FROM FIRST TO LAST
いよいよ〈LAST〉へ向かって動きはじめたGANG PARADE――その初Blu-ray作品リリースを記念して、今回はプロデューサーの渡辺淳之介を直撃! 気になるこの先についてもいろいろ訊いてみましたよ!

 プラニメ~POPからの歴史を辿る集大成的なセットリストが組まれた〈REBUILD TOUR〉を、9月のZepp Tokyo公演にて締め括ったGANG PARADE。新年には意味深な『LAST GANG PARADE』も控えていますが、このたび登場する同ワンマンのBlu-rayには過去曲の再録版CDも付いてくるわけで、改めて彼女たちの歩みを振り返るべき機会なのかもしれません。今回はその始まりから〈LAST〉へ向かう現状までを探るべく、グループのすべてを見守ってきた(?)プロデューサー/マネージャーの渡辺淳之介に話を訊いてみました。

 

添い遂げなきゃダメだよね

――そもそもプラニメは渡辺さん主導で始まってない点が他グループとの違いで。

「はい。旧BiSの解散間際に僕が水面下で奔走してたのは、それぞれの嫁ぎ先を探すことで。そのなかでカミヤサキは何も決まってなくて、僕の独立も決まってたから〈じゃあ、とりあえずウチでやろっか?〉って引き取ることにして。〈何がしたいか好きに考えてみなよ〉って言ってたら、いずこねこをやってたミズタマリ(泉茉里)と一緒にやりたいって話になったんです。で、BiSの最後のツアーのなんばhatch公演の時にマリちゃんも交えて話をして。BiS解散と同時に全員の進路を発表したかったんで、ホントにギリギリで進めてました」

――〈Produced by プラニメ〉との記載もあり、本人たち発信という見え方でした。

「基本はそうでしたね。まず〈アニメに関わる仕事がしたい〉っていう夢があって、ちょっとアニメっぽい青と赤で分けたわかりやすい衣装にしてみたり。グループ名は〈カタカナがいい〉って、彼女たちからプラニメっていう名前が出てきて。そこに当て字で〈Plastic 2 Mercy〉っていう言葉を考えたのは僕だったかな。音の方向性は僕と松隈ケンタで決めてました。単純にBiSでロックロックしすぎたので〈ギターなくてもいいかもね〉ってとこで、共通してその頃ハマってたトゥエンティ・ワン・パイロッツ(TOP)をリファレンスに作っていこうっていう方針がありましたね。僕もBiSで自分のオーヴァー・プロデュース気味な部分に嫌気が差していたので、助ける側に回ってあげたい気持ちがあって。まあ、それが良くなかったんですけども(笑)」

――前に〈まずアルバムを出さなかったのが失敗だった〉みたいな話をされてました。

「はい。BiSから最初にスタートダッシュを切れた奴がそのまま突っ走れると思ってて。で、BILLIE IDLE®もMaison book girlも時間をかけて準備する段階から始まってたので、プラニメがいちばん最初に出せるぞっていう。あと〈TIF〉の出演も決まってたので、とにかくそこに間に合わせようと焦っちゃって」

――8月2日の〈TIF〉でお披露目でした。

「はい。それで、まずは作りやすいシングルにしたんです。まあ、いろんな可能性を見てきた現在だから言えるんですけど、まずアルバムでいっぱい曲があるとそこから方向性が見えるというか、最初にアルバムを買ってもらえると、みんなよく聴いて好きになってくれて、そこから代表曲が生まれていくじゃないですか」

――旧BiSもBiSHもですし、新BiSもEMPiREもアルバム・スタートで。聴く側からすると思い入れも抱きやすい気がします。

「そうなんすよね。BiSもBiSHも最初のアルバムの曲が名曲と言われてて、それはたぶん、お客さんと一緒に曲を育ててきたからなのかな、って。そういう状況が作れなかったのはホントに失敗でした」

――後にアルバム『P.O.P』に入る曲のほとんどは、9月に“Plastic 2 Mercy”のシングルが出る前後で揃ってましたよね。

「10月に初のワンマンをShelterがあるので間に合うように突貫で10曲ぐらい作って。でも、お客さんも僕たちも曲に感情移入しづらかったのかな……いま思えば、ですけど。年明けに次の“UNIT”が出て、その後にマリちゃん脱退ですね。これもホントにTOPオマージュな良い曲で、ユニットの絆を歌ってるんですけど」

――MVでは山も登って。

「山も登って。〈添い遂げなきゃダメだよね〉っていう僕的な願いが込められてたんですけど、まあ……」

――じゃあ、作ってる段階で難しさも見えてはいたということですね。

「そうですね。大阪と東京で離れてやってて、やっぱり意志疎通ができにくかったり、互いに大変だったとは思います。あとたぶん、もっと初速でうまくいくと思ってたのかな。仕方ないことですけど」

