©Emeel Matveev/ECM Records

C.P.E.バッハの挑戦的な力をタンジェント・ピアノで響かせる

 美しい裂け目のような──典雅の蔭に叫びが潜むような緊張感。鬼才アレクセイ・リュビモフが指をはしらせる鍵盤から、凄まじい解像度で広がり続ける幻想を見せられるようなアルバムだ。大バッハの次男にしてクラヴィーア(鍵盤楽器)の巨匠、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのソナタや幻想曲を集めた新譜には、リュビモフにしか拓き得ない時間が満ちている。旧ソ連時代からシルヴェストロフなどロシア現代音楽の作曲家たちを積極的に紹介する一方、古楽器演奏でも先駆的な存在であったリュビモフ。彼が、玲瓏と奔放の昇華で異彩を放つC.P.E.バッハを弾くとは正に出逢うべくして出逢った組み合わせだが、リュビモフとこの作曲家との邂逅は「1970年代の半ばでした」という。「手近にあったクラヴィコードを弾こうと思ったとき、この楽器に相応しい作品は…と手に取ったのがC.P.E.バッハでした。出逢いの印象はとても強く、夢中になって弾き込んでいき、自分の中にも化学反応が起きた。ソ連時代は国から出られなかったので、西側の音楽をプロパガンダ的に紹介する演奏会を50回以上は催したのですが、そこでも弾いています。あの時代は、新しいものを知るたびに、どうしても人々に伝えて共有したいという強い思いが込み上げたものですが、C.P.E.バッハもそのひとつでした」

ALEXEI LUBIMOV アレクセイ・リュビモフ~C.P.E.バッハ:幻想曲、ソナタ、ロンド&ソルフェッジョ ECM New Series(2017)

 今回の新譜ではタンジェント・ピアノ(タンゲンテンフリューゲル)という木片で弦を叩いて発音するピリオド楽器を弾いて、C.P.E.バッハの繊細と自在を現代の耳にも挑発的な──しかし才気煥発の美しさを生き生きと響かせている。「我々は新しいものを創るにしても、古いものに対する反応として表現していくことになるわけですね」とリュビモフは優しい笑みと共に語る。「彼はヨハン・ゼバスティアン・バッハという偉大な典型を父に持ち、それに続くハイドンやモーツァルトといった人々との狹間に立った存在ですが、彼ならではの即興性にも富んだ新しいものを創り出そうとする挑戦的な力を“かたち”の中に押し込めていく、そんなありかたが、現代にも通じる新しさとして感じられるのではないでしょうか。たとえば旋律が顔を出したと思ったらまた別のものが…という映画のモンタージュを思わせるアヴァンギャルド性がC.P.E.バッハにはある。予想もしないような転調をみせるのも後期ベートーヴェンの音楽に通じますし、違う人格が共存しているような感覚──そこから個性が噴出してくるような感覚すらある」

 収録は2008年7月。「2014年の生誕300年でも出なかった理由は私にもわからない!(笑)」と呵々大笑するリュビモフだが、ふと出るあたりも彼らしい。