スウェーデンの先鋭的なエレクトロニック・デュオ、ナイフの片割れであるカリン・ドレイヤー。2014年の解散以前から彼女のソロ・プロジェクトとして存在していたフィーヴァー・レイが昨年リリースしたセカンド・アルバム『Plunge』は、欧米のメディアから絶賛をもって迎えられた。その『Plunge』が、ついに日本でもリリースとなる。

挑発的なエレクトロニック・サウンド、過激な歌詞に込められたフェミニズム的メッセージと既存のジェンダー/セクシュアリティーのあり方へ果敢に挑むアティテュード……。混迷を極めるアメリカとヨーロッパの政治状況のなか、女性が再び立ち上がった時代にフィーヴァー・レイはどんなサウンドを鳴らし、どんな言葉を歌ったのか? ライターの木津毅がその内実を抉り出した。 *Mikiki編集部

FEVER RAY Plunge Rabid/Hostess(2018)

時代がフィーヴァー・レイに追いついた

〈個人的なことは政治的なこと〉――いま、誰もがそのスローガンを思い出している。ドナルド・トランプの政治や性差別的な発言に抵抗するかのように、あるいはハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ問題に代表される根深い男性中心の社会を解体するかのように、フェミニズムの狼煙が上がっている。ビヨンセ、ビョーク、セイント・ヴィンセント、アノーニ、チューン・ヤーズ、シド、ロード、それにチャーリーXCXまで……多くの女性ミュージシャンたちも当然そのことと無縁ではなく、それぞれがそれぞれのやり方で自身のジェンダー・アイデンティティーと向き合い、社会や男性たちとの関係性を探ろうとしている。彼女たちは音とともに、自身のフェミニズムを更新しているのである。

そんななかにあって、フィーヴァー・レイを名乗るカリン・ドレイヤーが新作をリリースしたことはあまりにもタイムリーだ。あるいはこうも言える――時代が彼女に追いついた、と。なぜなら、カリン・ドレイヤーはその音楽活動を通して、個人的な視点からジェンダー・ポリティクスをつねに見据えてきたからだ。

『Plunge』収録曲“To The Moon And Back”

 

家庭という愛を育む場所で疎外される個人について歌った『Fever Ray』

スウェーデンはストックホルム出身のカリン・ドレイヤーといえば、エレクトロ・デュオのナイフでの活動がもっとも知られているだろう。弟のオロフ・ドレイヤーとともに99年に結成されたナイフは『The Knife』(2001年)、『Deep Cuts』(2003年)、『Silent Shout』(2006年)、『Shaking The Habitual』(2013年)という4枚のスタジオ・アルバムをリリースしたのち、2014年に解散している。

初期からスウェーデン国内では非常に高い人気を誇っていたナイフだが、『Deep Cuts』収録曲の“Heartbeats”がホセ・ゴンザレスにカヴァーされて話題となり、『Silent Shout』がピッチフォークで年間ベスト・アルバムに選出されるなど、段階的にグローバルな認知と評価を得ることとなった。80年代由来のシンセ・ポップからヨーロッパ的なミニマル・テクノまで、トライバルなリズムをミックスした独自のサウンドと粘り気のあるカリンのヴォーカルは、官能的ながらもどこか呪術的な響きを有しており、ピッチフォークはその音楽を〈ホーンテッド・ハウス〉(〈呪われた屋敷〉と〈おどろおどろしいハウス・ミュージック〉のダブル・ミーニングと思われる)と形容している。

ナイフの『Deep Cuts』収録曲“Heartbeats”
 

こうしたダークなエレクトロ・サウンドとカリンのジェンダーへの眼差しが密接な関わりを見せたのが、他でもないフィーヴァー・レイとしてのデビュー作『Fever Ray』(2009年)だ。結婚、そして出産を経験をした彼女は、同作で女性がいかに家庭に縛られる存在であるかをテーマとした。そのサウンドはナイフと地続きながら、より内省的で神経症的な不穏さが漂う。フェミニズムとともに育った彼女にとって、家庭は予想以上に個人の自由を奪う場所であったという。個人としての自由な生き方や思想が、家庭という本来愛を育む(べきとされている)場所において疎外されることの不安や迷い、あるいはそのように考えてしまう後ろめたさが、ヘヴィーなエレクトロニック・サウンドとともに吐露されている。

『Fever Ray』収録曲“When I Grow Up”