――BiSもいずこねこも昇り調子のまま終わった印象がありましたし。

「はい、僕たちもどちらかと言うと動員が増えてく状況しか経験したことがないなか、初めて低減していくっていう。そのなかで気持ちが追っつかなくなってきちゃったのかな。どうしてもBiSみたいな何かを期待してるお客さんも多かったし」

――同時期にはちょうどBiSHも始まって。

「そうっすね。1月に発表されてるので。その前にカミヤに〈もう一回BiSをやるっていうテーマでBiSHっていうのをやるんだ〉って話してキレられた気がします。まあ、僕も結局は自分で〈渡辺印〉だって思うものがやりたくなって。とはいえBiSHが成功するなんてその時点では思ってないし、逆に〈お前もBiSH入っちゃう?〉みたいに声を掛けた気がするんですけど、そこはカミヤは頑なに断った気がしますね。まあ、〈声掛けられてない〉って言われそうですけど(笑)」

――一方でマリさんの脱退発表と同時に男女の新メンバーを募集されました。

「2人とも傷ついてたし、喧嘩別れではないので、〈すぐ好きに活動していいよ〉ってマリちゃんを送り出して。で、カミヤは〈何も考えられない〉みたいな状態だったんで〈じゃあ、もう一回メンバー集めてグループにしようよ〉って。ただそこでまた女性グループにすることに僕が及び腰だったのと、僕の持論として、変えるならガラッと変えたいみたいなのがあって。もしいい子がいれば男の子を入れてAAAみたいな形もアリじゃない?っていう考えもあったんです。けど、いなかったっすね」

 

このグループ大丈夫かな?

――結果、4名が加入してPOPになって。

「カミヤと一緒に選びました。ヤママチミキとかただの研究員(BiSファンの総称)あがりなんで、生意気でしたけど(笑)。で、やっぱりBiSHが上向きだったんで、まずそこにPOPを当て込んで駅伝対決をやって、僕的に良いお披露目だなと思ってたんですよ。BiSHを観ながらPOPの新メンバーも知ってもらって相乗効果にしたかったんですけど……BiSHが対決で負けたにもかかわらず、何かお涙頂戴で持ってちゃったんですよね。それで終わった後でカミヤに〈勝ったのに何なんすか〉みたいにガチ切れされて。僕も〈いや、そういう問題じゃないじゃん?〉って話したんですけど、ミキとかユメノユアからすれば最悪ですよね、〈このグループ大丈夫かな?〉みたいな(笑)。まあ、僕とカミヤの仲がホントに最高潮にヤバかった時期でした。そこからカミヤが客席にダイヴするっていう〈TIF事件〉にも繋がるんですけど」

――コミュニケーション不足が招いた部分もあるというか。

「まあ、僕もなかなか顔を出さなかったし、〈TIF〉の後、UNITでPOP最初のワンマンをやってカミヤに活動休止を言い渡すんですけど、それも行かなかったんですよ。で、終わった後の飲み会だけ参加して、ライヴ制作の佐藤さんから〈お前、仲悪くても、ちゃんと来ないとダメだろ〉ってボロクソに怒られるんですけど」

――あ、怒られるんですね(笑)。

「はい、僕も大人げなくて、そこはホント反省してるんですけど。僕が〈TIF〉の件で悲しかったのは、お客さんに向いてた行動じゃなく、単純に自分たちのことばっかり考えてた感覚だったのかなってことで。とばっちりでBiSHも〈TIF〉に出れなくなったし。連日メンバーと親を呼び出して、今後POPどうしますか?っていう……もうホントうまくいかない(笑)。サウナスーツとかジャージが衣装で、いま考えるとヒドいんですけど、その時はホントにお金がなくて衣装が作れなかったっすね」

――でも、その時点でなくならなかった。

「そうですね。ヤバい時でもT-Paletteのおかげで定期的にCDは出させてもらってて。で、1回目の転機が“Happy Lucky Kirakira Lucky”っすよね」

――サキさんが100km走って、復帰されてのリリースでした。初期からイメージも曲調もガラッと変わりましたよね。

「ガラッと変えたかったし、そこで初めてテコ入れしたんですよ。衣装を作ろう、色分けしよう、BiSHとの差別化も考えて、じゃあ〈ももクロとかでんぱ組になろう〉……って言うとアレなんですけど(笑)。この時期はいろいろ揺れてて、“Happy Lucky Kirakira Lucky”だけ〈Produced by 松隈ケンタ〉が消えてるんです。SCRAMBLESの井口(イチロウ)さんにお願いして作ってもらって。で、次の“QUEEN OF POP”では松隈ケンタに戻ってもらって。曲はどれも良かったですけど、迷走してました(笑)」

