ジョセフ・ライムバーグの名前はまだ聞き慣れないかもしれないが、ケンドリック・ラマーの金字塔『To Pimp A Butterfly』(2015年)でプロダクションの軸を担い、ドクター・ドレーやエリカ・バドゥ、スヌープ・ドッグともコラボ経験を持つトランペット奏者/プロデューサーだと知れば、只者でないことが伝わるはずだ。そんな実力者がリリースした初のリーダー作『Astral Progressions』には、テラス・マーティンやカマシ・ワシントン、ビラル、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、ジョージア・アン・マルドロウなどシーンを彩る重要人物が集まっている。ジャズやヒップホップ、ファンク、ビート・ミュージックまで溶け込んだそのサウンドは、現在進行形のブラック・ミュージックに親しむリスナーを大いに歓喜させるだろう。LA産らしいスピリチュアルな音像と壮大なスケール感、底抜けのエネルギーと研ぎ澄まされたエディット・センスは、カマシの大作『The Epic』(2015年)にも比肩する……と言ったら大袈裟だろうか。そのカマシが嵐の如くサックスを吹きまくったリード曲“Interstellar Universe”を、まずは聴いてみてほしい。
ジョセフ・ライムバーグが『To Pimp A Butterfly』にもたらしたもの
ジョセフ・ライムバーグの素顔に迫るため、今回はLAで行われたインタヴューでの発言を交えながら彼の歩みを掘り下げてみたい。まず気になるのは、ジョセフが『To Pimp A Butterfly』に参加することになった経緯だ。ブラック・ミュージックの新たな黄金期の象徴であるとの同時に、ロバート・グラスパーやカマシ・ワシントン、サンダーキャットらが参加し、ジャズとヒップホップの関係性をアップデートさせた記念碑的なアルバムに、彼はどのような経緯で携わるようになったのか?
「最初はテラス・マーティンの紹介だったよ。〈ケンドリックの新作を作っているんだけど、君が最近作ったビートを聴かせてくれないか?〉と連絡があってね。そこからしばらくして、『To Pimp A Butterfly』のためにケンドリックが最初にレコーディングした曲の一つが“How Much A Dollar Cost”だという話を聞いたんだ。俺がスタジオに呼ばれるようになった頃には、ケンドリックはすべてのヴァースをレコーディングし終わっていた。だから、俺の仕事はホーンを演奏したり、ヴォーカルを録音したりすることだったよ。ケンドリックは俺の声をたまたまスタジオで聴いて、アルバムで使いたいと言ってくれたんだ」
“How Much A Dollar Cost”と“You Ain't Gotta Lie (Momma Said)”は、プロデューサーとしてラヴドラゴンという名前がクレジットされているが、これはジョセフとテラス・マーティンによる共同ユニット。最初は何者なのか公表されていなかったために、〈ドクター・ドレーの変名では?〉とも噂された。ジョセフは複数の曲で演奏/バッキング・ヴォーカルを担当しているほか、上述の2曲ではビートも作成している。
「ラヴドラゴンというユニット名は、テラスが思い付いたんだ。彼はエゴよりも音楽性を前面に出したかったみたいで、神秘性を持たせるためにこういう名前にしたらしい。しばらくの間はミステリアスだったけど、結局は誰なのかバレちゃったね(笑)。(ビート作りについては)俺はオールド・スクールだから昔ながらのサンプラー、ASR10をいまだに使っている。そのビートにテラスが(スタジオで)いろいろな楽器のレイヤーを重ねて、ブリッジを追加することで曲のレヴェルをさらに上げていったんだ。曲の出発点は俺が作ったけど、最終形に持って行くにはそういうコラボが必要だった。『To Pimp A Butterfly』に関われたのは光栄だったよ。現在のシーンは同じようなサウンドの繰り返しが多いし、オートチューンやトラップ・ビートばかりで飽きてくるからね。それよりも、多様性のあるサウンドや社会的なテーマのラップをみんな求めているんじゃないかな。あのアルバムに参加したことで、自分のアルバムでも好きなようにやっていいと学んだんだ」
音楽との出会いと、プロデューサーとして台頭するまで
ジョセフの実績を辿ると、テラス・マーティンやカマシ・ワシントンと一緒に、スヌープ・ドッグのツアー・バンドに3、4年ほど参加しているほか、『Paid Tha Cost To Be The Boss』(2002年)、『R & G (Rhythm & Gangsta): The Masterpiece』(2004年)の2作でビートを提供。そこでの縁がきっかけで、エリカ・バドゥ『New Amerykah: Part One (4th World War)』(2007年)の録音に参加したほか、ロビン・シックやサーラー・クリエイティブ・パートナーズなど名立たる大物ミュージシャンに重用されてきた。それに加えて、2014年にはファンカデリック『First Ya Gotta Shake The Gate』に演奏面でサポートをしている(ジョージ・クリントンは、後述するジョセフ所有のスタジオにも出入りしていたそうだ)。
