世界の映画祭を席巻する〈怪物的映画作家〉がついに日本上陸! ショット・シークェンスの徹底による〈時間〉の魔法を体験せよ。

 映画の半ば辺りだったろうか、人気のない夜の街角で一人の女装の男性がどこか壊れた機械人形めいた動きで踊り、その孤独なパフォーマンスを二人の男女が少し距離を置いて見守る。老いた男性はフィリピン名物のバロット(アヒルの卵)売りで、もう一人の中年女性は本作の主人公でもあるホラシア。何てヘンな奴だ……などと男性は半ば呆れ半ば感嘆するかのように歓声をあげ、女性は少し笑みを浮かべながら沈黙を守るのだが、そのいつ終わるともしれない彼/彼女のパフォーマンスは、彼ら三名の全身が十分に画面に入る位置から撮影され、カメラは完全に固定されたまま延々と回り続ける……。

 全世界注目のフィリピン人映画作家ラヴ・ディアスのトレードマークともいうべき、ショット・シークェンス――ひとつのシークェンス(シーン)をひとつのショットで、すなわちカットを割らずに撮ること――は、何よりも〈時間〉を画面に定着させるための手法である。前述の感動的なショット・シークェンスは、映画を見る僕らと登場人物らのあいだで共有され、息を通い合わせる数分間を画面上に出現させるためのものでもあるのだ。3時間48分の上映時間を有する「立ち去った女」は、11時間を超える映画も撮ったことのあるディアスからすればむしろ短めの尺に当たり、個々のショットそれ自体も他の彼の映画と比べて短く思えるが、だからこそ、より鋭利に研ぎ澄まされ、凝縮された〈時間〉についての映画になった。

 30年も刑務所に投獄されていたホラシアが突如として釈放される光景で映画は始まる。逮捕の原因になった殺人が元恋人によって仕組まれた冤罪であると明らかになったのだ。それ以降、昼と夜を交互に反復させるシンプルな構造が、本作における〈時間〉を規定する。復讐を誓って元恋人が暮らす島に渡ったホラシアは、相手に気づかれないように名前を変え、昼は食堂を経営する一方で、夜は厳重に警護された敵の邸宅周辺を徘徊する。変装ということではあろうが、夜のホラシアが男性めいた外観に変貌することに僕らが胸騒ぎを覚えるのはなぜなのか。彼女は〈昼〉(家)と〈夜〉(街路)、〈女性〉(行方不明になった息子への母親としての想い)と〈男性〉(復讐)のあいだを往還し、だから同じく〈男性〉と〈女性〉を行き来する〈街娼〉と親密な友愛関係を結ぶのだ。

 ホラシアは昼の住人にして夜の住人である。だとすれば、彼女は不眠の人であり夢遊病者であるだろう。だからこそ、ホラシアが〈街娼〉の傍らで眠りに落ちる際、物語は劇的な展開を遂げねばならない。省略=廃棄された30年という監獄での時間、数々の見事なショット・シークェンスに封じ込められるリアリズムとファンタジーが溶け合うかのような時間、そして昼と夜の交互の訪れによって立ち上がる不眠の時間……。不眠の人が見る夢とはいかなるものなのか? その解答が、僕らが見たことも生きたこともない本作における“時間”のうちに見出される。

 


映画「立ち去った女」
監督・脚本・編集・撮影:ラヴ・ディアス  
出演:チャロ・サントス・コンシオ/ジョン・ロイド・クルズ/マイケル・デ・メサ
配給:マジックアワー (2016年 フィリピン 228分)
◎10/14(土)、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
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