――で、2016年6月にGANG PARADEに改名されます。

「言ってきたのはカミヤですね。BiSHがメジャー・デビューもしてる状況も見つつ、POPがどうにか上がるために〈起爆剤として改名したい〉って話をされて、〈確かに運気が悪いかもな〉って(笑)。で、〈もう全然違う名前にしよう〉って全員で話し合って、〈CANDY PLACE〉とか〈BLACK THUNDER〉とか挙がった中に〈GANG何とか〉と〈何とかPARADE〉があって、〈これを一緒にしたらいいんじゃない?〉〈略してギャンパレ、いいじゃん〉みたいに決まりましたね。ただ、そこからがまた……」

――改名して最初の“WE ARE the IDOL”を出してすぐシグサワアオさんが脱退を発表して、〈TIF〉で脱退されます。

「その前後にはBiSの再結成ですよね。カミヤにその話をした時は、本気の肩パンを10発くらい、いただいた気がしますね。だからもう、いろいろ俺のせいです(笑)」

――不安定な状態が続いて、9月にはイヌカイマアヤさんが不在になります。

「言い方は良くないですけど、諦めモードになったのかなって。単純に稼げてなかったのは間違いないし、稼げなきゃ辞めるってのはもちろん正論なんです。それをどう上向かせていくかは僕たちの手腕なんですけど、ダメな時でも続けていけるかどうかはお互い信頼がないとできないので、凄く難しいですよね。いま考えるとユアとミキはよく耐えたし、不安ななかでマイカもよく夢を持って入ってきてくれたなって」

 

これって奇跡じゃないですか

――8月のオーディション時点でキャン・マイカさんの加入は決まっていたものの、お披露目までは3人での活動となって。

「9月の〈@JAM×ナタリー EXPO〉でギャンパレがいちばん良かったのはいまだに印象に残ってます。BiSH、BiSと比べてお客さんは全然いなかったけど、すっごい良いライヴを3人が見せてくれて、〈あ、これはちゃんとやんなきゃダメだな〉って」

――それはそうです(笑)。

「そう思ったのをよく覚えてます(笑)。で、その後にですね。1日にして消滅したSiSが加入するという大事件があって」

――大筋はドキュメンタリー映画「WHO KiLLED IDOL? -SiS消滅の詩-」で描かれている通りだと思いますが。まるで映画のような現実が映画になって(笑)。

「〈現実ってこんなに凄いんだな〉っていう(笑)。SiSが消滅した時点では何も考えてなかったんですけど、その翌々日くらいに俺がエレベーター降りてったら、目の前にSiSの連中がいて、事務所のある場所を見に来たとか言って。〈これって奇跡じゃないですか〉とか言いはじめて(笑)。〈いやいや、お前らが来たんだから奇跡じゃないでしょ〉って。ただ、SiS解散の日に焼肉を奢る約束をしてたんで、〈じゃあ、明後日に焼肉行こう〉って言って帰らせて。で、確かにあっちが強引に引き寄せたアレなんですけど、やっぱり会っちゃったんで、帰らせた後にモヤモヤ残っちゃって。でも、人手もないし、別の何かをやるのは無理だなってところで、〈あれ? ギャンパレ入れたらいいんじゃないか〉と思って、先にカミヤに〈どう思う?〉って電話したんですよ。そしたら、もうカミヤも受け入れる感じで。で、焼肉の時にSiSの連中が何かやりたいって言ってきたので、〈ギャンパレに入るのはどう?〉って逆提案して決まりました。マイカが加入したばかりだし、ユアとミキの〈4人でがんばるって決めたのに〉って気持ちもわかってましたけど、BLAZEワンマンの起爆剤にしたかったのもあったし、カミヤがスパルタ中のスパルタで雰囲気を作ってくれて、1か月みっちり練習させて。最初は当然ギクシャクしてたけど、終わった後にメンバーたちも安心したんじゃないかな。僕がお客さんの様子を見てても、オセロが裏返っていくような感じがしたので、〈あ、イケるかもな〉って思いました。あと、僕がめっちゃゲンを担ぐんで、7人最初のアーティスト写真に僕が入るっていうのを、最初のBiSHを踏襲して意識的にやって」

――7人の初シングル“Plastic 2 Mercy”を出して以降は、渡辺さんがよく絡むようになって、メンバーの皆さんも〈あ、プッシュしてもらえる〉って安心できたかなって。

「アハハ。たぶんそうですね。年末とかインストアで一緒に〈P2M〉踊ったりしてましたね。久しぶりに昔のBiSやってる時みたいな感覚になったのかな。あとは、そこでシングルをワンコインにしてメンバーのキャラを知ってもらうことを狙って、そこも良い感じに功を奏しましたね」