音楽的なバックボーンを確かめるべく、ジョセフの歩みを一から遡ってみよう。LAの北東地域、イーグルロックで生まれた彼は、家で父親が吹いていたのがきっかけで、5歳のときにトランペットを手にするようになる。その後はプライヴェートのレッスンを受けたり、ジャズ・バンドで演奏したりしながら腕を磨いていった。そのあと90年代初頭には、マッドキャップというヒップホップ・ユニットにドクター・スーズを名乗って参加している。
「自分の役割は、トランペットとラップを少しずつ。でも、マッドキャップは寿命が短かった。ドクター・ドレが『The Chronic』を発表した92年にデビューして、アルバムを1枚リリースしているけど、まだ(所属レーベルの)ラウドが立ち上がったばかりで、俺たちはスティーヴ・リフキンド(レーベル創立者)の実験台に過ぎなかったのさ。ラウドがウータン・クランを見つけたときには、俺たちはもう終わりだった。その後はカリフォルニア芸術大学で、ジャズのほかにアフリカやインドの音楽を勉強していたんだけど、この時期からDJをするようになって、プロデュース活動にも力を入れはじめたんだ」
そこから独学でビートメイクを学んだジョセフは、ヒップホップの聖典とされるブレイクビーツ集『Ultimate Breaks & Beats』を買い集める一方で、両親のジャズ・レコード棚を掘り進めながら音楽の知識を深めていく。そして、フリースタイル・フェローシップの2001年作『Temptations』のプロデュースを手掛けたことがきっかけで、メンバーのマイカ9を通じて、彼らが拠点としたグッド・ライフ・カフェに出入りするようになる。ジュラシック5やファーサイドを輩出するなど、LAシーンの発展を支えてきた同ライヴハウスのすぐ近くには、現地のジャズ奏者を育成する場であるワールド・ステージやフィフス・ストリート・ディックスも居を構えているのだが、そこで目撃した光景がジョセフの人生を大きく変えていった。
「グッド・ライフ・カフェでは、出演者のフリースタイルがすごくて衝撃を受けたね。ヒップホップ・ナイトだけではなく、ジャズ・ナイトの日もあって、俺も初めてのライヴをあそこでやったんだ。それに、ワールド・ステージとフィフス・ストリート・ディックスもかなり盛り上がっていたよ。そのワールド・ステージで、ビリー・ヒギンズ※がテラスやカマシと一緒に演奏しているのを観たんだ。当時の2人はまだ若かった。よくワールド・ステージの前でテラスと喋ってたんだけど、その頃に彼はMPCかASR10を持っていて、DJクイックからドラム・サンプルをもらったと話していたな。彼と仲良くなったのは、一緒にスヌープ・ドッグの仕事をやるようになってから。そこから最近、ケンドリック・ラマーの仕事でまた親交が深まったんだ」
※オーネット・コールマンとの共演で有名なドラマーで、ワールド・ステージの設立者。2001年死去
スピリチュアルな初ソロ作『Astral Progressions』の制作背景
このように、プロデューサーとして確固たるキャリアを積み上げてきたジョセフ。彼はどうして、このタイミングで初めてのソロ作『Astral Progressions』を制作しようと考えたのか。
「昔から自分のアルバムを作りたかったんだけど、どういう方向性にしようか定まっていなかったんだ。それで以前、俺の母親は〈ブルースのアルバムを作りなさい〉とアドヴァイスをしてくれた。俺はその言葉を、〈ブルースやジャズをヒップホップと融合させて、自分らしい音楽を作れ〉と解釈したんだけど、そこから少し経った2012年に母親が亡くなったんだ。そのあと、サーラーのシャフィーク・フセインやタズ・アーノルド、DJバトルキャットもアルバムを完成させることをプッシュしてくれた。フリーススタイル・フェローシップ、サンダーキャット、フライング・ロータス……彼らが活動している姿を見て、自分の信念を曲げずに作品を作ろうという想いが強くなったんだ」
『Astral Progressions』の大きなインスピレーション源となったのは、「素晴らしいダンサーであり、画家でもあった。力強い黒人女性だったし、彼女から学ぶことが多かった」という母親の存在。ピアノを毎日弾いていたという彼女からは、音楽的にも多くを学んでいた。そんなアルバムのコンセプトについて、「スピリチュアルな側面を表現したかった」とジョセフは語っているが、収録曲のなかで最初に作られたという“As I Think Of You”を聴けば、その意図が汲み取れるだろう。ジョージア・アン・マルドロウの神秘的で深みのある歌声に、ミゲル・アットウッド・ファーガソンの手による豊かなストリングスが添えられた、実にドープなナンバーだ。
