で夕方からスタートして、途中ダークなムードも出しつつ、最後に“月待つ島まで”で大団円になる。そして“Outro”のあとに“Whistle Song”のカヴァーが始まって。今回の“Whistle Song”のアフター・アワーズ感といったらないですよね。

太一「そうなんですよ。あれは明け方、最後にダンクラがかかって手を上げる系。だから“Outro”のあとなんですよ」

――一晩のパーティーの流れを映し出した作品のようにも思えました。ちなみに“Whistle Song”をやるようになったのはフランキー・ナックルズ(2014年没)への追悼ですか?

太一「そうですね。2人のバンドでやるハウスというか、僕らで“Whistle Song”をやるのはリスペクトになるかなと思った。こういうバンドでもハウスを心に持っているんだぞって」

フランキー・ナックルズの91年の楽曲“The Whistle Song”
 

――そもそもKONCOSは“虹色レインボー”の時点で、レア・プレジャー“Let Me Down Easy”の鍵盤フレーズをなぞっていたから、“Whistle Song”のカヴァーもまったく奇を衒ったものじゃないわけで。

太一「そうそう! でもなかなか伝わらないんですけどね(笑)。やっぱりドラムがいないと難しかったみたいで。レア・プレジャーとか言ってくれた人、誰もいなかったですからね」

レア・プレジャーの76年の楽曲“Let Me Down Easy”
 

――これまでの2つのツアー然り、KONCOSは作品を出して次に何をするかを大事にしてきたバンドだと思うんですが、今作のあとにはどんな活動を考えられていますか?

太一「うーん。ライヴをしたいなと思っています。やってますけど(笑)」

――どちらかと言えば、すごくたくさんやっていますよね(笑)。

太一「でもやっぱライヴなんだよな。1回1回のライヴを生きるか死ぬかくらいの感じでやっているので、そこをうまく拡げていければなと思っています。このアルバムは、一生これを持って生きていくくらいのモノが作れたと思っていて。そのあとにどうなるかはこの先(次第)だと思いますね。いままでが修行だったし、それもまだ終わってないんですけど、やっとゼロの場所、スタートラインに立てた感じがある。寛とずっと作ろうとしてきたものがようやく形になった気がするんです。あとはそれをどうしっかりと見せられるかにかかっている。いまの僕らはゼロからで、なにが上手いとか、なにが優れているとかじゃない男たち。だから、嘘がないようにやるしかないなと思っています」

 

KONCOS『Colors & Scale』Release Tour
9月16日(金)東京・下北沢SHELTER
9月17日(土)岡山PEPPERLAND

9月18日(日)香川・高松 TOONICE

9月19日(月)広島 4.14

9月22日(木)栃木・宇都宮 HEAVEN'S ROCK

9月24日(土)北海道・帯広 Studio Rest

9月25日(日)北海道・札幌 KLUB COUNTER ACTION

9月30日(金)宮城。仙台 enn 3rd

10月1日(土)山形・酒田 hope

10月2日(日)岩手・盛岡 CLUB CHANGE

10月7日(金)新潟 GOLDEN PIGS BLACK STAGE

10月14日(金)宮崎 SR BOX

10月15日(土)鹿児島 SR HALL

10月16日(日)福岡 graf

10月22日(土)大阪・心斎橋 Pangea

10月23日(日)愛知・名古屋 CLUB ROCK'N'ROLL

10月30日(日)東京・新代田 FEVER
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