――あの時期ぐらいから駅伝とかの企画とか音源とかが本人たちのキャラに全部うまく繋がっていくように見えました。

「ホントにイイ感じになりましたね。その後の合宿オーディションとかでユアが台頭してきたり、みんながチーム内で切磋琢磨できてる感じは、やっぱりSiSの3人が入ることによって生まれてきたのかな。そのなかでもカミヤはまっすぐな奴なんで、どっちにも転ぶというか、悩んでダメなほうに崩れていく時もあれば、状況に対応して軍隊みたいに統率力を発揮できる時もあるし。だから、やっぱり彼女がキーですね」

――そのサキさんとBiSのアヤ・エイトプリンスさんのトレード移籍は、2017年5月から今年3月まで長く続きましたね。

「完全にギャンパレの話題作りというか、カンフル的に人気をもう一段階上げたいなって施策だったんですよ。もともとトレード自体は前から考えてたんですけど、合宿で発表するのがいちばん注目されるなってところで。〈いま飛躍しないでどうする〉っていう状況のなかで、逆に一回カミヤをいなくならせたかったんです」

――結果的にBiSのためにもなって。

「ギャンパレの成長が見たかったんですけど、BiSの新人をカミヤが鍛えたり。まあ、互いに意外とハマリがいいので延長したんですけど、思ってた以上の効果があったし、おもしろかったですね」

――ちなみに“FOUL”のMV撮影が“pretty pretty good”と同じ場所なのは、サキさんが去る前触れなのかなと後付けで思ってたんですけど。

「あ、そこはただの偶然なんです、おもしろくない話ですけど(笑)」

――そうなんですね。あと、初期の参照元にTOPを挙げられていましたが、7人になって以降はサーティー・セカンズ・トゥー・マーズからハイスタに至るまで音のイメージがダイナミックに広がりましたね。

「初期は完全に僕と松隈ケンタがTOPにどハマリしていた時期で狙ってました。ですが、2人とも飽きっぽいので、どんどん次のどハマリへ向かっていくスパイラルなのが現状です。実はギャンパレには色がなく、いろいろな挑戦をしてきているイメージが僕の中にはあって、“FOUL”も“Beyond the Mountain”もかなり新機軸としてワクワクする展開をできました」

 

ギャンパレへの愛

――はい。いろいろ経て現在は9人体制ですけど、今回Blu-ray化されるZepp Tokyoのファイナルはどんなライヴでしたか?

「一言で言うと、ギャンパレへの愛を感じたライヴでした。メンバー全員がギャンパレのこと好きなんだろうなと思えるライヴで、一丸となっている様はWACKでも随一だと思います。今回は映像を採り入れたり、うちの事務所には珍しく演出も入れてみたんですが、彼女らの現状にもよくハマって、月ノウサギのMC含めてうまく感情移入させられたんじゃないかな。月ノのMCは泣けるくらい良かったし、ちゃんと“CAN'T STOP”に繋いで、〈良い演出をしますね、月ノさん〉って思いました(笑)」

――月ノさんとハルナ・バッ・チーンさんの入った効果は大きいですね。

「最近は彼女たちが追い風を持ってきてくれたのかなって思うことが多くて。タイミング、運気の流れってあるんだなっていう気はしてるんですけど、そのなかでこうやってお話ししながら振り返ってみると、ユアとミキに〈信じてくれてありがとね〉っていうのはやっぱり思いますね。カミヤはもちろんですけど、たぶん2人がいなかったらカミヤも心折れてたと思うんで」

――それはそう思います。

「〈よく支えたよな〉って凄く思います。だからギャンパレがいまある最大の功労者はやっぱりユアとミキなのかなって気はしますね……ヤバイ、何かいま言ってて感動してきた、自分で(笑)」

――まあまあ、そんなふうにLASTっぽい話になってきましたけど……年明けにはいよいよアルバムですね。

「はい、『LAST GANG PARADE』の名前に相応しく……相応しいのかな? 久しぶりにみんなが楽しんで作ってるアルバムですね。何の制約もなく好き勝手に作ってるので、けっこうドギモを抜く楽曲もあるんじゃないかなっていうふうに思ってます。あと、リード曲が凄くて。僕の中では非常にエモいんですけど、実は*****の**を***ことができました」

――それは凄いことですけど、まあ書かないほうがいいですかね(笑)。

「ホントは言いたくてしょうがないんですけど(笑)。そんなリード曲もあるし、またメンバー作曲もありますし、ヘンな歌詞も多いです(笑)。いままでにない雰囲気と、最近のカップリングで創ってきた世界観とかも合わさって、また凄く新しいGANG PARADEになってるかなって思いますね。楽しみにしておいてほしいです」

 


渡辺淳之介:WACK代表。GANG PARADE、BiSH、BiS、EMPiREらのマネージメント/プロデュースを手掛け、自身の立ち上げたアパレル・ブランド〈NEGLECT ADULT PATiENTS〉のクリエイティヴ・ディレクター/デザイナーとしても暗躍中