「ジョージアと初めて会ったのは、彼女の父親の葬式だった。彼女の父親は、過去にワールドステージやフィフス・ストリート・ディックスで演奏していたミュージシャンだったから、亡くなったと知ってワールド・ステージで行われた追悼イヴェントに駆けつけたんだ。そこでジョージアと知り合い、その後も連絡を取り続けていた。彼女はこの曲で、〈ニーナ・シモン的なアプローチで歌ってもいい?〉と訊いてきたから、もちろんと答えたよ(笑)」
ほかにも、“Between Us Two”で歌うビラルなど豪華ミュージシャンが揃った『Astral Progressions』だが、肝となっているのはジョセフが手掛けるプロダクションである。『To Pimp A Butterfly』に参加したロナルド・ブルーナーJrやロバート・スパット・シーライトのような新世代のドラマーが昨今は注目されているなか、そういった現場感覚も踏まえた独創的なビートメイキングに注目したい。“Celestial Vision”は、ヒップホップ・ビートとジャズが理想的な形で融合した一曲だ。
「この曲は、サイケデリックなディズニーのサントラ音楽みたいな感じにしたかった(笑)。リー・モーガンやクリフォード・ブラウンへのトリビュートとして、クリーンなトーンでトランペットを演奏して、メロディーだけでストーリーを描写したかったんだ。ASR10でビートを組んでいるけど、J・ディラやピート・ロックの影響が反映されていると思う。(曲作りするときは)まずは古いフュージョンのレコードをチョップしたり、mp3をサンプリングしたりしながらトラックを作るんだ。ホーンやキーボードを演奏しながら作ることもあるかな。ドラムをプログラミングするときはいかにもドラム・マシーンっぽい感じではなく、ナチュラルに聴こえるように意識している」
アルバムの制作はイーグルロックにある自身のスタジオ行われ、マスタリングは旧知の間柄だというダディ・ケヴ、ミックスにベンジャミン・ティアニーというカマシ・ワシントンの『The Epic』と同様の布陣が迎えられている。冒頭で紹介した“Interstellar Universe”に参加したカマシの様子を、ジョセフはこんなふうに述懐している。
「〈どういうふうに演奏すればいい?〉とカマシが質問してきたから、〈ソロを演奏してもらえればすぐに終わるよ〉と説明したんだ。でも、その演奏があまりにも素晴らしかったから、そのあとに自分でソロを吹くのがやりづらかったな(笑)。“Interstellar Universe”は最後に作った曲で、普通とは違うリズムを採り入れたくて作った曲なんだ。4分の6拍子なんだけど、捉え方によっては3拍子でもある。あの曲の冒頭のドラムはすごくユニークなんだよ。それに、コーラスを前面に押し出したかった。とてもパワフルで優雅なサウンドを持つ曲だと思う」
もう一つハイライトとなるのが、マイルス・デイヴィスの74年作『Big Fun』に収録された“Lonely Fire”のカヴァーだ。ここにはもう一人の盟友、テラス・マーティンが参加している。
「マイルスは大好きなミュージシャンの一人だよ。ジャズ・ミュージシャンとしてだけでなく、彼の人生がとても興味深いからカヴァーしたかったんだ。そして、70年代のトリッピーでオブスキュアな、あまり知られてなさそうな曲を選びたかった。70年代になると、人々はマイルスに50~60年代のジャズを求めていたけど、彼自身はもっと違う音楽をやろうとしていたよね。音楽は常に時代を超越して、新しい方向に進むべきものだと思う。だから俺は、70年代のマイルスにオマージュをしたかったんだ。テラスはちょうどハービー・ハンコックとツアーをしていた時期だったから、演奏が完全に仕上がっていた。ジャズ・ミュージシャンというのは、ツアーを終えた直後がもっとも即興演奏の能力が仕上がっているものだけど、カマシとテラスは2人共に調子が良かったから、すごく熱い演奏を披露してくれたよ」
そしてアルバムは、母親に捧げられたという約14分もの長尺曲“Psychedelic Sonia”で幕を閉じる。あまりにも濃厚なデビュー作を完成させたジョセフ。次はどこへ向かおうとしているのか?
「アンダーソン・パックがドクター・ドレーと新作を作るから、それに参加する予定だよ。自分のセカンドも制作しはじめている。俺のアルバムに入れようと思っていた曲があったんだけど、アンダーソンのアルバムで使われることになったんだ。俺は自分の音楽を通して、愛のメッセージを広めていきたい。日本でもぜひライヴをやりたいね」